野良猫<後編>

「、というわけで今日一日働くことになったヘレンローゼ・カッツェです」
 何がというわけなのか。ルルーは口元を強張らせたまま紹介されていた。
 本や書類に埋め尽くされ、殆ど足場のない執務室で。
 
 ――どういうことよ?
 睨む先で、サキュバスは上品に姿勢を伸ばしたまましれっと前を向いている。紫の瞳に宿っていた愉快な輝きは器用隠しつつ。
 

「な、なんで知ってるのよ!?」
 その事を知っているのはアルル、シェゾ、ミノタウロス、そしてルルーの執事くらいのものであるはず。
 振り向いて問えば女夢魔とお掃除妖精は顔を見合わせ、口を揃えたものだ。
「「カーバンクル」」
「…………」
 どうりで姿が見えないと思ったらあの軟体動物、魔族連中にバラして回っていたらしい。
 今度会ったら女王乱舞決定。
 心に決めて前を見れば、しかしテンションは下がる下がる。
(ああ神様、これは夢だと言ってください)
 内心涙を拭うものの、目の前には彼女の愛する魔王様。
 分厚い本片手に椅子から腰を浮かせたままこちらを見ている。

 ……救いなんてあるわけがない。

「ヘレンは見ての通りワーキャットで、我侭・傲慢・乱暴と三拍子揃っております。しかし頭だけは良いので、付きましてはサタン様直々に躾をお願いと思いまして……」
 おまけに横では言いたい放題。
 
 半猫人ワーキャット。つまりそういうことである。
 着ているのはふんわりとした青いメイド服。元気無く垂れ下がった耳は剥き出され、申し訳なさそうに脚へと巻きついた尻尾には大きなリボン。髪はこともあろうにツインテール。
 サキュバスとキキーモラに無理やり着替えさせられたかと思えば、今度は半猫人の新人メイドとして働けというのだ。
 それも魔王補佐として。これはどういうイジメだろうか。

 重厚なデスクの上でランプが映し出す魔王の薄い表情。向けられた紅い瞳からは内心を読み取る事はできない。
 何かを言うべきか迷っていると、
「お願いできますわよね?」
 女夢魔に前へと突き出された。
 にっこりとした笑顔は邪悪よこしま
「ちょ、待っ……!」
「よかろう」
「へ?」
 振り返ろうとしてルルーは間の抜けた声を上げる。
 閉じた本を置き、サタンが言ってきたのだ。
「ヘレンローゼ・カッツェ。サキュバス、お前はもう下がって良い。後は私が引き受けよう」
 低く反芻してから女夢魔へと言った。
 サキュバスは頭を下げ、魔族の女性にふさわしい長身を反転させる。
「ヘレン」
「は、はい」
 去り際、彼女の肩に軽く手を置いて行った夢魔。
 扉の向こうに消える姿を呆然と見守る女の名が呼ばれ、彼女ははっとして振り返った。
「話しの通りだが、異存はないな」
「は、い……」
 どこをどう踏ん付けてきたのか、いつの間にか魔王の長身が目の前にある。
 見上げれば相変わらず感情を見せない白仮面。
 呆気に取られつつルルーは頷き、そして間もなく両腕にずっしりとした重み。……本の山だ。
「早速だが、これを地下書庫まで運んでもらいたい」
 見下ろしているといかにも事務的な声が降ってくる。
 訳の解らない虚脱感でこっくりと首を傾けたルルーがメイド服を翻し、
「待て」
「…………」
 しかし尻尾を掴まれ硬直。
「ヘレン、お前は地下への行き方を知らんだろう」
「えっと」
「ましてやこの本をどうするのかも知らん。そうだな?」
「いえ、それくらいは、」
「ヘレンローゼ」
「はいわたくしはこの塔に勤めるのは初めてですので何が何処にあるのかましてや何をどうすればいいのか全くもってさっぱりすっぱり」
 それくらいは知っている。
 言おうとすると、サタンが尻尾を握る手に力を込めて語気を強め、ルルーは慌てて訂正した。
 手を離した魔王が横を通り過ぎ、それを目で追っていると顔だけをこちらへ向けてくる。
「では案内しよう。付いて来るがいい」
 すたすたと歩きだしてしまう。
 緑の髪と黒衣が揺れる後姿をしばし眺め、ルルーは憮然と本を抱え直して彼の後を追った。



