未完成な音色12〜そして、悲しみだけが残された〜


薔薇が咲き乱れるヴァレンシス城の裏手にある庭園で、女が一人立っていた。
肩まで伸びた金髪と白い肌が特に目を引く。白を貴重としたドレスに、頭には銀の冠、
そしてその穏やかだが気高さを失わない雰囲気は、一目で彼女が王族だとわかる。

セルリア・エイラート・ヴァレンシス

現国王の后にして二人の王女の母。
貴族の家柄であったが、両親を早くに亡くし、細々と一人暮らしていたところを、
王子だったザフィゲルに見初められたというまるでシンデレラのような話で
しかし、結婚するまでに多くの障害があり、また王妃になってからも様々な噂が付きまとった。
それは必然だとセルリアは理解していたし、覚悟もしていた。
自分には人には言えないことが多すぎる。
だから、城の人達はもちろん国民も納得しないだろうと。
けれどもザフィゲルはそれら全てを説得した。
セルリアは今でも覚えている。

『オレはどんなことがあってもお前を守る。絶対にだ』

そう言って、彼は自分を抱きしめてくれた。彼は初めて自分を理解してくれた人だった。
自分がどんな過去を歩んできたか知っても、彼は私に対して何一つ変わらなかった。
でも、現実はとても残酷。
どうして、自分を必要とするのか。平穏な生活をさせてくれないのか。
何故、力を欲するのか。破滅へと自ら歩もうとするのか。
私の愛する人を傷つけようとするのか―
この身を幾ら呪っても、変わらない事実。
それは人を不幸にするだけの、決して表に出してはいけない力。
望んでもいないのに、求めてもいないのに、自分には力がある。

『力は使い方次第で、善にも悪にもなる。より大きければ大きいほど、不必要に使うものではない。
 必要な時だけに…それこそ、大切なものを守るために』

彼は優しかった。私の全てを受け入れてくれた。
けれども、自分は知っていた。
人は得体の知れないモノに対し畏怖し、排除しようとする。
だから、恐れている。
いつか、この身に宿る力が人の目に晒されるような時が来るだろう。
娘たちにすらも明かしていない力。
人は、娘たちは、私を恐れるのだろうか?
いや、もう恐れているだろう。
極秘とはいえ、力を晒してしまったのだ。闇の中で、人は私について囁いている。
恐くなどない。心配なのは娘たち。
王女という立場であっても、この力を受け継いでしまった娘たち。
この力の恐ろしさを知った時、人は娘たちを傷つけるだろう。
利用しようと策謀を張り巡らすだろう。
娘たちはそれに耐えられると信じているも、やはり親故に気がかりなのだ。
「その時は、私が…」
一輪の薔薇のつぼみを見つけ、両手で優しく包み込む。
守ろう―
大切な人たちを守るために。彼がそうしたように、自分も…
その時、

