未完成な音色8〜赤髪の姫〜 桜弥生

 

 

その後、事件後の処理はヴァルキューレと騎士団が処理し、

アルルとシェゾとラグナスはカルミアの助けもあって、

そのまま帰らせてもらうことになった。

「アルルとシェゾさんは私達が頼んだからですし…

 ラグナスさんも進んでありがとうございます」

地下道の入り口で、エミリアはアルル達を見送りに来て、

忙しいヴァルキューレ達に代わり深々とお辞儀した。

「ううん、別にいいよ。だってこういうのって当たり前だよ!」

アルルが笑顔で言うと、エミリアも微笑んだ。

「オレも。あっ、名前…」

「エミリア、で構いませんわ」

「じゃあ、エミリア。オレもアルルと同じだよ。それとオレも呼び捨てでいいから」

「クスッ…今度からそう呼ばせてもらいますね。いろいろお話しましょう」

「ああ」

「おい、あの女にちゃんと報酬渡せって言ってくれ」

シェゾはぶっきらぼうに割り込んで言ったが、

彼の今回の参加した理由がそれだ。

これで報酬をもらえなかったら…

シェゾはメリッサの所へ殴りこみに行くのは当然だろう。

「ちゃんと言っておきます。メリッサは釘を打っておかないと大変ですしね」

「頼む…何だか嫌な予感がしてなんねぇ…」

シェゾは遠くの方でいろいろしゃべっているメリッサを見て、

タラリと冷や汗を流した。

「シェゾ、嫌な予感って?」

「お前は知らなくていい」

「何だよそれー!」

直後、アルルとシェゾはまた口げんかを始めてしまう。

「おいおい、こんなところでやらなくてもいいだろう?」

「クスクス…」

ラグナスは少し呆れているが、エミリアはおかしそうに笑っていた。

『姫様ー!団長呼んでるでー!!』

そこへサフィニアがエミリアを呼ぶ声が聞こえた。

「はい!じゃあ、皆さん。また…」

「明日ね!」

去っていくエミリアは軽く手を振って答えた。

「…しかし、今日はとんでもねぇ一日だったな」

シェゾは少々うんざりそうに言った。

「でも、エミリアのこと…ちょっとわかった」

アルルが嬉しそうに言うのを見て、シェゾは軽い溜め息を吐く。

「お前は呑気だな」

「何だよ!」

「まあまあ…それより、アルル。これから暇かな?」

ラグナスは二人を止めるついでに、アルルに尋ねる。

「ふえ?」

「エミリアのこと、教えてくれないかな?」

「え?いいけど…」

その時のラグナスは少々顔が赤かった。

「惚れたか?」

「違う!」

シェゾの突っ込みに、ラグナスは思い切り否定する。

何だかこのままケンカになりそうな予感が…

「ラ、ラグナス!だったら大通りにいいお店があるんだ!!

 お腹も空いたし…そこで話そう!」

アルルはそれを察したか、ラグナスを引き離そうと躍起になる。

「え!?あ、ああ…わかった」

「じゃあ、シェゾまたね!メリッサさんとケンカしないでよ!!」

アルルはラグナスを引っ張り、シェゾが殴りこみに行かないようちゃんと

注意し、大通りの方へ行ってしまった。

「ったく…あのお節介め」

シェゾは悪態をつきながらも、その顔は笑みを浮かべていて、

やがて裏街の奥の方へ去っていった…

 

 

それから数日、この四人はいつの間にか会う事が多くなっていった。

集合場所は舞姫が舞う場所にて。

シェゾは何だかんだ言って街に滞在し、ラグナスももう少しいるつもりだと言った。

アルルも元々イルシアに長期滞在するつもりだったので、三人にそう告げた。

「おい、何でそんなにいるんだ?」

「修行だよ、修行!」

アルルはそう弁解するも、本当はいろいろな所を見に行きたいという旅行目的で

ここに来たのであった。

「まあいいじゃないか。アルルがそう言ってるんだから」

「そうですよ」

「…お前ら、何だか波長合い過ぎだ」

はっ!とラグナスとエミリアはお互い顔を見合わせる。

『違う!』

『違います!』

否定の言葉を二人は同時に言う。二人は固まってしまった。

「アハハ!やっぱりだ。エミリアもラグナスも何だか似てるから、

 こうなるかなって思ってたんだ」

アルルは笑いながら言った。本当に実現して、アルルは可笑しかった。

「アルル…」

「してやられたな」

シェゾは意地悪な笑みを浮かべて言い、ラグナスはしまったと額に手を当て、

エミリアも困った顔をした。

 

