未完成な音色10〜思い出は、いつも〜
それは、二年前に遡る―
当時のヴァルキューレ隊はカルミア、アズミ、リアトリス、サフィニア、アオイしかいなかった。
ヴァルキューレ隊は王女が18才の時に発足される。
これはヴァレンシス初代王―女だった―が18才の時に己の持つ特殊な力を自覚し、その後自分を守護する女だけの部隊が作ったからだ。
それが戦乙女の名を与えられてヴァルキューレ隊となり、王女が生まれる度に発足されるようになった。
そして今代は歴代のヴァルキューレ隊の長の中でも21と最年少のカルミアと、
同じくカルミアと同い年で最年少の副隊長、ジェイド・アフェランドルを率いる騎士団がヴァレンシスを守っていた。
時の騎士団長の名は、リューゲル・サテンスパー。まだ30と若い騎士団長だった。
第一王女・エルミナは20才で徐々に女王としての頭角を表し、第二王女・エミリアは15になり姉に劣らぬ器量を見せていた。
「団長、手合わせ願いますよ!」
「来たな!今日は手加減なしだぞ、エルミナ」
エルミナとリューゲルは決して敬語を使わない。理由はどちらも敬語は合わないから。
その影響は妹エミリアにまで及び、
「団長、おはようございます」
「よお、エミリア。今日も元気そうだな」
エミリアは敬語で話すもリューゲルの言動にはすっかり慣れ、彼はエミリアに対しても敬語なしで話すのであった。
「リューゲル団長、お二方が相手と言えどお手柔らかにお願いしますよ」
もちろん、そんな団長を抑える役目は副団長のジェイドであって、
「わかってる、わかってる。よし、行くぞ!エルミナ、エミリア!!」
「今日は勝ってやるわ!エミリア、行くよ!!」
「はい、姉さん!」
エルミナとリューゲルは剣を、エミリアは槍を構え、一斉に向かって行った。
模擬試合と言えど、結構ボロボロになるまでやってしまう三人で、
「全く、リューゲル団長はあれで本気なのか手加減しているのか…」
「いいじゃねえか、楽しそうでよ」
カルミアは呆れ、アズミは楽しそうに、
「…そうね」
「ホンマ、団長らしいで」
「わたしも交ざりたいです」
リアトリスとサフィニアは笑みを浮かべて、アオイは今にも行きたそうに、
そんな様子を微笑ましく見ているヴァルキューレの姿がいつもの風景だった。
「やってるな、団長と二人は」
それをテラスで見ている紫の髪の男、ヴァレンシス国王・ザフィゲルも微笑ましく見ていた。
国王―ザフィゲル・フェナ・ヴァレンシスは、年は40になるがその才知は歴代の王の中でもずば抜けていた。
歴代の王が受け継いでいた力を持っていなかったザフィゲル。
その力を長い間畏怖し、この期にに攻め込もうと考えていた近隣諸国を、
ザフィゲルは諸国会議の場で見事和平と不可侵条約を締結してしまったのだ。
この一件で、ヴァレンシスの新国王の評判は‘策士’として有名になったわけだが、おかげで今まで平穏無事。
ヴァレンシスはさらに繁栄の一途を辿っていった。
「陛下、いいのですか?」
「何がだ?」
ザフィゲルの反応に、初老の大臣は溜め息をつく。
「エルミナ様とエミリア様です。エルミナ様も20才、もうご公務をお任せになってもいいのでは?