(まったく、何を考えてるのかしらね……)
 サタンの後ろを一定の距離を保って行きながら、黒い翼の背中に毒突く。
 あれ以来彼は振り返ってくる事も何かを話しかけてくることもない。長い廊下を黙々と歩き続けている。
 これも暇つぶしや気まぐれの一環だろうか。
 そう思うも、違う気がする。何かを思い詰めている様な、考え込んでいるような、そういう気がするのだ。何を?それは解らないが。
 二人についてくるのは二つの影のみ。半歩後ろで伸びたり縮んだり、ツインテールの暗い猫が滑稽。すれ違う魔族はみな振り返ってくるが、話しかけることもせずに通り過ぎていった。

 あまり宜しくない気分。

「…………」
 と、サタンの動きが止まった。
 急停止したため崩した体勢を立て直すと、ご親切にも平坦な声。
「ここが書庫だ」
 軋みを響かせて扉が開かれ、サタンが踏み出せば、部屋の中に明りが灯る。
 大して放置されていたわけでもないだろうにも関わらず、埃っぽく侵しがたい空気が漂うこの部屋。立ち並ぶ本棚までもが偉そうに見下ろしてきて、眩暈に似た気だるさに襲われる。
「この書庫では、世界各地から貴重な書物が集められ管理されている。嘗て、世界を恐慌の渦に陥れた魔獣を封じた本。偉大な錬金術師が遺(のこ)した文献。古代の魔導師達が自らの命を犠牲に生み出した禁断の書。太古に滅びし妖精達の歌声を綴った詩集などといったものから、歴史に名を残す作家直筆の物語など、全て秘蔵のものだ」
(へぇ〜……)
 いつも行き来してはいるがまさかそんな珍書揃いだとは知らなかった。
 靴音に重なる声を聞きながら見渡せば、一見無秩序に並べられた本の数々。装丁の色も質もバラバラ。背に書かれた文字もバラバラ。しかし分野毎に分かれているのだろう。恐らく。
「どこまでも魔導都市、という事ですか。それで、この本たちはどちらへ?」
 単に趣味だけならここまで徹底して集める必要はないのだ。世界最大を誇る学園図書館や街の市民図書館、そしてその二つがすっぽり納まりそうなこの地下書庫も、それはひとえにここが魔導の街だから。
 嘆息と供に問えば、立ち止まった魔王が横を向いた。追って見れば納得。
「歴史書……ですね」
「いや、ただの日記だ」
 庫内のどの棚よりも高く幅広な棚。
 サタンの科白にルルーはまたもや溜息を吐きそうになる。これの何処が『ただの』なのだろう。

 世界という大きな流れの情報溝、幾百幾千という時代の記憶。歴史学者たちが涎を垂らして欲しがるだろう。歴史学者だけではない。世の魔導師や各国々の支配者たちも。飢渇きかつし、奪い合い、世界の秘密を暴こうと躍起になる。
 例えこの男にとっては日々の記録、それ以外に何の価値もないものだとしても、だ。それだけの価値がこれにはある。
 
 時の流れが大事に閉じられ並べられた棚。比較的下段の、所々の隙間がこの歴史たちの居場所らしい。彼は本棚を見上げたままだった。
 いつから始まったのか、過去は遥か彼方。どう頑張っても届かないだろう事確実。もっとも、手に取ってみた所で人間が読めるような代物ではないのだけれど。

 ルルーは抱えていた本を置き、中から一番古いものを手に取った。
 睨みつけ棚に重心を傾けてつま先立って、め一杯腕を伸ばす。
(ダメ、届かない)
 あと数センチにも満たない距離がもどかしく、何度も限界まで背を伸ばす。
 この時代、彼は何を見何を考え、何をこの本に記したのだろう。ふと過ぎる疑問を彼女は直ぐに打ち消した。知った所でどうなる事でもない。
 唇を噛み締め今一度伸び上がる。
「?」
 と、ルルーの指先から本が消えた。
 見上げれば紅い爪を有した長い指が、つまみ上げた本をいとも容易く差し込んでいる。
 「…………」
 気付けば肩に置かれた手、直ぐ頭上に感じる息遣い。伝わる体温が彼のものならば、この鼓動は一体誰のものだろうか。

(やっぱり、からかわれてるのかしら?)
 