 

こんな他愛のない時間を過ごしている同時刻

 

ある人物がイルシアに到着したことなどまだ誰も知らなかった… 

 

 

「はーっ、久しぶりねぇ…この街も」

その人は街に入った第一声がこれだった。

長い赤髪、腰には剣を携えた女剣士。

女剣士は通りを歩き、まだ変わってない町並みに懐かしさを覚えながら、

やがてヴァレンシス城へと着いた。

ヴァレンシス城は大通りをまっすぐ歩くと着くのだが、

あまり城周辺に建物はない。

女剣士は見張りの兵士二人がいるというのに、堂々と真正面から入ろうとする。

「おい!そこの者、何しに来た?」

すぐに兵士二人は手に持っている槍をかざし、一人が女剣士に尋ねる。

「へぇ…アンタら、アタシにそれ向けてもいいのかい?」

それにも動じず、女剣士は余裕の笑みを浮かべて言う。

「何だと!」

「おい、待て。こいつ、いや、この人は…」

片方の兵士はもう一人を宥め、じっと女剣士の顔を見る。

「…間違いない!あなた様は―」

兵士は名を言う。その名は間違いなく女剣士の名。

「思い出してくれたかい?」

兵士は女剣士に向かって、ビシッと敬礼をする。

「ご無礼をお許しください!おい、お前すぐに国王陛下に知らせろ」

「は、はっ!」

一人の兵士はすぐに報告をしに行く。

「フーン…とりあえず、父さんだけに報告するんだ」

「国王陛下が随分前から申しておりました」

「なるほどね」

女剣士は軽く髪をかき上げた。鮮やかな赤い髪が日に当たって輝く。

「…よく帰ってこられました、エルミナ様」

「ありがとう。待っててくれて…長かったよね」

女剣士ことエルミナは、恭しく言う兵士に労いの言葉をかけた。

 

「大変やー!!!」

相変わらず四人以外人の姿はなく、話しているとサフィニアが猛ダッシュで

ここへやってきた。

「どうしましたの?サフィニア」

「ゼェ…ゼェ…ホンマにエライこっちゃで!」

サフィニアは息を整えるのに必死で、下を向いてしばらく荒い声が続く。

「アルル、この人は?」

「ヴァルキューレ隊のサフィニアさんだよ」

「ゼェ…あっ、この前姫様を助けた人やな。確か、ラグナスやったっけ?」

「そうですけど…大丈夫ですか?」

ここでサフィニアは持ち直したか、顔を上げた。

「よっし、大丈夫や。ウチはサフィニアや。

 アルルの言うとおりヴァルキューレ隊所属。以後よろしゅう」

サフィニアは笑顔で自己紹介した。

「サフィニア、それより何を急いでここに来たのですか?」

「はっ、そや。姫様、大変や!エルミナ様が帰ってきたんや!!」

その瞬間、エミリアの顔が驚きに染まった。

「…帰ってきたんですか?」

「そうなんや!もう城内大騒ぎで、かろうじて外には情報漏れへんようにしてるん

 けど…」

すると、エミリアは突然走り始めた。

「姫様!?」

「城に帰ります。ここにいる場合じゃありませんでしょう?」

エミリアはそう言うと、行ってしまった。

「エミリア!」

アルルは呼び止めようとするが、もう遅い。

「アルル、仕方ないんや。ごめんな。ウチも行くから、後で」

サフィニアも走ってエミリアの後を追った。

「何だ、一体…エルミナって誰だ?」

「あんなに急いで…」

「…帰ってきたんだ、お姉さん…」

途端、シェゾとラグナスは同時にアルルを見た。

アルルは気づく、二人にはエミリアの姉のことを言っていない。

「アルル…」

「どういうことか話してもらおうか?」

「っ!……うん」

アルルは自分の不注意のせいと思い、仕方なく二人に話し始めた。

 

