闇の中で
そこは、常闇だった。
濃密な黒と、黴の匂い。
そこは闇が統べる世界。
その闇の中を、光を頼らすしっかりと進む者がいた。
白い病的な顔が無ければ、闇そのものと化す漆黒の装束をまとっていた。
自分の手すら分からない、闇。
ただそこにいるだけで、自分が消えうせるかのような、深み。
浄暗、という言葉がある。
闇にこそ、神がおわすのだという考えだ。
そう、神とは人ならざるものなのだ。
闇とはまさに、「人でなき者達の世界」。
善悪に限らず、闇とはこの世とは異なる存在なのだ。
その闇の最深部。そこで誰もが、この光景がおかしなものと気がつくであろう。
そこは、わずかだがヒカリ苔などで道が分かり、真の闇ではないからだ。
そう、それなのに、今までその場所につくまで、誰しもが濃密な闇をさ迷った錯覚を覚えるのであった。
そしてその者は、ドアにある、不自然なインターホンをおした。
ピンポーン
『はーい、そうぞー』
緊張感のない声が返ってきた。
ドアノブを回して中に入る。
『珍しいですね、こんなところを尋ねてくるとは……んふふふ』
「個人の勝手だ」
そうしれっと男は返した。
「それにしても、大したものだな。見事と言わざるをえんよ、その『魂の蟲』の形には」
男の目に映ったのは、巨大な銀色の『蟲』だった。蝶と蛾の中間にあたり、それでいて微妙に蜻蛉を思わせる、奇妙で、それでいてバランスのとれた、異形なる『蟲』。
『ほほう、そう言う貴方の横にいるのも、かわった少女ですね。んふふふ』
その男の横には、黄金の『蟲』がいた。
そう、「アルル・ナジャ」の魂が。
『どうやらアナタの方が私に御用のようで』
「そうだ。俺はただの案内人だ。お前も知っているだろう?闇がどれほど人に害を成すか」
『とんでもない。闇とは大いなる可能性ですよ?それを恐れることこそ、愚かというもの………』
『だからって、自分の都合でシェゾを振り回すのはやめてよ!』
「………………じゃ、俺は寝るからあとヨロシク〜」
―――数時間後
「……………………ふぁああああぁぁぁぁぁ………………………………まだ終わっとらんのか」
クロノスが受けた依頼は二つ。
その一つが、ルーンロードの魂を探すことだった。
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「アルル・ナジャか。訳六ヶ月前に死亡、迎えに来た死神がその魂に攻撃され負傷、以降死神局のブラックリストに登録され、特別部隊が行方を追うも未だ発見できず……。そのお前が何故ここに来た。言うならば俺は、死神の王ぞ。お前を追っている者達の頂点に立つ者の前に来て、一体何を………!」
『ごめんなさい、でも、もう他に手が無くて………』
クロノスの腕が赤く腫れ上がり、膨らみ、その膨らみはやがて、真っ赤なリングになった。
「強制契約………なるほど、魂となったお前はあらかじめ呪術を己にかけ、自分の願いをかなえるものの元へ案内されるようにし……偶然割けた時空の隙間から俺の寝床に来て、俺はお前の存在に気付いて、お前の正体を確認するため、この結界の力を弱めてお前を通した……。当分出てこなかったのは、その間に俺の体に呪術をかけて、俺が通した瞬間に、俺がお前との契約を擬似的かつ強制的に結ばせさせるためだった………か。くくく……はっはっはっはっはっはっはっは!あーあ、また弟にどやされるなぁ……こんな、駄目な兄貴でよう…………」
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(しかし、まさかこの俺が人間如きに強制契約させられるとは……本っっっ当に情けない。しかし、生前よりも力が上がっているな……。いくら油断していたとはいえ、人間の術で俺と契約を結ばせることなど本来不可能……その上………)
魂の戦いは、一言で言えば、地味だ。
精神エネルギーのぶつかり合いによる、いわゆる「何かいる」感じはするのだが、目に見えないもの同士の戦いであるが故に、地味にならざるをえない。
(その上、神域たる次元の狭間の最下層、「冥府帝王の居城」に来て、魂を保つことができていた……いるだけで狂う究極の「闇」だぞ?)