 脱力するしかなかった。


◆ ◇ ◆ ◇


「そう、そういうことなら解ったわ……」
〈うん、ごめんね。でも、もうちょっとで何か解りそうなんだ。また連絡するから〉
「ええ待ってる」
〈じゃぁ、また後で〉
 少女の声が途切れ、水晶から緑の光が失せていく。

「アルルちゃん何だって?」
 ぼんやりとそれを見つめていたルルーは、問いかけに振り返った。
「まだ何も解ってないらしいわ」
「そう」
 椅子にまたがり背もたれに腕と顎を乗せたまま、サキュバスが軽い調子で頷く。
 なんだか素っ気ない。
「で、あの男は何やってたわけ?」
「あの男って、シェゾの事?」
「そ。アルルちゃんの後ろで何か喚いてたじゃない」
「そうだっけ?」
 全然気付かなかった。首を傾げていると、
「サタン様の様子は?」
 少し身を乗り出して訊いて来る。
 瞬間、ルルーの表情が曇った。
「……よく解らないわ」
 正直な感想だった。

 あれから掃除や書類の整理、お茶の用意など色々な仕事をこなした。といっても殆どいつもやっている事なのだが。その都度、サタンは度々現れ、じっとこちらを眺めたり、頭を撫でたり耳を触っていったり、時にはうんちくを垂れては去っていくということを繰り返していたのだ。
 意味不明。理解不能。
 だが唯一つ、今日一日彼の口から『ルルー』の名が出てこなかったのは確か。
「あの人なりの埋め合わせなんじゃないの? ほら、アンタ勝手にアタシたちの中に入ってきて勝手に仕事覚えてったじゃない」
 別に皮肉ではない。
 言いながらもサキュバスは考えるように斜め上を見ている。軽くウェーブの掛かった黒髪を指で弄びながら。
 ルルーの顔がますます渋みを増し、
「あの人がそういうタマ?」
 目だけこちらを見、サキュバスが苦い笑いを作った。
(でも、もしサタンさまが、少しでも私のことを――)
 高望みだ、と心は片隅で否定するが。
 目の前には相も変わらず魔族の女。
「……………」
 魔族の。
「ねえ、サキュバス」
「なによ」
 声をかければ確かに応えてくれる。同じ場所にいて、同じ時を過ごしている。
(魔族、か)
 なんとなく、何かが吹っ切れた気がした。
「私って、結構恵まれてるわよね」
「はぁ?」
 近頃、少し悲観的だったかもしれない。
 訳が分からないという表情の女夢魔を尻目に立ち上がる。
「何処行くのよ?」
「散歩」
 背後に聞こえる夢魔の声に一言残し、ルルーは自室を出た。

 夜の帳が下りきって久しい。
 吹き通しの窓から見える満月が、蒼黒をどこまでも鮮やかに映し出す。
 薄暗く静まり返った廊下。急ぐわけもなく一歩一歩進むルルーの目に、一筋伸びた明かりが飛び込んできた。

 謁見室では、玉座に腰を据えたまま魔王が目を閉じている。
 深く、この夜のようにひっそりと。付きの者さえ添えずただ一人。
 揺らぐ明りに影が躍る。思慮深い瞼がおもむろに開かれ、
「まだ起きていたのか」
「…………」
 紅玉の瞳が見下ろす先、進み出てきた女を捉えた。
 青い髪のツインテール。ぴんと立った猫耳。服からはみ出した尻尾には大きなブルーリボン。凛と整った表情の、青のメイド。
 ヘレンローゼ・カッツェ。

「明日も早いのだ。今宵はもう休むが良い」
 彼女の唇が開きかけたのを余所に、言い放った彼は遠くを見やる。まるで逃げるように。女の口が語るのを、拒むように。
 引き結ばれた女の紅唇、だが怯んだわけではない。真っ直ぐな瞳で眼差しを強く、彼女は魔王を見る。口を開く。
「ヘレンローゼは、明日にはもうここにはおりません」
 肘掛の上で指がぴくりと動いた。
 構わず足を進めてゆく。軋んだ音がどこかで聞こえる。
「私は元に、ルルーに戻ります。恐らく今夜中には」
 踏みしめる度に、ミシリミシリと響鳴する。
「元に? お前はお前であろう」
「違います」
「……お前は我々と同類だ」
「私は人間です!」
 何かが壊れた。
 サタンの目が見開きこちらを向く。
「私はただの人間です! 魔導力さえも持っていない、貴方がたの仲に交じ入ることなどできるはずがない、ただの!」
 薬の効果で変容したところで、魔に近付けるはずがない。冷静になって考えれば思い出すはずなのに、浸りかけていた。心のどこかで甘んじていた。望んでいた。
 感情の深くを捕らえる醒めた後悔は、有り得ない渇望を抱いてしまった自分へか、それとも失くしたものへの愛執だろうか。