「エルミナ姉さん!?」

エミリアがサフィニアの案内でヴァルキューレの宿舎に行くと、

そこにはアズミと話しているエルミナの姿があった。

アズミとサフィニア以外は皆、それぞれ研究やら交代の見張りやら手伝いやらで

出払っている。

「エミリア!元気だった?」

ピタッ、とエミリアの足が止まった。そして、じっとエルミナを見る。

「…本当に、エルミナ姉さん?」

エミリアはゆっくり言った。

「当たり前じゃないか。何だい、幽霊でも思ったのかい?」

それを聞き、エミリアはエルミナに抱きついた。

「お帰りなさい…」

「ただいま」

ギュッと抱きつく力を強くし、今にも泣きそうなエミリアに、

エルミナは優しく頭を撫でた。

「エルミナ様、お帰りなさいませ」

そこへ、短めの灰色の髪の男が入ってくる。歳はカルミアと同じくらいだろうか。

温和な感じだが、腰に携えている剣などで一目で騎士だとわかる。

「あっ、ジェイド団長。久しぶり」

「相変わらずですね。お変わりないようで」

「変わったら大変だよ、おしとやかになるとでも思ったのかい?」

「いえ…クスッ、本当にあなた様らしい」

ジェイドは笑みを浮かべて言った。

ジェイド・アフェランドルはカルミアと同い年の同僚。

ヴァレンシス騎士団をまとめる若き騎士団長だ。

もちろん、団長を務めるにふさわしい力量も持っている。

「で、団長。今日はどんな用だ?」

アズミが尋ねると、途端ジェイドは真剣な顔つきになる。

「はい…エルミナ様はまだご存知ではないと思いますが、

 実は最近裏街の地下道で魔物が発生いたしまして」

「魔物?どうして街の中に魔物が出るんだい。

 ちゃんと結界は張ってるんだろ?」

「そうですが…魔物は外部から発生したのではありません。

 地下道に描かれてあった魔法陣から発生したんです」

エルミナは眉をひそめる。エミリアはそれに気づいて彼女から離れた。

「要するに誰かがやったってことだね?」

「そうです。街の中では結界が効力を発揮しないのを突いてのことかと」

エルミナは髪をかき上げ、軽く息をついた。

「帰ってきた早々からこれかい。ったく、誰がやったんだか…」

「ただ今全力で犯人を追っております」

すると、エルミナは不敵に笑う。

「まあ、このアタシが帰ってきたんだ。好きにはさせないよ。

 何だかこれだけで済みそうにもない気がするしね。

 全員気を抜くんじゃないって言っておきな」

「はっ」

ジェイドは敬礼する。それに心配そうな顔をするエミリア。

それに気づいたエルミナは、エミリアに優しく笑いかける。

「大丈夫だよ、エミリア。犯人は絶対とっ捕まえる。

 …心配すんじゃないよ」

エミリアはエルミナの優しさをすぐに察したか、こくりと頷いて、

「はい…」

エミリアらしからぬ弱々しい声で返事した。

 

