未完成な音色11〜忘れ得ぬ記憶〜

 

 

―それは私の我が侭

 

 

「姫様、今日は少し難しい術の構築式でもやりましょうか?」

「はい」

相変わらずの授業風景だった。書庫で、ギルディスと二人きりの授業。

しかし、エミリアは上の空だった。

理由は二つ。まず、とうとう見合いの話が舞い込んできたこと。

ザフィゲルはまだ早いとして丁寧に拒否したが、それでもエミリアにとって衝撃が大きかった。

一国の姫として当たり前の話だが、まさか今頃からとは思っていなかったのだ。エルミナさえ16の時である。

二つ目はエミリアにも歌舞を教えられる時期になったこと。

歌舞は王族だけに伝わる特殊なもので、今回は二人の王女がいるということでエルミナが歌、エミリアが舞を担当することになっている。

歌舞を教えられるということはもう立派な大人という証拠でもあり、現に近くお披露目会ならぬ儀式もやる予定で、

エルミナが15の時もこの儀式をやったのを覚えている。

歌だけであったがとても綺麗で、その時自分は舞ではなく歌をやると言い張ってたものだ。

父が見合いを断ったのはまだそういうのは早いからと言った。

しかし、今度の儀式は大人になったというのを証明するものである。

エミリアは揺れていた。何故こうも矛盾するのかわからなかった。

 

(私は…一体…)

 

エミリアは思っていた。

 

『エミリア、あなたは好きな人と一緒になっていいの』

 

脳裏に母がよく言っていた言葉が蘇る。

母は素敵な人だった。

とても綺麗で優しく、政務の補助をしている姿を姉と二人で見て育った。

母のような人になりたい、そう思っていた。

 

あれを見るまでは―

 

母は恵まれた恋をした。

とある貴族だったのだが、両親が早くに他界して一人でひっそりと暮らしていたところを父に見初められた。

長い間付き合いがあり、とうとう父が母に結婚を申し込んだという。

しかし、貴族と言えども王族の父にはふさわしくないと反論があった。

それを父は巧みに周りを説得した。それは先王すらもだった。

だからこそ、母が言える言葉だった。周りが羨む恋愛、もちろん自分もそうだった。

いつも幸せそうに、母は口癖のようにあの言葉と唄を口ずさんでいた。

 

   『いのち短し 恋せよ乙女  

 

    紅き唇 褪せぬ間に

 

    熱き血潮の 冷めぬ間に

 

    明日の月日は ないものを』

 

恋の唄を歌っている母は綺麗だった。

純粋に、自分も母と同じような素敵な恋をするのだと信じていた。

 

でも、それは所詮子どもの夢。

 

母に隠された秘密の欠片。それを見た時、自分は母を嫌い、そして畏れた。

姉は母に関しては仕方ないと言って、それ以上何も言わなかった。

傍らで、姉は言葉の端々に王になることに反抗していた。

姉に対しても羨望があった。姉のような行動力と決断力と積極性、それに強い意志が自分にあったならばと。

自分にはないものを姉は持っていて、姉のようになりたいと思っていた。

そんな姉がいて、自分はどうなるのか?

多分どこかの国に嫁ぐのだと思う。父が政略結婚などしない人なのはわかっているが、どうなるかわからない。

もしくは宰相か…しかし姉は自分よりいろいろなことを知っている。自分が姉の役に立つかどうか自信がない。

そう思うと何だか自分が虚しく思えた。ただ気丈に、何もないように振舞っているしかなかった。

 

そんな自分も 余計虚しく思えてきたが…

 

