星の翼
後編
石の柱に触れた影が薄く引き延ばされて落ち掛かる。 「本当に神殿が出てきてやがる」 シェゾがラスアラスの後ろで呆れとも感嘆ともつかず独りごちた。 町を出た時には光が降り注いでいた地上も、今では音無く闇が降りている。黒天を突いて月を背負い、蒼白い月影に濡れた神殿(ピラミッド)。粛然が神秘を通り越して険悪。そこはまるで文明の墓標。 「来たことあったんだ?」 「何日もうろついてたからな。一応この辺りも通ったはずだが」 靴音が近付いてくる。 「本当にアンタが鍵だったらしいな」 鍵。 ラスアラスは眉間にシワを寄せた。 何故かしっくり来なかったのだ。 目は神殿へと縫いつけられたまま。ケツァルコアトルに逢えると思うと心が躍るのに、ここに入らなければならないのかと考えると胸の奥がキリキリと軋む。 ……変な気分。 「行きましょうか」 だが立ち止まってもいられなかった。 石柱から離れる。 「その前に、」 数歩先で立ち止まる。 「シェゾさん、腕輪返してください」 ずいっと手を伸ばした。 シェゾの隣でアルルが彼を見上げる。 肩の上でカーバンクルも同じく彼を見上げる。 シェゾは渋顔で懐中から取り出した腕輪を投げよこしてきた。 「多分、お昼に休憩した時ですよね。暫く気付きませんでしたが」 「……シェゾ〜」 「ちょっと借りただけだ。大体不用心だろう、簡単に獲られる方が悪い」 目くじら吊り上げるアルルに、声を濁らせるシェゾ。スリの技量まであるなんて、どこまでも嫌味だ。 腕輪をつけ直し、ラスアラスははたと手を止めた。 「シェゾさん、これに何か細工でもしました?」 「いや、なんもしとらんが?」 「…………」 もう一度見る。が淡い輝きは既に消えていた。 (アルルさんの時と同じ……) ケツァルコアトルの紋章が刻まれた腕輪。ケツァルコアトルの神官である証。 そして神獣へと辿り着く手がかりの一つ。 神獣への扉を開く『二つの鍵』。 恐らくこの腕輪は違う。ならば……。 じっと見つめていた彼女は急に向き直り神殿へと歩みを進めた。 取り残されたアルルとシェゾが顔を見合わせ、後に続く。 「ねぇ、大丈夫なの?」 アルルが小走りでラスアラスの横に並ぶ。 「まだわからない事はたくさんありますけどね」 「鍵は?」 「それもまだ。でも、」 「何だ? 神殿に入るためにはコイツの力が必要なんじゃないのか」 その隣、やはり早足で追ってきたシェゾがアルルに問う。 「それだけでは不十分なんです」 「『二つの鍵』が必要なんだってさ。あと『黄昏に生まれ暁に死ぬ者』?」 「……んなことが」 「それらが何を指し示すのかはまだわかりません。でも、」 前を向いたまま。一歩進むごとに全貌を表してくる石の神殿。 逃げることも消えることもなく、待ちわびるかのように。 「このまま行けば、わかりますね」 ――導かれている。 ということならば。 『翼ある蛇(ケツァルコアトル)は星の運命に目覚め、世界を見守る』 高く聳える扉。 固く閉ざされたそこには装飾の一つもなく、のっぺりした石の表面。ただ一つ刻まれた古代文字ですらない文字が三人を迎えた。 いつのものかもわからない文字。だがその意味は確かに脳髄へと響いてくる。 ラスアラスが腕輪の手で触れると、地響き一つなく神殿が道を空けた。 夜風に吹かれる細砂のごとく扉は消え去り、阻んでいたことこそが幻のように。 ――運命……。 静寂の中、シェゾの呟きが聞こえた。 □ ■ □ 「なんかすんなり入れちゃったね」 階段を煌々と照らす光の下。術者である真ん中の少女の、眼差しまん丸な声が壁に反響した。 上へ上へとひたすら続く階段。光の境界より先、闇の中では神殿内どこも同様なのだろう、壁が不思議に蒼白く浮かび上がっている。 月の輝きを吸収したのか、それとも太陽の名残か。どちらにせよそれだけの光源では足下がおぼつかないので、アルルの魔導に頼っているというわけだ。 