その時、三人娘は見張りから帰ってきたのだが、

どうも入れない状況で入り口からこっそり覗いて見ていた。

だがその途中、三人娘は見るのをやめ、そこから離れた。

「ねえ、あの人誰かな?アオイちゃん、わかる??」

ビオラはアオイに尋ねる。

アオイは三人娘の中で一番入隊時期が早い。

アオイは二年前、ビオラとミズキは一年前だ。

「エミリア様のお姉様でエルミナ様だよ。確かビオラとミズキが入る前に、

 旅に出ちゃったからわかんないけど…」

「エミリア様のお姉様!?」

「何だか似てない…」

二人はただ驚くばかりだ。

「うん、似てないところは似てないよね。髪の色や瞳の色、性格とか言葉使いも…

 でも何だか感じは似てるでしょ?」

「そういえば…」

「そうだね」

二人は曖昧にしか言えなかった。

確か似ているのだが、どこが似ているのか上手く言葉に表せられないのである。

「でも、どうして旅に出たの?」

ミズキが何気なく尋ねたのに、アオイは一瞬だけ反応した。

「アオイちゃん?」

「なんでもないよ!なんでもないから…」

アオイの不自然さに、二人はただ首を傾げるだけで、

やがて三人は城壁の一番上に来ていた。

ここから街が一望できるので、三人のお気に入りの場所だ。

「今日も綺麗だね、空。」

「だねー」

「…」

二人ははしゃぎ気味で言うが、アオイだけは一人浮かぬ顔をしている。

「アオイちゃん、今日は何だか変だよ」

「そうだよ。もしかして…あたし、悪いこと聞いちゃった?」

「違うよ!ビオラは悪くない。ただ…」

『ただ?』

アオイはその先の言葉が続かなく俯く。

「…あっ!そういえばさ、さっきジェイド団長いたよね?」

「そ、そうだね!何か久しぶりに見たなー、いつも忙しいから」

二人は話題を逸らそうとし、明るく話し始める。

「ジェイド団長優しいよね。あのカルミア隊長と同い年なんて信じらんないよ」

「だよねー…でも騎士団っていっぱい人がいて、すごく仕切るの大変なのに、

 どうしてジェイド団長なのかな?あたし、ジェイド団長よりもっと年上の人が

 騎士団仕切ってるってイメージあるんだけど…」

ミズキはそうだねーと相槌を打った。

と、

「その理由、知ってるよ」

『!?』

アオイが突然しゃべり、二人は同時にアオイを見た。

「知ってるって…?」

「ジェイド団長が騎士団長の理由」

「知ってるの!?教えて!」

「ワタシも!」

二人はアオイにせがむが、アオイは浮かない顔をしていた。

「でも、絶対誰にも言わないでね。これ、今までずっと内緒だったの」

「内緒?それ、どういうこと??」

ミズキが聞くと、アオイは言うのが辛そうな顔をした。

「…エミリア様にも関係あるから…」

「エミリア様…に?」

ビオラが再度問うのに、アオイはこくと頷く。

「このことはお城の中でも最重要機密なの。だから、内緒。

 それに…ううん、いいや。二人とも、誰にも言わない?」

二人は戸惑うが、やがて頷いた。

「じゃあ…話すよ」

アオイは静かに語り始めた。

 

ヴァレンシス城・地下魔術研究室―

「んーっ…やーっとレポート仕上がったわ」

メリッサは伸びをし、今まで座っていた席を立った。

ここはメリッサの専用研究室で、周りは器具やら薬品やら魔術書が所狭しと

あるが、ちゃんと整理整頓されていた。

本棚には何箇所か本がないスペースがあるが、あの後エミリアに言われ、

メリッサはちゃんとシェゾに貸したのだ。

「ったく、この辺りの属性変動を調べろ言われても、精霊は気まぐれで調べても

 無意味ぐらいお姫サマ知ってるんじゃない」

メリッサは溜め息をついて、愚痴をこぼした。

属性変動とは、その土地の属性が変化することを意味する。

この世には、地・水・火・風・光・闇・木・金の八精霊がいる。

基本的にその八精霊は常にどこの土地であっても存在している。

が、土地の特性などによってある精霊の割合が多くなる場合がある。

これがその土地の基本属性になるわけだが、

たまにその基本属性に匹敵するぐらい他の精霊の割合が、

増えたり減ったりする。これが属性変動だ。

ここで注意しておきたいのは、決してその土地の基本属性に対し、

相反する属性は強くならないということである。

それぞれ火と水、地と風、光と闇、木と金が相反関係にある。

例えばその土地の基本属性が火だとするならば、属性変動が起きても

相反する属性の水は低いままだということ。

これはよっぽどの災害やら異変が起きない限り有り得ない。

そして、この属性変動が起きるきっかけは精霊が関与しているということ。

ただ精霊は子どもの気まぐれも同然でころころ変わる。

ある時は地だったり、またある時は光、またまたある時は木…

これはその土地の気候や、魔術にも影響があるので、

予測できるものならしたいのだが、何せ規則性がない。

ので、これを真面目に記録しても無駄に等しいのである。

「はーあ、こんなことしてるよりもあのお兄さんにかまいたかったのに。

 あのお嬢ちゃんも結構面白そうだしねぇ…」

メリッサは笑うが、どうもこれから何か意地悪なことを仕掛けようとする

いじめっ子の笑みにしか見えない。

あれこれどうかまってあげようか、メリッサが考えていると…

 