エミリア様も日頃の勉学や作法などは真面目にやっておりますが、気づけばエルミナ様と一緒に城下に行く始末…
これでは先行き不安になります」
そう言う大臣を横目で見やり、ザフィゲルは模擬試合をしている娘二人を見ていた。
「…なあ、大臣。私が思うに、あの二人だからこそ外に出させるのはおかしいだろうか?」
「はい?」
突然言うザフィゲルに、大臣は聞き返した。
「確かにあの二人はこの国を治める大事な後継者であるのに間違いない。
だが狭い場所で培った見方はとても狭い。利己的で傲慢な見方に他ならない。
そのためには城下でいろいろなことを見聞きした方がいい。
だから、二人が城下に行っていることを認めている。…それに、この国にも闇はあることは知ってほしい」
「闇?闇とは陛下…」
大臣が尋ねるが、ザフィゲルは目を細め、何か考えているようだった。
「光あるところ闇はある。この国の下で蠢くものを見てこそ、何をすべきかわかるだろう。
そして…‘現実’というのはどんなものなのかをな」
それは自分が見てきたから言えること、この父もまた城下を抜け出してはいろいろ見聞きした。
そこで見た経験からいろいろ考えてこそ今がある。
「まあ、これからどうしていくかはあの二人次第だけどな。ところで、大臣」
「はっ」
「例の、エミリアに魔術を教える魔術師は見つかったか?」
ザフィゲルは言った。ザフィゲルは王女であっても、己の身を自分で守れるようには強くあってほしいと思っていた。
今、下でやっているようにエルミナは剣術、エミリアは槍術を習得した。
ただそれだけでは心許ないので、魔術を教えようと考えた。現にザフィゲル、母であるセルリアもある程度魔術を使える。
既にエルミナは炎・地・金・闇の魔法を習得し、エミリアも属性の相性から水・風・木・光の魔法を習得させようと考えていた。
ザフィゲルはエルミナの時と同じ魔術師がいいと思っていたが、その魔術師は研究のため旅に出て行ってしまった。
そのために代わりの魔術師を探していたのである。
「はい…適任者を見つけました。名をギルディス・アゲート、年はエミリア様より4つほど上でございます。
かなりの実力者で、魔術アカデミーのレポートでも目を見張るものがあります」
大臣はザフィゲルに資料を渡し説明すると、ザフィゲルは丁寧に資料を見ながら聞いていた。
「…なるほどな、確かに実力はある。年も近いし、何かといい師匠―せんせい―にはなりそうだな。
任命書を授与しよう。初授業はそうだな…三週間後だ」
「承知いたしました」
二人は早々とテラスを去る。その下では威勢のいいかけ声が響いていた。
―その三週間後
「エミリア様、今度魔術を教える魔術師をお呼びいたしました」
「わかりました。お通ししてください」
大臣が丁寧に礼をして、魔術師を呼びに行く。
魔術の授業は城内の書庫で行われることになり、エミリアはどんな魔術師が来るのかドキドキしながら待っていると…
「ご機嫌麗しゅうございます、エミリア姫様」
入ってきたのは少年とも青年とも区別できない、不思議な雰囲気の魔術師だった。
黒に近い藍色の長めの髪が印象的で、優しげな感じの黒い瞳、整った顔立ちをしていた。
「この者はギルディス・アゲートと申す者で、エミリア様に魔術をお教えする魔術師でございます。
実力はかなりのもので、魔術アカデミー内でも注目されております」
大臣は一通り紹介し、何か一言とギルディスに言うと、ギルディスは丁寧に礼をし微笑んだ。
「お初にお目にかかります、先ほど紹介されたとおりです。エミリア姫様にご指導できるとは光栄です。
精一杯指導させていただきます」
「ありがとうございます、私も一生懸命頑張ります」
エミリアも微笑んで座礼した。
「それでは、私はこれで…ギルディス、しっかりとエミリア様にお教えするのだぞ」
「わかりました。それでは姫様、始めましょうか」
「はい」
大臣は書庫から去り、二人だけになった。
「さてと…じゃあ、基本的な属性関係からいきましょうか」
「あの」
ギルディスがいざ始めようとするのを、エミリアは止めた。
「何でしょうか?エミリア姫様」
「その呼び方、大変じゃないですか?」
ギルディスは首を傾げた。
「あの、それはどういうことでしょうか?」
「エミリア姫様っていう呼び方です」