その時だった。
―――閃光が、その空間を包んだ。
「な、何ぃ!?この気配はぁ……!!?」
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精神界における戦闘は、魂に直接魔力をぶつけ合う、見た目より危険極まりない戦闘だ。
その戦闘により、アルル・ナジャの魂は消滅しかかっていた。
『………………………んふふふふふふふ………………………何故そこまでして戦うのですかねぇ…………………消えればそこで終わりなんですよ?』
ルーンロード自身もすでにボロボロで、これ以上の戦闘は避けるべきだと考えたようだ。
『………………君には分からない………………闇に逃げ込んで、外から人をもてあそぶような人には………………………………』
『…………私が闇に逃げている……………………?』
『そう……………………闇の静かさと安穏さは、確かに悪いことばかりじゃない………………でも、かつてのシェゾがそうだったように、いつまでも闇の中にいるのは不安なんだよ………………誰だって、一人は怖いんだよ!傷つくのは嫌なんだよ!!それでも、ボクは光が欲しい!!ボクはどこまでも!!歩いていきたい!!』
『シェゾやみんなと一緒に!!人と一緒に歩こうとしない君には、絶対に分からない!!』
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「この光は……わが一族の力かぁ!?バカな!?まさか世界に飛び散った、わが一族最初の種の欠片が、アルル・ナジャの、いやあの少女の魂に宿ったとでも言うのか!!?ありえんぞ!?」
やがてその光は、ゆっくりと、収まっていき……
そこにいたはずの、ルーンロードの魂を消滅させた……。
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「どうしたんだ?冥府帳なぞ開いて……」
「プラウダか……ルーンロードとアルル・ナジャの魂を調べているんだが……ルーンロードはお前にも再生不可能な状態になって消滅したそうだ」
「おいおい冗談言うな。俺に無理でも母上になら……」
「いや、我らが母、アレイナスでも、もって一日………」
「おいおいどんな消え方したんだよ」
クロノスは一度冥府帳を閉じ、また開いた。
「えーと、アルル・ナジャの方と見比べてみたが、やっぱりアルル・ナジャの能力で消えた…………………としか思えん………というかそう思いたい」
「なんなんだ?」
「……………お前、アルル・ナジャのデータにいくらかブロックかけてるだろ?」
「やっと気がついたのか?いろいろ苦労してんだよお前が寝ている間もなぁ」
「わ、悪い悪い。よーするに、まだ外に出せないことか……」
「それより頼まれものだ」
プラウダは空間転移魔法で棺を取り出した。少女一人が入るくらいのサイズで、表面には奇怪な文様が刻まれている。
「特別スペシャル、オマケして一年ものにしておいた」
「すまんな。また拘束するような原因つくって」
「気にするな。じゃあな」
そういいつつも、最後まで目は怖いままだった。
「……………………」
契約の腕輪は、半分ヒビが入っていた。
「最後の仕事だ」
クロノスは、丁寧にアルル・ナジャの魂を棺に移し、作業を終えた。
契約の腕輪は、砕けて消えた。
「…………………さらばだ。願わくば、汝の思いが成し遂げられんことを」
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ザアァァァァァァァァァァ………
外は大雨だった。
クロノスは、廃都ラーナの、洞窟のようになった遺跡を後にした。
ザアァァァァァァァァァァ………
しばらくして、仮初の肉体を得たアルルが、目を覚ました。
そこは暗闇だった。
「…………ウあぁ…………ああア…………」
上手く喋れない。魂が体を動かす方法をまだ思い出せないでいた。
ふと、視界に何かが映った。
それが何かを確認する前に、それは口の中へと入った。
「な、なんだぁ?」
すると自然に言葉を放せるようになっていた。
クロノスからの贈り物だった。
少女は歩き出した。はだしだったので、足の裏が痛かった。
ふと棺の底を見ると、扉がついていた。開けてみると、昔自分が着ていた服が入っていた。
プラウダからの贈り物だった。
少女は一人、洞窟から出てきた。外は大雨だった。
「……………………」
長い間闇の中にいたためか、雨の感覚が無償に懐かしかった。
感覚すら消える、闇。少女はつい先ほど、その闇と戦っていたのだ。
そして、今、ここにいる。
一番大切な人ともう一度だけ歩くために。
一番大切な人に、自分がどれだけ幸せだったかを伝えるだめに。
一番大切な人に、残酷な別れを告げるために。
「………………………………………シェゾ!」
少女は走り出す。確信を持って。
闇は自分が消した。彼を阻むものは何も無い。
彼はもう一度、確かな一歩を踏み出せる。
信じて自分も、歩き出す。
死へと一歩。思い出へと一歩。
E・N・D