コンコン

 

突然ドアをノックする音が響く。

「はぁ〜い、誰?」

メリッサはわざと媚びたような声で言った。

食事の時以外は部屋に出たが、多分今は昼。

こんな時にここに来る人はかなり珍しいからだ。

「私だ」

それはとても聞き慣れた、名目上は上司の声だ。

「隊長さんか…開いてるわよ」

ガチャと扉が開く。入ってきたのはカルミアだった。

「レポートは出来上がったか?」

「出来たわよ。ここ一週間分のね」

メリッサはレポートをカルミアに渡すと、パラパラとページをめくっていく。

「本当にバラバラだな…一貫性がない」

「当たり前でしょ!?属性変動なんて子どもの気まぐれみたいなもんよ。

 記録していても無意味だし、規則性による予測は不可。

 おまけに当日の予測すらもままならないのに、何になるのよ」

メリッサが怒りながらグダグダ言っているが、カルミアはそれを無視し、

ただひたすらレポートを見ている。

「ちょっと聞いてるの?」

「…あの事件の日は闇が強かったのか」

「は?あの事件って…」

「地下道のヤツだ」

「ああ、アレね」

メリッサはしばらくレポート書きなどに夢中で、ここ数日間の出来事など

すっかり忘れ気味だった。

「確か、メリッサの推測だとここの土地は火と風と光の割合が強いとか

 言ってなかったか?」

「まあね。でも、それは基本属性と特に属性変動が多かったヤツだし…」

「ここの基本属性は光だったな。それに四方を結界が守ってる。

 その結界に使用している属性は四大元素…」

カルミアは一人話すが、メリッサはつまんなそうな顔をしていた。

「なに基本的なこと言ってんのよ。

 けどよく結界に四大元素を用いようとしたわね、この街」

「何か問題でもあるのか?」

メリッサは再度溜め息をつく。なんて溜め息がつくのが多い日だと、

我ながら疲れていると思わんばかりだった。

「大有り。四大元素を用いた封印って、バランスが取れてて使い勝手がいいし、

 補修も楽だし、いろいろメリットがあるわ。

 でも、それはどこか一箇所でもダメだったら効力を発揮しないことに他ならない、

 言わば諸刃の剣ってわけ」

メリッサの説明を聞いているのかいないのか、カルミアはただレポートを見ていた。

「…ねえ、今の説明聞いてた?」

「聞いていた」

カルミアは即答だった。ここでメリッサが一つ嫌味か何か言えば、

いつもの乱闘騒ぎが起こるのだが、メリッサはどうも言う気がしないし、

言っても無視か軽くあしらわれそうなのでつまらない。

メリッサにとって、今のカルミアはいつものカルミアではないのだ。

「何か調子狂うわねぇ…何かあったの?」

そう尋ねると、カルミアはレポートを閉じた。

「…エルミナ様が戻ってこられた」

「エルミナ…ああ、あのいなかった第一王女サマね。

 アタシ、会ったことないのよねぇ」

「会ったことがない?」

「そうよ。アタシがヴァルキューレに入ったのはちょうど一年前だけど、

 その時はもういなかったし」

「そうか…」

カルミアは呟くと、部屋を出ようとする。

「レポートごくろう。後は休んでもいいし、研究を続けてもかまわないぞ」

パタン…

そういい残し、カルミアは部屋を出て行った。

「何よ、あの淡々とした言い方は。つまんないじゃない」

メリッサは再度椅子に腰掛け、背もたれに寄りかかった。

「…そういえば、‘アイツ’どうしてるんだろ…」

呟いた先に思い返すは、自分が最も派手にやっていた時期。

‘ヴァレンシスの魔女’と呼ばれ、闇で暗躍していた時に最も関わりがあった者と…

 