「不安はありましたが、大丈夫だったみたいですね」 「結局鍵ってなんだったのかな」 「さぁ……」 何となくわかったような気はする。だが確信しているわけではないし、そもそもそれらの正体がイマイチ良くわからない。 「でも入れたということは、私達が既にそれを持っている、ということなのでしょう」 差し当たり今のラスアラスに言えることはそれくらいだった。 アルルの足下でカーバンクルが階段をよじ上りながらトコトコ飼い主についてきている。 時々置いて行かれそうになったり転げ落ちそうになったり。 たまに上り損ねてころんと転がり、むっくり起き上がっては負けじとついてくる。 「で、お前はどこに向かって進んでるんだ?」 見かねたらしいシェゾがカーバンクルを拾い、下から問うてきた。 首根っこをつかまれたカーバンクルは嫌がってジタバタしているが、彼はお構いなし。 そういえば。 列の先頭を進んでいた彼女は顔を上げた。 立ち止まりそうになって慌てて足を前にだす。 階段は急、壁の反対側は底なしの吹き抜け。危ないのだ。 障害物も、生き物の気配さえない神殿。 その内部は広く廊下は分れ……それでもラスアラスは迷いなく階段を探し当て上っている。 何故? 「とりあえず上ですか。宝は最奥に、がお決まりですし」 今思いついたのだが。 「安易だな」 「アルルさん、足下気をつけてくださいね」 言いながらカーバンクルを放るシェゾ。 彼の言葉は無視。ラスアラスは前を見たまま目を細めた。 狙いは的確、アルルの頭へぽてりとカーバンクルが落ちる。 「シェゾさんは、」 階段の終わりが見えていた。 「アルルさんのスカートの中、覗かないでね」 危ないのに、アルルがシェゾを蹴り倒す音が後ろから聞こえた。 「アイツ俺のこと恨んでるだろ」 「それはまぁ否定できないね」 がらんどうな部屋の入り口。 辛うじて転落を免れたシェゾが鼻を押さえてぶつくさ言い、隣でアルルが腕を組んでいる。 「ところで……見たの?」 「見てねぇ言掛りだ!!」 背後のやりとりを聞きながら、ラスアラスが部屋の中央へ進み、気付いたアルルが光を高く掲げる。 音なく登る魔導の光。照らし出される灰色の壁。 「へぇ……」 「わぁ……」 光が天井付近で止まると同時、溢れる嘆息。 一つの歴史。幾つもの時がそこにあった。 語られることなく埋もれ、隠された古(いにしえ)。 現在となんら代わらぬ万古の風景――祭り、礼拝、街の人混み。血生臭い光景――戦争、殺戮、人身供儀。神話と伝説――妖精、神々、英雄。枯れない花が咲き乱れ、耐えず血が流され、死なない人々が物語を紡ぎ続ける。 祈り・願い・企み・恐怖・悲嘆・畏敬・生・死。冷たい薄硝子の瞳で言葉無く見下ろし語りかけてくる閉じこめられた時代の影。 迂闊に触れれば皮膚を裂き流血させる薄硝子。しかし叩けば簡単に砕け散る薄硝子。それさえも芸術と同化し、完璧な美を造り上げている。 「それがケツァルコアトル?」 「ええ」 壁画を一覧し、アルルがラスアラスに近付いた。 見上げた壁には翼を有した巨大な蛇。美しい翼を広げて頭をもたげ、体をうねらせ……、 「この人は?」 「ああ、ケツァルペトラトルですね」 ケツァルコアトルが見つめているものに気付き、アルルが訪ねる。 描かれていたのは一人の女性。翼ある蛇へと両手を伸ばし、愛しい者を今抱き締めに行こうかというところ。 「古の神官です。ケツァルコアトルの。ケツァルコアトルに魂を捧げ、悠久を手に入れたと言われています。ケツァルコアトルと魂を共有する者。彼を守り、成長を助ける役目をしていたとか」 「へ〜、何かラスアラスに似てない?」 「え、そ、そうですか?」 「要は生贄だろう」 何故か顔を紅くして手をパタパタしているラスアラス。 重苦しい尊厳の中で、一輪生花が咲いたような空気に男が横槍を入れてくる。 アルルがきょとんとした顔で首をそちらに向け、ラスアラスは半目で方眉を上げてシェゾを睨め付けた。 「ケツァルコアトルは生贄の要求なんてしません。強いて言うなら……」 壁画に向き直る。 