エミリアの言っていることに、やっと理解したギルディスは微笑ましい目でエミリアを見る。
「そうでしたか…それでは姫様とお呼びしましょう」
「どうして名前ではないのですか?」
エミリアは真っ先に言った。ギルディスは驚くが、すぐにまた微笑む。
「…どうして、ですか?恐れながら私は姫様をお名前で呼べる者ではございません」
「ですけど…」
エミリアが言おうとするのを、ギルディスはすっと指を立てて止めた。
「先ほども申したとおり、私は姫様にご指導できることを光栄に思っています。
姫様は姉君のエルミナ姫様同様、気高く美しい方。敬うのは当然だと思っております。
だから私は姫様と呼ぶのです。こう呼ぶのは私が貴女様を敬っている証拠です」
エミリアは途端顔を赤くした。姫と言えど、やはりその前は少女だ。
なかなかの美男子にこう言われれば誰だって照れる。
「おわかりいただけましたか?」
「ええ…でも、私は身分とかそういうのは関係ないと思っています。ですから……勉強以外にもいろいろ教えてくださいね」
「わかりました」
ギルディスはにこやかに了承すると、早速授業に入った。
これがエミリアとギルディスの出会いだった。
―思えば この時が一番幸せだったかもしれない
以降、エミリアはギルディスの授業を楽しみにしていた。
授業や、休憩の合間にギルディスのことや世間のことを聞くのが楽しかった。
「ギルディスは私より4つ年上ですのね…」
「ええ、エルミナ姫様より一つ下です」
エミリアは出された紅茶を飲みながら、じーっとギルディスを見つめる。
「私の顔に何かついていますか?」
「違います、ギルディスがエルミナ姉さんより一つ下と言われてもそんな感じがしなくて…」
すると、ギルディスはクスッと笑った。
「それでは私が年相応に見えないということですか?」
「えっと…見えるような見えないような…」
エミリアがたどたどしく言うと、ギルディスは意地悪い笑みに変わり、
「エミリア様、そう笑われると今日の課題を増やしますよ?」
「ギルディスの意地悪!」
やがて、二人の笑い声が書庫に響いた。
「エミリア!今日こそ対団長戦、0勝57敗を止めるよっ!!」
「はいっ!」
「勝てねぇ、勝てねぇって」
『勝つから!』
『勝ちますって!』
ちゃんと模擬戦の戦勝結果を数えているエルミナ。
どうしてもリューゲルに勝ちたいらしく、暇さえあればこんな風に姉妹揃って申し込む。
何故姉妹揃ってか?それは前にエミリアがどうしても一緒にと言い張ったからだ。
「しゃーねぇ!お前ら二人揃ってかかってこい!!」
そんな相手をするリューゲルもリューゲルだが、いつの間にか二人の武術の腕が騎士団に属する騎士以上になったのも事実。
そのリューゲルはといえば、二対一と言えど余裕そうに攻撃を止めている。
「よっと」
リューゲルは二人の死角に巧みに入ると、
ガキンッ!!
二人の手から剣と槍が消え、カランッ…と音を立てて遥か後方に落ちた。
「なっ?勝てないだろ??」
いつもの手だった。早々に決着をつけたい場合、リューゲルは二人の剣と槍を飛ばして終わる。
「団長、もっとマジメに相手してよっ!」
「そうです!!」
それに抗議する二人の姿もまたいつものことで、
「オレは忙しいんだよ。何ならジェイドに相手してもらえ」
「ええっ!?」
リューゲルはジェイドに振ると、そそくさと場を後にする。
『団長!』
同時に呼びはしたものの、エルミナは猛ダッシュでリューゲルの方へ行くと、
ゲシッ!!!!
思いっきりドロップキックを仕掛けていた。
「いでっ!!」
リューゲルが不意打ちで倒れた隙に、エルミナはリューゲルに馬乗りになって腕を捻り上げる。
「団長、せめて夕食の時間によるタイムアウトまでやってよ!」
「だーっ!オレだって、暇じゃねぇんだ!!」
「暇でしょ!?この前昼間っから事務室で酒飲んでたの見たけど?」
「はあっ!?」
オレは知らんと言おうと後ろを見るが、ジト目で見るエミリアとジェイドの姿が目に入る。
「団長、あれほど昼間からの飲酒は禁止だって言いましたよね?」
「カルミアに言ったらどんな罰を受けるやら…」
「なっ、し、知らん!でっち上げだあっ!!」
リューゲルは叫ぶが、エルミナは自信満々の笑みを浮かべる。
「証拠はちゃんとあるよ、事務室のゴミ箱に酒の空き瓶があるのをメイドから聞いたから。
ついでにその空き瓶もアタシが持ってる」