「ご機嫌麗しく存じます、王妃様」

ある男の出現が、静寂と決意を破る。
「あなたは…ギルディス?」
「はい、いかにも」
「何故ここに?ここはあなたが来る場所ではありません」
毅然とした口調で言うも、セルリアは警戒していた。ギルディスはただ微笑っているだけだが、その眼は明らかに何か企んでいる。
「ええ、そうですね…ですが、あなたもそうでしょう?」
「!?」
その言葉にセルリアはさらに警戒を増し、いつでも魔法を放てるよう準備した。
「…あなた、何者です!?」
セルリアが問うも、ギルディスは微笑ったまま何もしない。
おかしいと思ったその時、ギルディスは予想外の言葉を漏らす。
「セルリア・エイラート・アストレア。古き裁きの女神の名を与えられ、ヴァレンシス建国時から断罪者として、
 国の裏に蠢く闇を払ってきた一族の末裔。決して表に出てきてはいけない者が王妃とは…」
「なっ…」
セルリアは驚愕する。旧名のアストレアの意味を知るのは国中でもごく一部しか知らないというのに…
そして、断片的にしか言ってないがきっと知っているのだろう。
アストレアの一族が今まで何をしてきたのかも。
「陛下は後任をヴァルキューレに仕立てあげようとお思いでしょうが、やはりそれは無理というもの。
 闇は断罪者にしか払えない。ましてや、女だけの寄せ集め部隊に何が…」
「黙りなさい。何を企んでいるのです?」
少しでも動いたらすぐに仕掛けることが出来るよう、セルリアは身構える。
だが、ギルディスはこう言った。
「断罪の力と貴女の大切な金の髪の姫をもらい受けに」
「―!?」
ドンッ!
セルリアはすぐさま魔力弾を放つが、ギルディスの前で虚しく霧散する。
「障壁!?」
セルリアがすぐに次の術を仕掛けようとするも、ギルディスは瞬間空間転移ですぐ目の前まで来ていた。
「っ!―」
「貴女は畏怖すべきにして、邪魔な存在です。私にとっても、姫にとっても」
ギルディスはセルリアの胸元に手を当て呪文を紡いだ。
すると手から怪しげな紫の光が漏れ、途端セルリアは意識を失って倒れた。
「呪われし一族の末裔に永遠の眠りと悪夢を」
倒れているセルリアに向かって、吐き捨てるようにギルディスは呟いた。見た人全てが凍りつくような冷たい笑みを浮かべて。
「王妃様!」
遠くから声が聞こえ、ギルディスはすぐさまその場から姿を消す。
入れ違いにやってきたのはアオイで、倒れているセルリアを見て一気に顔が青ざめる。
「あっ!!」
アオイはすぐにセルリアに近づき抱き起こし、何度も呼びかけるが反応はない。
「王妃様、目を醒ましてください!王妃様!!」
ただ美しく咲き誇る薔薇の中で、アオイの悲痛な声だけが響いていた。


「なんだと!?」
「!?」
「ああ、アイツは―ギルディスは妃殿下と姫さんを狙ってて、
 フェンネルの占いだとかなりヤバイことになるって…そう出たんだ!」 
アズミがカルミアとたまたま城下から帰ってきたエルミナに今までの事を報告した。
二人は驚愕するが、カルミアの表情はすぐさま怒りに変わっていく。
「誰か動いているのか?!」
「今、リューゲル団長が二人の後を追って、アオイは妃殿下のところ、フェンネルはすぐに陛下に報告しに行った!」
事態が切迫しているのが目に見えてわかる。カルミアは自分がたまたま用でいない時に…と後悔するが、
今はぐずぐずしている場合ではない。今はとにかく動かなければ。
「城下で情報収集をしているリアトリスとサフィニアにも、団長と合流するよう伝えろ!
騎士団にも説明して人をまわしてもらえ!!
 時間がない、急げ!」 
カルミアは怒鳴りながらアズミに指示を出す。アズミは頷くと走り出した。
「くっ…」
カルミアは歯をくいしばり、エルミナと向き合う。
「エルミナ、私は二人を追う。お前はここにいろ!」
「なっ、どうして!?」
「相手は上級魔法すら簡単に使いこなす魔術師だ、危険すぎる…だからだ!」
「カルミアッ!!」
カルミアはすぐさま向かおうとするが、エルミナがカルミアの腕を掴んで捕まえた。
「お前を危険な目に合わせるわけにはいかないんだ!」
「どうしてここで姫扱いするんだよ!妹が危ないっていうのに駆けつけない姉がどこにいるのさ!!」
「だが、もしお前が私と一緒に向かって何かあったらどうする!?」
「妹一人助けられなくて、何が王位継承者だ!そんなの、アタシは嫌だっ!!」
その言葉に、カルミアははっとした。エルミナは硬くカルミアの腕を握る。
「…アタシは、そこまで冷酷な人間にはなりたくない。次期女王としてそれは甘いと言われるかもしれない。
 けど、そんなの人の上に立つ資格はないって思ってる。
 今エミリアの所に行かないでどうするんだよ。それに、すごく嫌な予感がする…行かないとダメな気がするんだよ…
 カルミア、頼むからさ…」
するりと握っていた手を放し、エルミナは俯く。
カルミアはそんなエルミナを見てしばらく無言だったが、背中を向けると、
「時間がない、急ぐぞ」
ポツリと呟いた。
「!?」
エルミナは驚くもすぐに頷いた。小さくありがとう…と呟き、二人は急いで森へ向かった。