「神獣の花嫁、というところでしょうか〜」 「…………」 ラスアラスは声をうっとりと目を輝かせ、シェゾは斜め目線を白けさせて彼女を見ていた。 「ケツァルコアトルはとても穏やかな性格をした神獣なんです。争いは好まず、生贄なんてのも望みません。綺麗な蝶や鳥の羽は好きだそうですけどね。ひとたび平穏が壊されれば悲しみで自らを焼き殺してしまうほど繊細。だからこそ誰かが側にいなくてはならないのでしょう」 「弱そ……」 「アルルさんなら――、」 くるりと横を見るとアルルが忽然と消えていた。 部屋を見回す。 と、いた。 カーバンクルを拾い上げて別の壁画を眺めている。 「ねぇ、これって……」 足早に駆け寄ると壁画を指をさした。 虚をつかれたように、重い空気が舞い戻り目眩がしてきそうな静けさ。 「時の女神と闇の魔導師……」 押し殺されたはずのシェゾの声がやけに響く。 何故だかはわからないが、一様にそう感じていたことはわかってしまった。また、胸の奥がキリキリと痛む。 他の伝説に溶け込むように描かれていたはずの戦いは、そこだけが疎ましい現実感を帯びた鮮烈さで網膜に焼き付いてきた。 むせ返るような血臭の錯覚さえ漂わせた惨憺たる地獄絵図。その中にただ二人生き残ったように立つ女と男。睨みあい威嚇しあい縛り付け、手にした杖が、剣が終わり無き抗争を暗示する。 「『闇の魔導師現る時、時の女神降り立ち闇を滅ぼす』」 たったそれだけで語られる伝説。前もなければ後もない。その一言が始まりでありその一言が全て。 予言めいた説話。当たり前のように語られる光と闇の対立。その代表。 「具体的な形として残っているのは初めて見るな」 抑揚ないシェゾの言葉にアルルが頷く。 彼の薄い視線とは対照的に、そこから何かを見出そうとするような彼女の視線。苦境にも屈さない強い金無垢眼は黒い魔導師を見据えている。 「壊され行く平穏、ね。ケツァルコアトルが自尽するなら紛れもなく――」 「シェゾ」 続く言葉をいつもより低い呼声が遮る。 「勝手なこと考えたら、許さないから」 「…………」 彼女の声には不安と苛立ちがひとしずく。 彼を黙らせたアルルの口調が戻る。 「でもこの女神様、ボクが本で見たことある人とは違うんだよね」 光球が高度を下げる。 一歩踏み出し、女神の相貌を凝視した瞬間苦虫を噛みつぶした顔になるシェゾ。何も言わないまま二人に背を向け、すたすたと奥へ行ってしまった。 怪訝そうに彼を見ていたアルルだが、諦めたように壁画へと戻る。 「やっぱり時の女神って一人じゃないのかな? ……何だか哀しい感じのする絵だね」 「そうね。けどこれを描いた者達は全てを知っていたわけではないわ」 耳に届く声は本当に自分のもので自分の言葉だろうか。 明かりに照らされた凜とした表情の女神。 どこか少女めいた雰囲気が漂う絵の中の彼女。生前は光を纏い誰からも愛されていたはずの。 「この戦いは誰も生き残らない」 そう、死は全ての者に平等だった。 "これは何度目の悲劇?"意識の奥底に広がる哀しい嘲笑。 隣を見るとじっとこちらを見ている瞳と目が合う。 彼女の背後、向うの出口前。酔いでも覚ますかのように頭を振った男魔導師が、腰に手をあてて暗い天井を見上げている。 「行きましょうか。彼も待ってますし」 自分の中で蠢くものを押しとどめ、ラスアラスはアルルに微笑んだ。 □ ■ □ 最後の扉も腕輪の手で触れれば何の問いかけも抵抗もなく三人を受け入れた。 階段を上った祭壇の上、天井から漏れる白光が集まる一点。見下ろしたアルル、シェゾ、ラスアラスは言葉を失う。 「石から生まれてくるものなのか? ケツァルコアトルって」 半分は皮肉、もう半分は心底訝ってシェゾが問い、絶望した表情でラスアラスが祭壇へと寄る。 「まさか、こんなことって……」 お決まりのように、卵は確かにそこにあった。受けた光を柔らかく反射させていた。 ただし、灰色の石と化した卵が。 触れればそこから体温を奪い、心身をも凍らせる。 ――冷たい。 ラスアラスは思わず手を離した。 「どうして? ここまで辿り着けたのに」 「わからない。どこかで間違えた? 目覚めるのが遅かった? ……わからない」 アルルの困惑に頭を振る声は僅かばかりの熱さえない。 感じていたのは幻想だったのか。 石の神殿に満ちた無気力な溜息。 「出ましょう。私は街に帰ります。もしかしたら何か見落としてるかもしれませんし」 「そっか……」 ラスアラスがいつもの声様で沈黙を破る。 物淋しげなアルルの微笑。別れが近い事を思い出した。魔導師とはいえ彼女は学生なのだ、長いこと引き留めているわけにもいかない。 目元を緩め、ラスアラスも軽く肩を落とす。 「で、あれはアンタのご先祖様か?」 と、響いた男声。 見れば斜め後ろでシェゾが階段の下を眺めていた。 視線を追うと暗がりの奥、確かに何かいる。 目を懲らせば僅かな明かりに浮かび上がる人形。見ている間にもぽっぽっぽっと人魂の中から現れるのは、ぼろぼろの民族衣装を着た戦士達だった。枯れ乾いた土色の顔に目はなく、冥府を想わせるただの虚(うろ)。しわくちゃの口からは黄ばんだ歯が覗き、黒曜石を刃に槍や剣、丸盾を持って、その数、数十。 『げっ』 目を剥いた女二人の声がハモる。 「違うと思いたいですけどそうみたいです」 「全員消しちまっていいだろ? あっちの仲間入りは御免だしな」 こんなの聞いてない。 叫びたい気持ちを抑えて引きつった笑顔で答えると、向けられていた蒼眼が再び暗がりを臨んだ。 言ってることの物騒さとは正反対、涼しい無表情で宙を撫で、次瞬その手には剣が握られている。 止めても行く勢いだ。 「アルル、行くぞ」 「はいはい」 見ている間にも着々とミイラ達は増えていく。 呼ばれた少女が踏みだし、 「アルルさん」 しかしラスアラスが呼び止めた。 振り返ってくるアルルに杖を投げ、その手に収まらせる。 「これ……」 「使ってください。無いよりはマシでしょう?」 私だってあっちに加わるつもりはありません。 意思表示。 「ありがとう。ラスアラスはここにいて卵守っててね」 微笑に闘志が宿った。 前を見彼の隣に並ぶ彼女。戦いを目前に二人の"戦士"。一度滅びた戦士達が動き始め、合図はなく、しかし図ったように同時に飛び出す魔導師二人。 ブーツの底が地に着いた半瞬、床を蹴る。 「あなたは行かないの?」 生者の唱声、声無き死者の雄叫び。爆発音が連なり、響く剣戟。 階下ではアルルの呪が枯れ骸を討ち滅ぼし、シェゾが斬りつけては焼き払っている。 自分の周りに結界を張りながら、ラスアラスは足元を見た。 彼女を見上げていたカーバンクルが一声鳴いて片手を挙げる。 「一緒にいてくれるのね? 頼もしい」 ここにも戦士がいたらしい。 破顔し、戦場へと目を向ける。 ――多っ。 途端、改めて敵の多さに呆れ返った。一体どれだけのご先祖様が彷徨っているのか、ここまで来ると悲観的にもなれない。それどころか心配なのは今は生きている仲間の方。二人は確かに強かった。現に今も数体ずつ纏めて葬り去っていっている。が、数の脅威は偉大。 接近戦も得意なのだろう、剣と魔導を駆使し戦っているシェゾはともかく、押し合い圧し合いして徐々に彼から離されついには壁を背に戦うはめになったアルルは少しばかり危うい。苦戦、というまでは行かないようだが、こういう場合は圧倒的な優位に立ってこそ余裕が生まれるものだ。 何やら嫌な予感がして見ていると……、 (……ちょっと!) ラスアラスは目を見張った。 アルルが背中を預けている壁際、突然亡霊が消えた。 というか、壁にめり込むように姿を消したのだ。 (何アイツら、壁抜けもできるわけ!?) 知能はなさそうだがそれくらいは思いつくらしい。 標的は勿論、 「シェゾさん!」 一瞬構え迷ったが、ラスアラスは目を吊り上げ声の限り叫ぶ。 援護するにはここからでは遠すぎる。 気付いたらしい男が彼女を一瞥、そして横を見た時は数体目が壁の奥に消えたところ。