 どちらにせよ、堰を切った想いは止まらない。乾いて震える唇は言葉を止めない。
「私には貴方を愛する資格なんてないのかもしれない。貴方と供に生きるなんて事できないし、貴方の全てを埋める存在になんてなれない。貴方の、その記憶ほんの一瞬にさえ触れることもできない。……私は貴方の重荷にしかならない。でも――」
 段を上り膝をつく。彼の手に自分の手を重ねる。白い床に美しい青が流れた。
 見上げる先には苦しげに目を細めた男の顔。 
「私は貴方が好き。魔王だろうと、生きる時間が違おうと、貴方が……」
 人間の命は短いもの。ましてや、魔導力を持たない者が魔族相等に永き時を生きられるわけがない。愛する者に思い出を背負って生きろというのか。そんなの単なる我侭だ。
「サタン様……」
 だが、心を消して立ち去れるほど、強くはなかった。
 一度目を向けてしまったものを見かなった事にできるほど大人ではなかった。
 知ってしまった想いを無視できるほど、冷徹にもなれなかった。

 魔王が諦めたように息を漏らした。
「人間の方が、魔族なんぞよりもよほど残酷な生き物だよ」
 真っ白な無音空間を言葉が滑り落ち、しかし彼の瞳は冷たいものではなく。
「拒めば後を付いて回り、振り返ればそっぽを向く。例え強く抱き竦めようともいずれはこの腕をすり抜けてゆく」
 言いながらの片手が頬に触れる。
 冷たい。しかし確かな暖かさを感じる悪魔の手。
 目を閉じた猫は頬を寄せ耳翼を震わせる。微かな熱にすがるように。
「気高く気紛れで、決してこの手に収まろうとはしない。如何なる手段を以ってしてもお前を縛る事などできはしない。野良猫ヘレンローゼカッツェ……ルルーよ、お前にこそこの名は相応しい」
 重なっていた手が翻り、造形の指がルルーの指を絡め取る。
「私は一体……」
 続きは聞かなくとも解っていた。その葛藤にも気がついた。
 けれど知っていた。彼の問いに答えられる者は誰も――
「ならお前も猫になりゃぁ良いだろ」
『は?』
 突如聞こえた別の声。
 瞬間、サタンの頭上で水の流れる音がした。


◆ ◇ ◆ ◇


「なっ、なっ!!?」
「さ、サタン様、あ、頭!!」
「は……はぁっ!!?」
 薄緑の液体が滴る手を見下ろしていた魔王が、女の声にそろそろと頭に手をやった。
 途端、魔王の威厳である角がキレイサッパリ消失せ、代わりに猫耳が生えている事を知り面白いほどうろたえる。
「ちょっとシェゾ! アンタ一体なにやって……!」
「何だお前、その格好。仮装大会か? それともこのロリコン魔王の趣味か?」
 ルルーの吊り上がった目が向けられ、しかし玉座の後ろで不適に笑んでいた闇の魔導師は一蹴。
 サタンは目を丸く、口を開けたまま固まっていた。当然だ。尻尾を踏みつけられているのだから。
「しぇ、シェゾ……貴様っ!」
 ギギギと振り返り涙目で睥睨してくる魔王。だが彼は平然と見下ろし、
「文句なら俺じゃなくて自分の部下に直接言え。部下のやらかした事に上司が責任を取るのは当然の事だろう」
「何?」
「どういうことよ?」
 空の小瓶を弄びながら言いう彼。サタンが眉を寄せルルーが言葉を継ぐ。
 小さな硝子瓶が放られ弧を描き、高い音を立てて床にころがる。もったいぶった沈黙の後、シェゾは声を低く。
「犯人はあのふざけたナンパ夢魔だ」
「インキュバス!? え、で、でもどうして?」
「さぁな。どっかの誰かさん宜しく暇つぶしか面白半分で、だろう。ウィッチが持ち歩いてる薬の中から一つ拝借してお前に盛ったんだとよ。アルルをナンパしにきやがった所をとっ捕まえて問い詰めたらあっさりと白状したぞ」
「……あの馬鹿が」
「ウィッチ自身は知らなかったらしくてな。説明したら驚いてたぜ。夢魔を実験台に引き渡して代わりにもらって来た薬が――それだ」
「いや、遅いだろっ」
 指差され、こめかみを押さえていた緑髪猫がすかさず突っ込む。
 シェゾは咳払いし、
「まぁ良かったな、サタン。ソイツとお揃いだ」
 おどけて手を叩くとサタンは口を空しく開閉させた。
「ま、待って、それじゃ私元に戻れないじゃない!」
 ルルーが不満げにシェゾを見、愕然とサタンが彼女を見る。
 なにやら言いたげな魔王を闇の魔導師は無視。
「そこら辺は心配ない。薬の効果は時間が経つと自然に消失するとのことだ。もっとも、いつ切れるかは人の体質によるらしいがな。ま、折角だし二人で宜しくやっててくれ。薬はちゃんと渡してやったんだ俺は帰るぜ」
「ちょっ、そんなの渡した事にならないわよ! 無効よ、無効!!」
「そ、そうだ、ちゃんと戻さねば意味がないだろう! というか戻せ! 二人とも今直ぐに!」
「まさかアンタそのまま帰るわけ!? 酷い、無責任、ロクデナシ!!」
「変態、陰険、キノコ、ロリコン魔導師っっ!!」
「…………」
 にゃーにゃー五月蠅い化け猫には聞く耳持たず。シェゾは目元を引きつらせたまま呪を唱えて印をきり、さっさとその場から消え去った。