「んーと、ここまでの情報整理するで。リアトリス来てくれへんか?」
「ええ」
その頃、国王直々の命でサフィニアと騎士団の諜報部隊は二手に分かれ、魔術関係の組織等に怪しい動きがあるか調査していた。
リアトリスがいるのはせめて人手だけは欲しいというサフィニアの要望より、カルミアの許可も得て参加していた。
二人はまず魔術ギルドをあたり、そこを経由して怪しい組織や個人に関する情報を集め、人気のない路地裏で情報を整理していた。だがあまりめぼしい情報はなく、そろそろ部隊と合流する時間が迫っている。
「あんまり情報あらへんね」
「そうね。ここは魔術に関する制限がタレスよりきついから…」
「むしろタレスで活動する方がいろいろ有利やしね。ここはあくまでも総合的な管轄なだけやし…
 今回はあまりいいのは期待できへんな」
「………」
サフィニアはあまりの収穫のなさにコリコリと頬を掻くが、リアトリスは相変わらずの無表情。
「しっかし悪魔術なんてやる人はやるんやな。確か下級でもかなりのレベルと力が必要で、面白半分で使ったら命を落としかねないもんだって聞いとる。普通ならまず手出さへんものや。それでも使ってバレた場合はヴァレンシス追放及び魔力封印…確か十数年前に罰則強化されたみたいやけど、魔力封印やなんて魔術師にとって致命傷や。それも封印術はかなり複雑で、解呪は不可能に近いらしいやないの。これは痛いで」
「でも、どんな制限やリスクがあってもやるバカはいるものよ」
「ははは…確かに。でもまあ、うちに魔法を教えてくれた師匠も変なのには手出すなって言っとったけどなぁ」
サフィニアは笑うが、リアトリスは呆れたと言わんばかりだった。
「…ねえ、サフィニア」
「はい?」
「術書は持っているだけでもダメなの?」
「そや。悪魔術なんて術はさっき言ったとおりヤバイもんやから、
 ‘知識’という名目で所有していても、術を行使する危険性があるからっていう理由で、所有も禁止されて、全て機密書庫行きになったんや。
その時は確か大がかりな回収令が出たんやけど、一部の魔術師たちが反発してな。国王が直々にその人らと会って話したんやけど、もめにもめた後確か…」
サフィニアはうーん…と唸りながら、事の結末を思い出そうと必死になる。
「昔師匠にいろいろ聞かされたんやけどなぁ…」
サフィニア曰く、この師匠という人は魔法だけでなく体術や情報収集術も教えてくれたという。しかし教えてくれるのはいいが、よく世間話につき合わされたとげんなりして言っていた。
何とか思い出そうとしているサフィニアの横で、リアトリスは自分なりに考えを整理し、推理する。
(回収令が発令されたのが十数年前なのに、今さら複写が出回る話なんてあるのかしら…
 もしほとんど回収されたとしたら、術書が本当に複写だなんていう確認は困難だから、
 簡単にだますことが出来る。
 でも、アカデミーや機密書庫の関係者が関わっていたら…
裏で禁呪がどんな風に扱われているのかわからないから、難しいわね)
リアトリスは思わずため息をつく。これは相当骨の折れる事件になりそうだ。
と…
「サフィニアさん、リアトリスさん!」
そこへ、諜報部隊の一人がこちらへ向かってきた。ひどく急いでいる。
「どないしたん?」
「た、大変です!今、アズミ副隊長がやってきて―」
彼はアズミから聞いた内容を報告するが、それに二人は驚愕する。
「なんやて!?」
「チッ…私たちも団長の元へ向かうわ。あなた達はそれを他の人たちにも知らせて、すぐに来て」
「はっ!」
彼が復唱して去るのとともに、二人も森へと急いで向かう。
「…今の状況と事件…繋がっているのかしら?」
「わからんけど…リューゲル団長、大丈夫やろか…」
「………」
二人は走るスピードを上げ、街の中を駆けていった。