シェゾが顔色を一気に変えた。 彼の後ろ、亡霊が黒刃の剣を振りかざすのが見える。 「アルルさんを!!」 「分っている!!」 構わず叫べば怒鳴り返された。 シェゾが半身ずらして振り向き斬り上げる。亡霊の胴を銀影が薙ぎ動きを留め、裂傷から乾いた砂のように崩れる実体のない身体、塵と消える前には走り出している。 アルルに目を向けると、その背後、不吉な影が浮かび上がっていた。 不幸にもアルルは気付いていないのか。いや、気付いていたとしても挟み撃ち確実。ラスアラスは咄嗟に呪を唱える。防壁魔法は……間に合わないかも知れない。なら――。 意識が削がれ、自分を取り巻く緑光の壁が薄れていく。が、続ける。 シェゾが攻撃の手を休めぬまま、死に損ないの間を駆け抜けていく。斬り捨て叩き割り暗炎を呼び滅していく。 もう一つ! アルルの背、壁から幾つもの手がぬっと伸び――、 (間に合いなさい!!) 枯枝の腕が魔導の少女を捕らえた。抵抗ともがく少女。壁に引きずり込もうと力を掛けた瞬間、眼前で起こる爆発。 そして一拍、黒煙から突き出た白袖の腕がアルルをそこから引き剥がす。白い胸が受け止め、茶色の頭を庇って抱え込む。据わった蒼の眼差しが一睨み、呼吸も入れずに一閃。 階段の上、歓喜を込めてラスアラスはぐっと両手を握った。 薄まる煙、アルルを抱き竦めたシェゾ、眼前石壁には深い剣痕が残っているのみ。 唱えた呪文は二つ。一つは速力上昇魔法。もう一つは、これは完全に賭けなのだが道を作るための爆発魔法。シェゾを巻き込む可能性もあったが、彼ならばなんとかするだろうと全てを託した。 彼の肩越し、目を白黒させていたアルルと目線が合う。 期待に応えてくれた彼に盛大な拍手を贈りたい気分! 「ラスアラス!」 体を起こした彼女に強ばった声で呼ばれた。 笑みを引っ込ませ、一瞬遅れで振り返る。 いつの間にか亡霊が一体立っていた。得物をかざして。影を落として。 ――死? ミイラがニヤリと笑ったようだった。 障壁はとっくに消えている。杖もない。 漠然と思った矢先、赤い光線が亡霊の頭部を貫き、振り下ろされた刃がぴたりと止まった。止めたわけではなく、止まった。 死体の中心から光が溢れ、ぼろぼろと崩れていくその向うには少女魔導師の姿。 「はい、杖ありがとう」 笑顔で杖を返される。 訳が分らないまま受け取り階下を見ると、最後の数体を始末したシェゾの澄まし顔。 転移魔導。 速力上昇の効果が残っていたのか。どうやら彼の仕業らしい。 「カーくんもラスアラス守ってくれてありがとうね」 「ぐ〜ぐっ!」 「もしかしてさっきの光線……」 「カーくんの。間一髪だったね」 カーバンクルを抱き上げるアルル。 ラスアラスは祭壇にヘナヘナと寄りかかる。気が抜けた。肘が何かに当たる。 卵。 「卵も無事みたい」 「ええ、良かった」 息を吐き卵を持ち上げ――重っ。 けど何とか持ち上げる。 不意に目眩のような感覚に襲われた。気のせいじゃないのか、アルルもきょろきょろと辺りを見回している。 「おい、何だ?」 更には階段を上ってきたシェゾまで柳眉を寄せて天井を見上げた。 その目がゆっくりとラスアラスへ降りていき、卵を捉え、 「お前……」 「え、もしかしてラスアラスが卵取っちゃったからなの?」 「というかその卵、ここで孵らせないといけないんじゃないのか、と思ったんだが」 『…………』 「あ、そうかも!?」 「くぉら」 シェゾの視線がこれでもかというほど冷たくなり、ラスアラスが首を竦めた。 そうしている間にも微動は鳴動へと変わり、ぱらぱらと石まで降ってくる。今まで静閑と立っていた神殿が鳴っている。 「沈んでるな」 「どうする? 入り口、下だよ?」 「間に合わんな」 こういうのには慣れている冷静な問答。 「アルル、障壁張っとけ。何が落ちてくるか分らん。……転移するぞ」 シェゾの言葉にアルルは素直に頷いた。カーバンクルを肩に乗せ、ラスアラスを支えるように屈み込む。