 後に残された青と緑の猫二人。
 肩を落とし、
『…………』
 顔を見合わせて苦々しく笑った。


◇ ◆ ◇ ◆


「今帰ったぞ」
「お帰りなさーい」
「ぐっぐー」
 月が白味を増し、玄関に足を踏み入れたシェゾをアルルとカーバンクルが出迎える。
「お疲れ様。薬、ちゃんと渡してきた?」
「ああ、きっちりとな。二人とも喜んでたぜ」
「へー、そう?」
 微妙な音韻が気に掛かったらしい。首を傾げるアルル。
「お前は? ウィッチからもらったルー、どうだった?」
「ん、バッチリ。やっぱりあの子、調合に関しては天才的だよね。薬は時々変なもの作るけどさ」
 問えば直ぐさま思い直した無邪気。
 大きな目をキラキラ輝やかせ、わくわくと言ってきた。
「シェゾ、食べるでしょ? 今日はとびっきり腕によりをかけたんだから」
「ああ、そりゃ楽しみだな。丁度腹が減ってたところだ。あ、おいカーバンクル! そいつ乱暴に扱うんじゃねぇぞ!?」
「ぐぐー!」
 外套をアルルに預けながら食堂に入り椅子に身を投げる。
 闇の剣を咥えて出て行くカーバンクルを――まさか喰う気じゃないだろうが――汗を垂らしつつ見送り、シェゾは調理台に立ったアルルに視線を流した。
 香辛料の独特な香り。白いエプロンドレスの後姿。いつも以上に眩しく、目を細める。


 人は愛する者の中にこそ己を見たがるものだ。
 言葉・行動・思考・種族。あらゆる顕在事物に共通を求め、安心したがる。
 個は個でしかないと知っていながら、潜在的な物に何一つ同じものはないと解り切っていながら、多少のズレにも不安を感じ個性を壊してでさえ“最初から同じだったのだ”と言いたがる。
 誰かに止められているわけでもなく。にも関わらず自分と相手との格差に怯える。さも同じ存在でなくてはならないと云わんばかりに。

 ――この場所に引き摺り込み抱き竦める事ができるのなら、どんなに楽か。
 溜息を吐く。

 しかし目の前の光は光でしかなく、あの人間は人間でしかない。
 認めれば良いのだ。
 互いの違いも、自分の想いも何もかも。さすればおのずと道が開けて来るはず。例え今は何も見えなくとも、あれ程思い詰めていたのは一体なんだったのかと笑う日が、きっと来る。


「なぁ、猫ってどんな感じなんだろうな?」
「さぁ? ボク猫じゃないから解んないなぁ」
 背にもたれ、懐中の小瓶を取り出して問えばそんな答えが返ってきた。
 ウィッチから保険としてもらっておいたもう一つの薬。
 目線に掲げると部屋の明りを受けて煌きながら波打つ。
「やっぱそうだよなぁ〜。猫の気持ちは猫にしか解らないよなぁ」
「……ねぇ、シェゾ」
「ん?」
「一応言っておくけど、ボクその薬絶対飲まないからね?」
「……ちっ」

                            おわり

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 ◆ヘレンローゼカッツェ:野良猫(独)

 かなり前に、ある同人誌に参加させてもらえる話がでたときに書いた小説です。
 結局いろいろあっておじゃんになってしまいましたが(^^;) もったいないので掲載(笑)
 同人誌用だったので、描写は結構詳しめかもしれない。

 あ、ちなみにテーマはネコミミ萌えでした(大真面目)