ヴァレンシス城の裏には森が広がっている。そこは昔から王子や王女の魔術の練習や、気晴らしに散歩をする場所だ。
エミリアはちょうどいい切り株に座り、忘れ物をしたと言って空間転移でどこかへ行ってしまったギルディスを待っていた。
「まだでしょうか…」
エミリアは軽く息をつくと、外出用に着てきたローブのポケットから銀のロザリオを取り出した。
それは後に戻ってきたギルディスに贈ろうとしているもので、ペアで金のロザリオをエミリアが持っていた。
前に城下へ行った時にこっそり買ったもので、これをきっかけにして、エミリアはギルディスへの想いを告白しようと考えていた。
姫が一介の(王やアカデミーに認められているとはいえ)魔術師に好意を持つのは…と思うが、
身分を抜きにして考えてみれば、ギルディスはなかなかの好青年。それに少女が惹かれないわけがない。
その上、あの見合いと歌舞の話。揺れ動いていたエミリアに親身になって対応してくれたギルディス。
エミリアは彼に好意を抱き、いつの間にか恋愛感情に発展したのもまた当然といえば当然だった。
そんなエミリアに対して言えば、これは俗に言う初恋だった。
淡い溜め息をつきつつ、ロザリオをしまって空を見上げた。
鉛雲が出ていた。時期に雨が降ってくるだろう。
そう思っていると…

―ブォン

空間転移の独特の低音が響いた。エミリアの目の前にギルディスが現れていた。
「遅くなって申し訳ありません、姫様」
「早かったですね」
「それはそうです。姫様が待ちくたびれてしまってはいけませんからね」
そう言って微笑むギルディスに、エミリアは仄かに頬を赤く染める。
(渡すなら…今…)
エミリアはギルディスにロザリオを渡そうとするも、今一歩踏み出せない。
「では、参りましょうか。私のせいで少々時間を取ってしまったようですし…
 もう少し奥に行くと拓けた場所に出ますから、そこで今日はやりましょう」
「あ…」
そうこうしているうちに、ギルディスは行ってしまう。
これではせっかくの機会が台無しになる。
「ギ…ギルディス!」
「なんでしょうか?」
振り返るギルディス。相変わらず微笑んでいて、エミリアは顔が熱くなってき、思わず俯きそうになるが、何とか堪える。
「あの、これを…」
エミリアはロザリオをギルディスに渡した。
「ロザリオ…ですか?」
「この前城下に言った時に見つけたんです。本当は金と銀がペアで売られていて…金は私が持っています」
そう言って、エミリアはもう一つの金の方を首から下げてあるのを出して見せた。
「それで…今まで魔術を教えてもらったお礼と、その…」
言葉が詰まった。どうしても、その先の―好きという言葉が言えない。
思わずエミリアは俯き、見る見る顔が赤くなった。これでは姫の風上にも置けないと思い
つつも、やはり言えなかった。
するとギルディスは状況を理解してか、ロザリオを懐にしまい、
いつものように微笑むと、エミリアを抱きしめた。
エミリアは何が起こったのかわからなかった。
徐々に伝わる温もり。やっとエミリアは自分が抱きしめられていることに気づいた。
「…わかっております」
「え…?」
「姫様のお気持ちは察しております。私のことを想ってくださっているのでしょう?」
エミリアは恥ずかしくなって、顔がもっと熱くなるのがわかった。
「私も…貴女のことを想っております、姫様」
ギルディスがさらに強く抱きしめる。
それだけで、その一言だけでエミリアは嬉しかった。
このまま時間が止まってしまえばいいと、本気で思っていた。