「…姫様?」

「え?」

しばらく考えふけってしまっていたらしい。ギルディスが心配そうな顔をしてこちらを見ている。

「どうかなさいましたか?」

「いえ、何でも…」

「嘘ですね。姫様、何かありましたでしょう?」

ギルディスに見破られて、つい下を向いてしまう。

「そのように思い詰められていると、お身体に悪いですよ…私にお話してくれませんか?」

「ギルディス…」

優しく微笑んでいるギルディスに、

「実は―」

いつの間にか口を開いていた。

何故なのかわからない。気づけば、今まで思っていたことを全部吐き出していた。

無二の親友とも言えるフェンネルにも言ってないことまで言って、ギルディスは頷きながら話を聞いてくれた。

「…私、どうしてこんなこと考えるのか…」

「姫様、貴女様はもっと楽にしていいんですよ。そういうことを考える時期でもありますが…

 確かに王妃様のことは世間でもいろいろ噂にはなっています。

 気になることもお有りでしょう。ですが、姫様は姫様です。

 もっとご自分に自信を持ってください。貴女様は十分に素敵な方です。

 それと…ご自分のことに関しては、ゆっくり理解するのが得策です。

 ただただ自分自身を恐れるだけでは、何もなりませんよ」

すると、ギルディスはそっと手を取った。

「それに姫様、人は誰かを好きになることに制約などありません。

 ただ何時しかそれが策略の手段の一つに数えられてしまったことです。

 私は愚かしいと思いますよ。何故好きでもない相手と結婚しなければならないのか…

 姫様がそのようなことに巻き込まれるのを私は見たくありません」

「ギルディス…」

クスッとギルディスはエミリアに優しく笑いかけ、取っていたエミリアの手の甲に唇を落とす。

「貴女様は私がお守りします」

それ以来、自分の中でギルディスはいなくてはならない人になっていった。

 

 

―私はあまりにも無知だった

 

 

「リューゲル団長」

「ん?」

リューゲルが事務室へ向かおうとした時、ジェイドが声をかけて止める。

「どうした?」

「団長、実は先ほど大臣から連絡がありましてタレスの方で謎の傷害事件が起きているようです」

それにリューゲルは首を傾げる。

「傷害事件?何で騎士団に声がかかる。それは街の自警団にやらせるもんだろう?」

「それがどうもその事件…人ならざるものが起こしているようで」

途端、リューゲルが眉をひそめた。

「どういうことだ?」

「何でも、ある組織が何かを召喚する儀式を行って失敗し、その召喚したものが逃げ出して人を襲っているようで。

 今のところ死者が出ていないのが幸いですが、どうもタレスの自警団では手に負えないため出動を要請したようです」

「なるほどねえ…で、その召喚したものって何だ?」

リューゲルが問うが、本人もそれに答えるジェイドも真剣な顔だった。

「…悪魔、という話だそうです」

「!?」

リューゲルの顔が驚愕に染まる。

「おいおい、冗談キツイな。ここの国は悪魔術及び死霊術は禁止じゃなかったのか?」

「そうです。ですが一部噂によると、保管されている術書の複写が出回っていると…それがどこかの組織に渡って、儀式をしたが失敗。

 召喚された方は暴走という形で事件を起こしているようなのです」

ジェイドの報告にリューゲルはただ唸る。

「複写か…術書は盗まれていないんだろう?」

「はい、盗まれていません。王立図書館を調べましたが、機密書庫の封印は解かれていませんでした」

「そうか」

リューゲルは考えるが、すぐに決断する。

「よし、悪魔のレベルがわからない以上下手に出れない。ジェイド、お前と魔法騎士隊で早急にタレスに向かえ」

「了解しました。では、今日にでも向かいます」

ジェイドは敬礼し、立ち去ろうとするが…

「ジェイド」

「はい」

ジェイドが一度止まり、リューゲルを見た。リューゲルはまだ何か考えていた。

「お前…あのギルディスとかいう男、どう思う?」

「ギルディス…エミリア様に魔術を教えている者ですか?

 私の口から何とも言えませんが、悪い印象はありません。ただ…」

「ただ?」

ジェイドは一度黙るも、ゆっくり話す。

「掴みどころがない男です。底が知れぬというか…」

それを聞いたリューゲルは、

「わかった。すまんな、引き止めて。タレスのは気をつけろよ」

すぐに去っていってしまった。

 

 