「なにーーーっ!!!?」
じーっと見るエミリアとジェイドの視線が痛くなる。リューゲルはむーっ…と唸っていると、
「わかった!延長戦だ!!」
「やりーっ!」
エルミナは腕を離し、ガッツポーズを取る。
「ただし、ジェイドも混ぜて二体ニだ!」
「団長!?」
ジェイドは意外な返答に驚く。
「ここまでくれば一蓮托生だっ!」
「そんな!」
「よし、やるぞ!エルミナ、まずどけろ」
「ラジャーv」
エルミナはものすごく嬉しそうにどけ、エミリアも終始笑顔だったが、ジェイドだけ重い溜め息をつく。
「とことん付き合ってやるからな、覚悟しろよっ!」
かくして模擬試合は夕食の知らせまで行われたという。
エルミナとエミリアにとって、この時間は何よりかけがえのない時間だった。
団長と手合わせしている時は何も考えずにいられた。ただ楽しいだけだった。
この時間がずっと続けばいいと、本気で思っていた。
―けれど そんな時間は続かなかった
ヴァレンシスの西の方にタレスという街がある。魔術が盛んで、魔術アカデミーの総本山でもあった。
魔術アカデミーとはその名の通り、魔術の研究と発展を目的にした研究機関である。
次代の魔術師を育成するのはもちろんで、タレスは大陸内でも有数の魔術研究都市であった。
魔術の研究にはもってこいの場所、だがそれに便乗し裏で禁呪などに手を染める者も少なくはなかった。
そんな中、表にも裏にもその悪名を轟かす女が一人…
女が何時からタレスにいたのかわからない。だがその持っている魔力の大きさ、多くの術を扱いこなす姿を見て、
人は彼女を‘ヴァレンシスの魔女’と呼んだ。
飽くなき魔術への探究心を持ち、女は興味のある魔術の文献やアイテムを持つ者がいるとすぐに力ずくで奪った。
言葉巧みに裏の魔術師達を騙し、見事に魔術書を奪ったという噂もある。そのことからでも、十分に魔女と呼べるに彼女はふさわしかった。
そして今夜も…
ドォォォンッ!!―
路地裏で爆発音が響く。煙が立ちこめ、やがて晴れると倒れている幾人かの魔導師たち。
皆、裏に属する者たちで、ある悪魔術の書を運んでいる途中だった。
悪魔術はアカデミーに禁呪と指定されており、その魔術書は厳重に保管されていた。
裏の噂ではその複写が何冊か出回っていると流れていたが、ある組織がそれを入手したのだ。しかし、‘魔女’は聞き逃さなかった。
「アンタ達がこんな本に手を出すだなんて、十年早いわ」
魔女は倒れている魔導師達の身体を探る。すると本を見つけた。
例の複写本である。魔女はパラパラとページを開く。
「なるほどねぇ…確かに禁呪に指定するだけあるわ。正確な複写かどうか確証がないけど、これは本物かも。
理論に沿ってるし、何より…リスクが高いわ」
パタンとページを閉じる。すると、突然足元に違和感を覚えた。
見ると倒れていた魔導師たちの一人が足を握っていて、ブツブツと呪文を唱えていた。
「チッ」
バキッ!
魔女は素早く愛用の鉄扇を出すと、重い一撃を男の脳天を直撃させた。すぐに魔導師は気絶し、握っていた手を離していた。
「至近距離でやろうだなんて度胸あるわよねぇ…けど残念、ちゃんと近距離戦も考えてあるから」
惜しかったわね、と呟くと、女はフワリと宙に浮いた。
「それじゃあこの本はもらっていくわよ。」
アッハッハハ…と高笑いを残し、本と共に闇の中へ消える魔女。
今日も魔女は知識への探求をやめない。その先に何があるか、己の知らぬ世界を知るために。
魔女の名を、メリッサ・ヴィルートといった。
その後、メリッサは街の地下奥深くにある自分の研究室で先ほど入手した本を読んでいた。
蝋燭の灯りがゆらゆらと揺らめく中で。
読めば読むほど、行う術のリスクはかなり高いことがわかった。本も多分本物であろう、八割方確信してきている。
そして、こんなのを市場に出回っていると思うとぞっとしてはいられなかった。
さっきのような組織が面白半分で術を行使していたならば、100%死人は出ていたような代物だ。
なんでこんなヤバイのを…とメリッサが思っていると、
―ブォン
空間転移独特の低音が室内に響き渡った。
「…ちょっと、読書中に入ってくるのは失礼なんじゃない?」
メリッサは後ろを振り向かずに言った。顔を見ずとも誰が来ているかすぐにわかった。
声の質からしてまず男、独特の雰囲気はメリッサがよく知っている人物だった。