揺れが大きくなっているのだ、まともに立っていられなくなるのも時間の問題。 淡い光の壁が二人を包む。耳の奥に響く重低音。耐えるようにラスアラスは目を瞑り、縮こまる。肩に置かれたアルルの手、その上にシェゾの手が重なったのが分った。低い詠唱が轟きの中耳に届く。 ……不思議な感覚だった。空間転移の、あの一瞬重力を失った感覚ではなく別の。 全身で感じ瞼の裏に見えた気の流れ。 仄かに輝く光の翼。包み込む闇の翼。 呑み込んでいるのではない。その証拠に光は闇の中で同じ輝きを保っている。優しく、穏やかに、共に。 やがて光と闇は収縮を始め、絡み合い、しかし混じり合うことなく、光は光であり闇は闇であり続け、輪廻のように廻りながらラスアラスの中へ落ちてくる。 その体をすり抜け、光と闇は卵の中へと―― 気付いたとき辺りは真っ暗だった。 外に出られたのだと分ったのは風が吹いていたことと、空に輝く星があったこと、そしてアルルと向き合うシェゾの背後、遠くの空が紫に染まっていたこと。 徐々に退いていく青闇。広がっていく光明は赤への、そして黄金への兆しを見せる。 ラスアラスは顔を曇らせた。 向かい合い睨み合う男女。その場景があまりにも異様に見えて当惑する。 口を開きかけ、そして思い出した。 腕の中の重みと、彼の目的。 ケツァルコアトル。 ――パキ 守らないと。 彼女は卵を抱き締める。 守らないと……。 ――パキッ 薄闇の中で響く音。 ラスアラスは腕の中を見下ろした。 「アルルさん!」 大地を染める黄金の色が強くなり、影を伸長させる。 後方からの声にアルルが振り返ると、突っ立っていたラスアラスが空を見上げた。 つられて視線を追った刹那、凄まじい唸りと共に猛風が興り、光が遮られ横切る長大な陰影。 悠然と羽ばたく純白の翼。強き陽光を奔らせ、紅へ、銀へ、翠へ、黒へ、鮮やかに色を変えていく蒼鱗。全身をうねらせ天空を行く崇高は、凛々しく端麗。 ケツァルコアトル。 美しき翼ある蛇は僅かに首を巡らせる。 翡翠の瞳にアルルとシェゾを映しそして、 暁に向かって高々と啼いた。 「……骨折り損」 羽音が遠ざかり、空気を震わせながら小さな点になっていく神獣。 未だ漂うぽかんとした放心状態がその一言で覚醒する。 三対の双眸が一斉に向けられた先、いつの間にかアルルの隣にいたシェゾは何故か愉しげな笑みを湛えていた。 くるりと顔をこちらに向け、 「帰るぞ、アルル」 痩躯を反転、歩き出す。 呆気に取られたアルルが次第に顔をほころばせて嬉々と彼に続き、二人に続こうとラスアラスが足を踏み出す。 ――パキッ しかし立ち止まった。 足元に目を向けると石片に混じり白い殻。 前を見ると遠のいていく二人の背中。 (あぁ、そうか) やっと分った。 やっと思い出した。 アルルとシェゾ、二つの鍵、生と死、黄昏に生まれ暁に死ぬ者、時の女神と闇の魔導師……光と、闇。 ――『調和』。 星が望むもの、ケツァルコアトルが必要とするもの、それは根底の『調和』なのだ。そう、光と闇の調和。 世界は幾度となく死に、世界は幾度となく生まれる。 廻る歴史。めぐる時代。 夢を追い理想を求め、しかし手に入れたのは古の幻影。 幸福は炎の中に消え、見渡せば報いと荒れ果てた野を残すのみ。 何を誤ったのか。思い巡らせど答えは出ず。星の哀しみには気付くことなく繰り返し。 真実を知るものは誰もいない。 人は一人では生まれず、世界はそれ限りでは存在しえない。 『対立』は確かに均衡だが『調和』にはなりえない。 ケツァルコアトルが平和と繁栄をもたらすのではない。ケツァルコアトルは調和の証。だから彼は光と闇の死と同時、世界が無に還る瞬間、自らを滅ぼし世界を見放す。闇がもたらす浄化の後、自らも消え去る。彼の均衡たるケツァルペトラトルと共に。 だが人々は気付かない。望んだ運命、望まれた運命、己らの想いでねじ曲げ対立の均衡へと変えてしまう。 彼らの運命は人の業にて壊される。 星と世界はいつの時代もすれ違う。 