「さってとv」

メリッサは夜風に吹かれながら、浮遊魔法を用いてタレスの上空にいた。

今日は新月。だが、灯りなど別になくても魔法で代用する。

「悪魔はどこかしらねぇ…」

妖しい笑みを浮かべながら、魔力で気配を探知する。悪魔独特の気配は魔力で簡単に察知できる。

メリッサは退屈しのぎと男の邪魔をしに悪魔を倒そうとしていた。

タレスの裏組織が悪魔召喚に失敗し、悪魔が逃げ出してから時間は結構経っている。

だが、召喚に失敗してその場にいた者達に大怪我を負わせた以外に何も起こっていない。

タレスの王立魔術会がすぐに避難令を出して結界を施したのが功を奏したのだろう。

しかし、それでどれだけ持つか…

「結界を施しても、暴走状態に陥って戦闘能力が著しく上がっている悪魔に対して、そんなに時間は稼げない。

 騎士団が着くのに最低一日はかかるし、到着した騎士団は魔術会から具体的な話を聞いていろいろ行動するし、時間はかかる…

 まあ、それでも結界は何とか持つみたいだし…悪魔の行動を制限する術も一応かけておいた魔術会は正解ね。

 他国の異種魔術に関しても情報収集しておいただなんて、今の王様もやるじゃない」

悪魔の行動を制限する術は、悪魔術を禁止しているヴァレンシスにおいて存在しない。

だが、他国から異種魔術という扱いで一部の制約術などは残っている。

「…でも、問題は騎士団が悪魔とまともにやれるかっていうことだけどね…」

メリッサはこのまま騎士団が悪魔と戦っても歯が立たないと知っていた。

暴走状態の悪魔など、そこらへんに現れる魔物とは比べ物にならないほど強い。

よって今まで雑魚を相手にしてきた騎士団がどうなるか目に見ていていた。

「まあ、あのカッコイイ副団長と化け物じみた団長ならいけそうだけど…」

メリッサがそう呟くと…

ザワッ…

急に風がざわついた。底知れぬプレッシャーを伴って、背後に気配を感じた。

「女よ、人間にしては魔力が強いようだが…何故ここにいる?」

若い男の声だった。自分と同じように浮遊魔法で浮かんでいるが、察知できる魔力は計り知れない。

メリッサは驚くが、すぐにまたいつもの妖しい笑みに変わる。すぐに、背後の人物が誰なのかわかったからだ。

「…アンタみたいな大物がこの街に何の用?」

「ほう、私が誰だか知っているのか…まあ、用と言っても野暮用でな」

メリッサは後ろを振り向かず、クスッと笑った。

「野暮用…それ、アタシにも関係してるかも」

そこでやっとメリッサは後ろを振り向く。そこには予想通りの人物が。

「本当、ここ最近ツイてるんだかいないんだか…まさか生きているうちに会えるだなんて思わなかったわ。

 魔界の貴公子さん」

メリッサの視線の先には、魔界でも恐れられている男がそこにいた。

 

 

同時期、タレスでの異変はイルシアにも伝わり、対策が練られ始めていた。

この日は国王・ザフィゲルと騎士団長・リューゲルとヴァルキューレ隊長・カルミア、宮廷魔術師団による緊急対策会議をしていた。

「…よって騎士団とヴァルキューレ隊による連携は必要不可欠であり、城下の警備の強化はもちろん、

 宮廷魔術師団による結界の強化も抜かりなくやってくれ。

 カルミア、お前の所のサフィニアと…リューゲル、騎士団の一部の諜報部隊を情報収集に当たらせてくれ。

 不穏な魔術師及び魔術組織、それにギルドまでな」

『はっ』

ザフィゲルの命令に、短く復唱する二人。

「では、これにて会議は終了だ…皆、しっかりな」

国王以外の者は敬礼し、持ち場へと戻っていく。

「カルミア、サフィニアには今日の夜にも行動開始だと伝えておいてくれ」

「わかった。だが、私のところから出るのがサフィニアだけだというのは不安だが…」

「いや、こっちが不安さ。一応諜報部隊と名が付いているが、まだまだひよっこばかりだ。

 情報収集にかけてはお前のところのサフィニアが一番長けている。むしろ、こっちがお願いしたいくらいだ」

「しかし…」

「カルミア、サフィニアだってやる時はやるヤツだってわかってるんだろ?いつもはあんな調子だが…

 それぐらい本人も弁えているし、安心しろって。団員を信用できない隊長じゃあいけねぇ」

リューゲルの言葉にカルミアは微笑む。

「すまない…少々、心配事があってな」

「心配事?」

こくとカルミアは頷く。

「エミリア様だ。最近あのギルディスとかいう男がお気に入りでよく共にいるが…私はあまりよくは思わない」

「何故だ?」

リューゲルが聞くが、カルミアは難しい顔をする。

「…確かにエミリア様に魔術を教えるだけあって人柄はよい。

 しかし、どうも腑に落ちないのだ。上手くは言えんが…」

カルミアは上手く伝えようと四苦八苦しているところを、リューゲルがぽんと肩をたたく。

「まあ、カルミアの言いたいことはわかる。オレも同じだ、アイツには何かある。

 ただ、それが何なのかわからない。一つ言えるのは…」

二人は視線が合わさる。多分、思っていることは同じだ。

「オレは一応アイツをマークしておく。もちろん騎士団長の仕事もちゃんとやるが…

 カルミア、オレが抜けてた時のフォローを頼む。ヴァルキューレ隊の分もあろうが…」

「了解した。本当は私の仕事だが…こればかりはリューゲル団長、頼む」

カルミアが敬礼するも、一度だけ優しく微笑んだ。

「…カルミア、お前はここにいない方が…」

途端、カルミアはすぐにいつもの真面目な顔に戻る。

「団長、私は王家に全てを捧げると決めた。それに何の躊躇いもない」

それを見て、リューゲルは軽く溜め息をついて苦笑する。

「美人なのにな…本当にもったいないと思うぞ。アイツが報われんと言うか…」

「アイツ?」

「いずれわかるだろうよ」

そう言って去っていくリューゲルを、カルミアはただ呆然と見送っていた。

 