「おや、それは失礼しました」
男はクスクスと笑いながら詫びるが、メリッサは一気に不機嫌になった。
「で、何の用?」
「貴女の様子を見に来ただけです。こちらにも噂は聞いていますよ、‘ヴァレンシスの魔女’さん」
フンとメリッサは魔術書を畳み、足を組んで男のほうを見て睨みつける。
「そんなこと言いに来たんなら、さっさと出てってちょうだい」
「メリッサさん、そんな顔してると綺麗な顔が台無しですよ?まあ、私も些か用事があってきたんですけどね」
男は笑みを浮かべて言う。だが、メリッサは男の裏に潜む野心を見抜いていた。
「…で、そっちはどんな感じなの?」
「ええ、順調ですよ。あっさりと認証してくれました。ですがそろそろ勘のいい人は気づきますね」
「身は早めに引いた方がいいわよ。やめないんだろうけど」
そうですね、と男は肯定し、メリッサはまた不機嫌になる。この男はどこか掴み難いところがあった。
人を見抜くのが得意なメリッサでもこんな男は初めてであった。だから、男と会う度に警戒心は心の奥底に常にあった。
何を考えているか、見抜けないからだ。
「聞くけど、この本…バラまいたのアンタ?」
メリッサは本を男の方に投げて渡すと、男は見事に受け取りページをめくる。
「…悪魔術の書ですか?現在、悪魔術の書は禁呪として文献等は一切厳重保管…ということはこれは複写?」
「ビンゴ」
「ですが、何故私が出てくるんですか?」
男の問いに、メリッサは見下したような目つきを向ける。
「この複写の噂はつい最近になって出てきたんだけど、その時点でもう既におかしいのよ。
悪魔術なんていう裏でもレアな術の本の複写なんて、随分昔からあってもいい話よ。
まあ、ここの国の管理レベルが半端じゃなく高いっていうのもあるんだけどね。特に今の王様になってから。
なのに最近…もう言いたいことはわかるわね?」
メリッサの話を男は笑みを浮かべたまま黙って聞いていた。そして、
「ご名答です。さすがですね、貴女も表に出ればそれなりにいい評価をもらえたでしょうに」
もらいたくないわ、と拒否すると、メリッサはガタン!と椅子から思い切り立ち上がった。
「アタシが聞きたいのは、こんなハイリスクな魔術書を流してどうするつもりってことよ!
これに載ってる術、アタシでも相当骨折れるモノばかりよ。なのに興味半分のバカどもがやってみなさい。
…暴走した悪魔がその場にいる連中喰らうだけじゃ済まない、最悪街の1/3の人間が死人になるわね」
メリッサは音も立てずに、一瞬で鉄扇を男の首筋に当てる。
「アンタ…何企んでるわけ?」
メリッサの気迫をものともせず、男は微笑んでいた。
「珍しいですね、貴女ともあろう方がそんな風に冷静さを欠くなんて。人が死のうが何になろうが関係ないと言っていたのに。
それとも…悪魔ですか?」
「!」
ヒュッ!
メリッサが鉄扇を喰らわそうとするが、それは虚しくも宙を切る。
「っ!?」
「そんなに怒らないでください。私も少し言い過ぎましたね」
男の声が背後からして、メリッサは後方に退く。男はメリッサがさっきいた場所のすぐ後ろにいた。
「先ほどの問いに答えるならば、私は企んでいると言っても差し支えはないですね。
ですが、そこに付け加えておくなら…全ては愛しき人のためです」
ブォン!
再度空間が歪む音がするが、そこに男の姿はなかった。
『またお会いしましょう…』
男の去り際の言葉が響く。
バンッ!
メリッサは怒りに任せて、思い切り鉄扇を床に叩きつけた。
「あの男…どこまで人に付け入っていいって思ってんのよ!」
気持ち悪い!と吐き捨てるように言う。机を見ると、ご丁寧に先ほどの複写本が返してあった。
メリッサの脳裏には、男の言葉が巡っていた。男の言う愛しき人とは?禁呪の複写本なんてバラまいて何になる??
本をバラまいて事件になれば、イルシアにいる騎士団やらがタレスに来る。だが、騎士団でも悪魔に歯がたつかどうかわからないが…
「…まさか…」
メリッサは一つの考えに行き着く。それはとても愚かしいこと。
だが一つ…自分でも可笑しい気まぐれで、ちょいと男の企みを邪魔してやろうと考える。
他人なんて関係ないが、今回は私を怒らせすぎた。余計なことにも口出し過ぎた。
それを思い知らせるために。
蝋燭の灯りは妖しく魔女の笑みを照らしていた。