野良猫<前編>

 黒い影と化していた森の向こうが白く滲む。

 夜がじりじりと後退していくにつれて青と蒼、藍の境界が空に現れ、かと思えば追われるように色をなくしていく。
 木が、草が本来の姿を取り戻し、花が目覚め鳥が飛び立つ。
 冷たく沈んだ空気が上昇を始める。
 やがて白は暁の朱となり、夜明けの黄金へと変わり――、

「ん、ふ……っ、あっ、そんな、ダメです! さたんさまぁ〜……」
 天明の光が窓から射し満たされる部屋。綺麗に整えられたベッドの上では毛布に包まり丸る女。
 大海を想わせて波を描く青い髪。真珠のように白い胸元は豊かに膨らみ、それでも無駄なく引き締まった体つきによく合う紗の夜着。
 男女問わず、全ての者が魅了され羨むような濃艶な姿態。
 しかし彼女の口元にはだらしがないほど幸せな笑みがのっている。

〈ぴっぴファイト、ぴっぴファイト、ぴっぴファイト〉
 と、鳴り出す無機質な音。
 煩そうに眉間にしわを作った彼女は、優雅な眠りを邪魔するそれから逃れようとますます背を丸めるものの、やがて観念したように腕を伸ばす。
 しなやかな手の指先が幾度か何もない空間を探った後、辿り着いた時計を黙らせた。 
 殴って。
 身丈が半分以下になったにも関わらず、時計は尚も健気に時を刻み続け、何事もなかったような沈黙の訪れ。
 女の瞼がゆっくりと開かれ、その奥から翠玉の色が現れる。

 ――なんだ、夢か。

 半分眠ったまま辺りを見回し溜息一つ。そしてのそのそ起き出した。
 重たい瞼を擦って背伸びをして、
「?」
 何かに気づいた。
「??」
 ベッドから降り、巻きついたままの毛布を引きずり壁掛けの鏡を覗き込む。
 映る自分の顔。だが彼女は理解していなかった。というか理解できなかった。頭から突き出たそれが何なのか解らなかった。
 目を擦り瞬きを繰り返し、もう一度鏡を凝視した彼女の寝惚け眼が覚醒していく。
「!!?」
 一気に目覚めた脳がフル活動。
 理解した。
 青ざめがばっと鏡に噛み付いてみるものの、だが見間違えようもない。
「き……」
 青白くなった唇がわななく。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 朝の空に悲鳴が上がった。


「ルルー様ぁ! 一体どうし――ふごぉっ!?」
「ノックもなしにいきなり入ってくるんじゃないわよこの牛!!」
「ぶ、ブモーーー!!?」

 
 
◆ ◇ ◆ ◇
 
 
 世界唯一の高等魔導学校、古代魔導学園。
 魔導世界広しといえども知らぬ者はいないといわれる名門校でありながら、俗世から隠され守られ続けているお膝元には、決して大きいとはいえないが都市が存在する。
 夏を謳歌する陽光の下、道行く学生達が専門用語を口走りながらあーだこーだ意見を交わし、白い街道を黒い馬車が疾走はしる。
 魔族の商人が店前の掃除を終えてドアプレートを『OPEN』にひっくり返し、一般人には何が何だか解らない護符やら魔道具やらがショーウィンドウに並ぶ。