エルミナは中庭でエミリアと向き合っていた。

久しぶりに話がしたいし、中庭のバラも見たいからと自分から持ちかけたのだ。

中庭は広いし、あまり人はいない。だから選んだ。

「…一年ぶりだね、こうやって二人だけで話す時も」

エルミナが最初口を開くが、エミリアは黙ったままだ。

エルミナは困った。エミリアが怒っているのか何を言うのか迷っているのか、

はたまたこんな姉とはしゃべりたくないと思っているのか、

いろいろな見方で取れるからである。

「んー、なんて言うかさ…その、ね。悪かったとは思ってるよ。

 勝手に旅に出るの一言だけでさ、国出ちゃったの。

 目的も何もかも告げずに…ね」

次第に言葉が詰まってきた。本当に自分が悪いのはわかっている。

第一王女としてやるべきことも、何もかも逃げるように旅に出た。

出る間際―あれは月夜が綺麗な晩だった―エミリアに見つかり、

旅に出ると言った時、ひどく問い詰められたものだ。

何処へ行くのか、何時戻ってくるのか、何のために…

エルミナはそんなの考えていなかった。何のためにかは除いて。

それは…世間を見てくること。

元から、姫であることに反発していた。

だから剣を習ったし、国王である父を‘父さん’と呼び、口調も姫らしからぬ、

そしてよく城下に行っていた。

そこで見たものと、旅に出て見たものはあまり大差がなかった。

自分の力でどうにかなること、ならないこと。

上から見たのでは絶対にわからないこと。

幸福は様々な形があり、決して平等ではないこと。

そして…どんな場所でも必ず闇はあること。

いかに現実がいかに残酷で無慈悲なのか、

だが、反面そんな悲観的に見るものではないことを知った。

それが、現実を成り立たせているのだと。

「姉さん、どんなものを見てきました?」

エミリアは尋ねる。その時のエミリアのは僅かに笑みを浮かべていて、

その優しさは変わっていないことに、ふいに笑みがこぼれた。

「いろいろなもの見てきたよ。キレイなもの、汚いもの…

 でも、それ以前に自分の力には限界があるのがわかった。

 他の国に行って一人の旅の女剣士の立場になって、初めて知ったこともある。

 けどね、一番わかったのは…どんな場所にも闇があることだ」

「闇?」

「…人間誰だって負の感情はあるさ。人を蔑んだり、憎んだり、裏切ったり、

 嫉妬したり…だけど、それは必然なんだ。理不尽だろうけど」

すると、エミリアはやるせない顔になる。

「おかげで不幸な人はいる。けど、アタシは不幸があってこそ、

 幸せがあるんだと思う。光と闇が二つ揃って、初めて世の中が成り立つ。

 人は…弱くて、嫌なものを見ようとはしないから」

ハラ…

そこへバラの花びらが一枚風に乗って、目の前の地面に落ちた。

エルミナはその紅い花びらを拾う。その紅がとても綺麗だった。

「だったら…姉さんはあれをどう言うんですか?

 あの時の、二年前の、私があまりにも知らなさすぎたばかりに起こった…」

エルミナは全てを察した。エミリアは今にも泣きそうな顔をしている。

初めてエルミナはここでわかったのだ。どうしてエミリアが何も言わないのか。

それはあまりにも忌まわしく、また自分が旅に出た一番の要因でもある、

悲しい出来事。おかげで自分は変わった。

そして…

「…エミリア、槍出してみな」

「姉さ―」

「いいから」

エルミナに強く言われて、エミリアは槍を出した。

「それで舞って。鍛錬術、一の舞でいい」

エミリアは言葉に従い、静かに舞い始めた。

華麗で優雅、だがどこか儚く虚しい舞。

その様を見ていて、エルミナは切実に思った。

 

 

―妹もまた、変わってしまったのだ―

 

 


  BACK  MENU  NEXT