それでも、 ――世界に、彼らの運命は勝てないと思う? (まさか) 可笑しげな彼女の、ケツァルペトラトルの問いにラスアラスは笑う。 ケツァルコアトルと魂を共有する者。過去の自分でありその記憶。 (光あるところに闇はあり、闇あるところに光はある) ――それは自然の摂理 悲しみは繰り返され、星は嘆き続けた。そろそろ終わらせてくれる者達が現れても良いはずだ。 望まぬ輪廻、突き崩してくれる者が現れても。 ラスアラスは目を閉じる。 (歴史は変わるわよ。絶対) ――それを彼らが望めばこそ 星のため、何より愛するケツァルコアトルのため。 そして、救うことのできなかった魂達へ、せめてもの鎮魂歌を。 でなければ一族が滅びた後もこうして存在していた意味がないではないか。 彼女はいつでもケツァルコアトルと共にある。彼女もまた、光と闇を見守る存在。 陽光が強くなりラスアラスは目を細めた。 (彼女達なら、変えてくれる気がする) 否、もしかしたらそれは既に始まっているのかも知れない。変革は既に。 明け始めの闇に包まれた極彩色。遠くの光に抱擁された二人の後ろ姿は、誰かの影が重なっていた。 選択肢は二つに一つ。選択権は彼らの手にある。 調和と共に存続するか、対立の後に浄化となるか。 星の願いは、 『貴方たち次第』 微笑みは遙かな光に溶けていた。 「あれ?」 アルルは歩みを止めて振り返った。 風が吹き抜け細かい砂が舞い、しかしそこには誰も居ない。 共に旅をしてきた女性の姿はどこにもない。 「やっぱり消えたか」 先を歩いていたはずのシェゾが隣に並んだ。 「やっぱりって?」 「故郷が北にあるとか言ってたろ。翼ある蛇を祀った街、確かにあった。地底に埋まった巨大な都市遺跡がな」 「…………」 「ケツァルコアトルのことはそこで知ったんだよ。死した後も彷徨い続けてたんだろうな、恐らく。どんな栄光にも黄昏は訪れるものだ、『黄昏に生まれ暁に死ぬ者』……案外ヤツもそうだったのかも知れん」 時代の終わりに生まれ、その先を見ることが叶わぬ者。 シェゾの言葉には何の感慨もない。アルルはじっと遠くを見つめ、 「でもまた逢えるよね」 ふっと笑った。 「どうだろうな」 「逢えるよ、きっと」 今度はケツァルコアトルが去った方を見る。 遠くの空、太陽の方角。 あの影はもう見えない。 「行こっ」 振り向きシェゾの手を取った。 彼が観念したような苦笑の嘆息をもらし、 陽と陰に飾られた星の片隅、光と闇が再び歩き出す。 FIN |
story by 華車 荵 |
あとがき 何とかギリギリに投下し、しかし推敲したときは大遅刻ですorz しかも長い。 一度冒険物を書いてみたいな〜。オリキャラから見たシェアルも書いてみたいな〜と思い、全くの妄想から生まれましたこの作品です。あまりラブラブではありませんが、シェアル大前提(何) 時の女神と闇の魔導師の設定は……角川小説殆ど読んでないので勝手に解釈しました。 ケツァルコアトルとケツァルペトラトルが実際の伝承とは全くの別物に。本当にすみませっ;; ケツァルコアトル関係は色々嘆かわしいことになってしまいました。あまりにも壮大すぎて詰め込む余裕もこじつける余裕もありませんでした。伝承の扱いって難しいですね;; アステカにはケツァルコアトルの人身供犠伝承もありますので、必ずしも生贄否定派とは言い切れない部分があります。が、私的には彼は穏やかな蛇であって欲しいと思います。 この理想と妄想を詰め込みまくった作品、もし良ければいつもお世話になってるこぱらに捧げます。 最後に一つ、作品執筆中にイメージしたことなのですが、 アルル(赤)&シェゾ(青)&ケツァル一族(緑)=世界の基盤、光の三原色☆(何) それでは、ここまで読んでくださった方々、心からお礼申し上げますm(_ _)m 誤字脱字・アドバイスなどございましたらお願いします。今後、精進の糧にします。 ※執筆時BGM 水樹 奈々『ETERNAL BLAZE』 |