が…

「間に合ったか!」
至福の一時が破られる。
エミリアが驚いて見ると、そこにはリューゲルの姿があった。
ひどく急いできたのか、大きく肩が上下している。
「団長?どうしてここに…」
「エミリア、そいつから離れ―」
矢先、ギルディスが素早く片手をリューゲルの方へ突き出すと、魔法を放った。
リューゲルが難なく避けると、放った魔法が木に着弾した瞬間爆ぜた。
爆裂魔法を放ったのか。
ギルディスがエミリアを強く抱き込むと、魔法を放った手をエミリアの頭にかざした。
「動かないでください。でないと、大切な姫君がどうなるか…わかりますね?」
「くっ…」
リューゲルが避けた際に剣の柄に手をかけ、すぐさま抜き放とうとしていたが止める。
動くに動けないリューゲルは歯を噛むが、ギルディスは冷たい笑みを浮かべる。
「ギル…ディス?」
エミリアは混乱と不安が混ざったような声で呼ぶ。
「姫様…少しの間だけですから、大人しくしてください」
だが、ギルディスはエミリアの方を向かずに言った。
「テメェ、エミリアをどうする気だ!?」
「どうするつもりだと思いますか?」
「ふざけるなよ…妃殿下にも手出して、何を企んでやがる!!」
「―!?」
エミリアはリューゲルの言葉に耳を疑う。
もしリューゲルの言葉が本当なら、先ほど離れた時に…
「ギルディス、母様に何をしたんですか!?」
「姫様。申し訳ありませんが、今はお答えできません」
あくまでもギルディスの声色は優しいが、抱き込む力がさらに強まり、エミリアは顔をしかめた。
「じゃあ、あなたは何をするつもりなんですか!?それに、私は…」
すると、ギルディスはエミリアにやっと顔を向けた。
いつもと変わらぬ笑みを浮かべていたが、その瞳は妖しく輝いていた。
「目的は言えません。
ですが、これは私のためでもあり、貴女のためでもあるんですよ」
「…え?」
どういう意味なのかわからなかった。
さらに問おうとした時、リューゲルが動いた。
ギルディスも気づいたらしく、すぐさま魔法を放とうとする。
「やめて!」
エミリアが叫ぶも、かまわずにギルディスは魔法を放つ。
それをかわしていくリューゲル。しかし、なかなか距離は縮まらない。
ギルディスの魔法が早く、かわすのが精一杯だった。
「無駄ですよ、リューゲル騎士団長」
「この野郎…汚ねぇ手ばかり使いやがって!」
「汚い…それは貴方がたでしょう?」
「どういう意味だ!」
ふっ…とギルディスから笑みが消えた。
「覚えていませんか?まさか忘れたとは言わせませんよ」
憎悪を込めた眼差しを向け、ギルディスは言った。
「‘ディクローア’はまだ終わっていません…私がいる限りね」
「ディクローアだと!?」
ギルディスの言葉に動揺するリューゲル。
その様子はひどく大きい。

―それをギルディスは逃さない。
ギルディスが何か呟いた。
リューゲルに向かって、闇の刃が放たれる。
リューゲルが間一髪それを避け、間合いを詰めようとした。
刹那…

ドシュッ―

何かが貫いたような音。
見れば、リューゲルの背後から闇の刃が彼の身体を貫いていた。
「ぐ…あっ……」
消え行く刃。崩れ落ちるリューゲル。
「そう、まだ終わっていないのです…まだ」
そう言い放つギルディスの声はひどく冷たかった。
「団………長…………?」
エミリアが震える声で呼んだ。
しかし、リューゲルは動かない。やがて、彼を中心に紅が広がっていく。
「…や……いや……」
信じられない光景。認めたくない現実。
頭の中が真っ白になっていき、何かが身体の中から溢れてくる。
それは止まることを知らず、彼女の異変にギルディスが気づいて離した瞬間―


『いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!!』


絶叫と共に放たれる光。
そして、何もかもが白に包まれた。

その光はサフィニアらと合流したエルミナ達も見た。
急いで光が放たれた場所へと向かう。
「エミリア!」
エルミナがエミリアを呼ぶも、その光景を見た途端言葉を失う。
血まみれで倒れているリューゲルと、少し離れたところで座りつくしているエミリア。
「嘘…」
エルミナは愕然とし、その場に立ち尽くす。
「リューゲル団長!!!」
カルミア達が彼の元へ駆け寄り、カルミアが指示を出す。
だが、エルミナはその声が遠く聞こえた。
「エミ…リア?」
ゆっくりとエルミナがエミリアの元へ歩み寄って声をかけるも、
エミリアは身動きひとつしなかった。
ただ止めどなく涙が溢れていた。
ポタッ…
雨が降ってきた。
人々も、血に沈んだ騎士の亡骸も、悲しみに沈む姫も、
何もかも洗い流すように。
そして雨音だけがこだました。

「…これは…」
ジェイドは目の前の光景を見て目を疑った。
タレス到着後、すぐさまタレスの領主から状況を聞き、
向かってみると、そこには悪魔の死骸があった。
「副団長、これはもう…」
「ええ、既に死んでいます。しかし…凶暴化した悪魔を倒すとは…」
「死体の痕から判断して、魔法で倒されたと思われます。しかし、タレスに悪魔を倒すほどの実力を持つ者が…」
ジェイドは部下の騎士から状況を聞き、疑問に思う節がいくつもあるが、今はじっと思案している場合ではない。
「とにかくアカデミーと城に連絡を。
悪魔の死体の検分も一応手配をして、住民にケガをしているものがいたら―」
指示を出していたその時、一人の騎士が大急ぎでこちらにやってきた。
「ふ、副団長!城からの伝達で、リューゲル団長が……」
「―え?」
もたらされた報せ。それはあまりにも突然すぎるモノだった…

「…さすがね、凶暴化したとはいえ下級悪魔は雑魚同然…ある意味尊敬するわ」
「まだ実力の十分の一も出してないがな。それより、お前どうしてあんな大魔法を
ドカドカと…」
「いいじゃない、ハデにやるのがアタシの性分なの。
 それにアンタが空間を歪めてくれたおかげで思う存分やっても被害ゼロなわけだし」
「だがな、歪めた空間内では…」
「はいはい、そのリスクはアタシも嫌と言うほど知ってるわよ。
 とにかく、アンタが手を貸してくれたおかげでやりやすかったわ。あ・り・が・とv」
「う、うむ…しかし、お前が召喚したのではないのに、どうしてあれを狩ったのだ?」
「…アレ、知り合いの作戦の一部らしいのよね。
 そいつ、この前アタシにムカつくことばっかりするから、腹いせに邪魔しようと思って」
「なるほどな…」
「ツッコまないの?」
「これ以上関わる気はない。私の目的はあくまでアレの暴走を阻止することだ。後の始末は私がやるから、早々に去るがいい」
「あっ、そう。じゃあお言葉に甘えて…アナタと組めて面白かったわ。それじゃあ…」
「…ああ」




*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *




―その後
王妃セルリアの昏睡状態は一向に回復せず、
王妃に関してはごく一部の者以外を除き、城内で緘口令がひかれ、水面下で回復策を探すことになった。
しかし、未だセルリアの意識は回復していない。
騎士団長リューゲルの葬儀も行われ、新たな団長に副団長だったジェイドが任命された。
これには反発もあったが、騎士団では副団長であることは次期団長であることも意味していた。
長い検討の末、騎士団史上最年少の団長は誕生した。
国王ザフィゲルはヴァルキューレ及び騎士団の更なる増強を図り、同時に善政と言われるほどの政治を行っていたが、
事件からちょうど一年後、エルミナがひっそりと旅に出た。
行き先も目的も何も告げず、見送ったのは行こうとしていたところを見つけたエミリアと
密かに気づいていたザフィゲルのみだった。
エルミナの不在も同じく緘口令がひかれた。
そして、いなくなったエルミナの代わりに、エミリアが姫としての公務及びヴァルキューレの隊長を努めることになった。
先延ばしされていた儀式も行われ、見事なまでの舞を舞ったエミリア。
その姿に、あの日までの少女の面影はなく、
戦乙女となり、戦場に駆けていく。


そして月日が経った―

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