「ギルディス」

「はい」

二人は音楽室にいた。エミリアが授業の後にピアノをぜひ聴いて欲しいとギルディスを誘い、

先ほど一曲弾き終えたところだ。

「…今、タレスで起きていることをご存知?」

「ええ、存じております。組織が術に失敗して、暴走した悪魔が暴れまわっていると聞いておりますが…」

エミリアは悲しげな顔でポロン…と軽く鍵盤を叩く。

「…どうして人はその力が災いしかもたらさないとわかっていても、何故使おうとし、そして欲するのでしょう?」

「姫様?」

エミリアはギルディスの方を向いた。その表情は悲しげだった。

「悪魔術が出来たのは、その強大な闇の力を思うが侭に操りたいがため…

 ですがそんなものを欲し、使って何になるのでしょう?

 …結局、憎しみと悲しみしか残らないというのに…」

するとギルディスは何かを察したのか、エミリアをそっと抱き寄せる。

「…姫様の言いたいことはわかります。ですが姫様、力は使い様によって善にも悪にもなります。

 それは貴女様もよく理解していることでしょう?」

エミリアは頷き、その身を委ねた。ギルディスは少し強く抱きしめる。

「私がついておりますから…」

ギルディスは優しく言うが、その笑みはどこか冷たかった。

 

 

―そして 悲劇が幕を開けた

 

 

その日、フェンネルはいつものようにタロット占いをしていた。場所は城内の魔術研究区画にある部屋の一室。

フェンネルはその占いの腕を買われ、昨年から宮廷占い師として城内に出入りし、

今では特例で宮廷魔術団の施設を借りることも出来る。

そんな彼女が占うのは宮廷占い師としての任でもある国の異変ではない。エミリアだ。

最近彼女の様子がおかしいことに、フェンネルは前から気づいていた。

小さい頃からの付き合いで、親友ともいえる仲だ。気づかない方がおかしい。

エミリアに助言をしようとその度に占いを試みるも、何故か不可解な結果ばかりに終わる。

これはフェンネルにとって初めての事だった。

「今日こそエミリア様に…」

フェンネルはカードをシャッフルすると、手順どおりに占いを進める。

占いでは常に無心の状態で行う。しかし、今日は何故か胸騒ぎがしてならなかった。

やがて、結果となるカードが出揃う。フェンネルはそれらを見て息をのんだ。

「これは……!」

フェンネルは急いで部屋を出ると、騎士団の所に向かって走った。

(早く…急がないと…エミリア様が…!)

フェンネルはスピードを上げる。騎士団のいる棟まで廊下を真っ直ぐというところで、リューゲルの姿が見えた。

「あっ…リューゲル団長!!」

「ん…フェンネルか?どうした」

リューゲルの元へ行くと、フェンネルは呼吸を整えるのに必死だった。

「はぁ…はぁ…はぁ…」

「大丈夫か?何か占いで何か出たのか??」

まだ話せる状況でないフェンネルはこくこくと頷く。

「はぁ…占いで…エミリア様と王妃様が……」

「エミリアと妃殿下がどうした!?」

やっとフェンネルが落ち着いて話したものは、リューゲルが予想していたものでもあり、また予想外でもあった。

「それは本当なのか?!」

「はい…早くエミリア様と王妃様を…」

「ああ、わかってる!」

リューゲルがフェンネルの占いを国王に知らせようとしたところ、ふと視界にアズミとアオイの姿を捉えた。

「アズミ!アオイ!!」

「団長?」

「どうしました?」

「お前らエミリアと妃殿下が今どこにいるかわかるか!?」

「姫さんはあのギルディスっていうヤツと外で授業だとよ。森に行くとか…」

「後、王妃様は裏のバラ園に一人でいるのを見ましたけど」

リューゲルは舌打ちし、事の子細を二人に話した。

「なっ…本当か!?」

「早くしないと大変じゃないですか!!」

「当たり前だ!これからオレはエミリアのところへ行くから、フェンネルは陛下に、

 アズミはカルミアに報告して、アオイは妃殿下のところへ行け!早くしないと手遅れになるぞ!!」

リューゲルの指示に頷き、四人はそれぞれのところへ走った。

 

パラッ…

 

フェンネルが占いをしていた部屋の窓から、強い風が吹き机の上のカードが床の上に落ちた。

紙吹雪のように落ちるカード。ところがほとんど裏の状態なのに、一枚だけ表のカードがあった。

それはまるでこれからの事態を暗示しているようでもあった。

 

『運命の輪』

 

運命はもうすぐ 狂い廻り始める

 

 

 

 

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