 そんな街の一郭に、この屋敷は存在した。
 
「で、こんな朝っぱらから何の用だ?」
 数ある部屋の中では一番質素で落ち着いた客室。目元を青黒く、顔のあちこちに絆創膏を貼り付けた牛頭人身の男ミノタウロス――今朝投げつけた鏡が当たったのだ――が辞したドアを眺めながら、つっ立ったままの男が屋敷の主よりも偉そうに訊いてくる。
「何でこんなヤツ連れてくるのよ」
「だって、行くって聞かないんだもん」
「だってってねぇ、アンタ……」
 無視。
「……おい」
 低い声にちらりと見れば、冷めた青が睨んでいた。
 仕方ない溜息と供に、ルルーは挑戦的に男を見上げる。
「私を見下ろすなんていい度胸じゃない。シェゾ」
 椅子を用意しなかったのはこちら側なのだが、関係ない。気にくわないものは気に食わない。だが、男は諦め悪く尚も半目でグチグチ言ってくる。
「見下ろされたくなきゃ椅子を寄越せ、椅子を。何で俺だけ」
「あら、それが他人にモノを頼む態度なの?」
「呼び出したのはお前の方だろ」
「私はアルルを呼んだの。アンタはお呼びじゃないの。お解り? 客でもなんでもないヤツに椅子なんて用意できるわけないじゃない。犬は床にでも座ってなさいよ」
「なっ、誰が犬だと? てめぇっ」
「何よ、何か文句でもあるわけっ!?」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。……シェゾ」
 バチバチと火花を散らす二人の間に苦笑いの少女が割って入った。
 言うことを聞いていたほうが無難。そんな感じで名を呼ばれた男は少女を一瞥、鼻を鳴らして一歩下がり、どかっと床に腰を下ろし、不機嫌な頬をつく。
 ほら、やっぱり犬じゃない。
「でもびっくりしちゃったよ。まさか起きたとたん呼び出されるとは思ってなかったし」
 椅子の上で向き直り未だ面食らった顔で言う少女。
 セミロングを高く結び、下の部分をそのまま流した鳶色の髪。まだ幼さの残る顔立ちと光の加減で金色に輝く茶色の瞳。多大な才能を内に秘めた魔導師の卵――アルル・ナジャ。
「けっ、どうせ大した用事じゃねぇだろ」
 床で不貞腐れた態度を取る男。
 銀髪蒼眼。眼差しは泣く子どころか大概の人間は一睨みで黙らせる切れ長。純白長衣が彼の変わり者を主張する変態の代名詞。闇の魔導師――シェゾ・ウィグィィ。
「大事な用なの。一大事なのよ」
 深くスリットの入った白絹ドレスから覗く足を組み、腕を組んで屋敷主であるルルーは言う。
 頭の上に乗っているのは何故か麦藁帽子。

 魔導学園きっての危険人物三人組(ちなみに一人は学生にあらず)彼らの名を知らぬ者などこの街には存在しないだろう。寧ろ知らない者は潜りだと断言できる。
「一大事一大事言ってるヤツの話に限ってクダらなかったりするもんだ」
「こんなウザいヤツにいちいち連絡してるの? 朝っぱらからアンタもご苦労ね」
「してないよ。ルルーが通信水晶で大声出すから聞こえちゃっただけ」
「どういうことよ?」
「泊まってるの。ウチに」
「〜〜っ、お前らなぁっ、俺の話を無視するんじゃねぇ!!」
 シェゾがキレた。
 立ち上がり指を突きつけてくるその横で、アルルが呑気に紅茶をすする。
「泊まってる、ですって?」
 ルルーは片眉を跳ね上げてシェゾを睨みつけた。
 途端男がぐっと息を呑む。眼が泳ぎ、そしてそっぽを向く。
「べ、別にやましい事はしとらん。ただ勉強を教えてやってるだけだ。……せがまれたんでな」
 何故か腕を組んでふんぞり返り。額には焦りの汗。
 今一つ信用におけない。
「一度襲われそうになったけどね」
「――! お前はまたそういう誤解を招く事をっ!!」
 乾いた音を立ててルルーが固まった。
 しれっと言ってのけるアルルを振り返り吠えるシェゾ。
 ……違った。犬じゃなくて狼だった。
 ルルーはテーブルに手を突いてゆっくりと腰を上げ、
「シェゾ、どうやら私は今から墓標を一つ、用意しなきゃいけなくなったみたい」
 にっこり笑い背筋も凍る優しい声。そして豹変。
「以前からアルルのこと狙ってるとは思ってたけど、まさかそこまで落ちた男だとは思わなかったわ。この子の清らかな将来のため、覚悟なさい!」
「ま、待て! 話を聞――」
 彼女が双眸を光らせながら、両手の拳をバキバキ鳴らす。帽子の斜影も相まって迫力満点。
 シェゾが仰け反り防御に構える。言いかけた目線は、しかし一点を捉えて停止した。
 彼の隣でアルルも目を丸くして同じ方向を見ているのが視界の隅に映り、ルルーは眉をひそめる。
「何? 一体どう――げっ」
 二人の視線を追って振り返った。
 咄嗟に横で揺れているそれを引っ掴み押し隠すものの、完全に知られてしまった事など考えなくても解ることで。誤魔化すための愛想笑いも空しいばかり。
「何、今の?」
「なんか紐のような、動物の尻尾のような……?」
 ――す、鋭い。
 疑問符を浮かべこちらを向く二色の眼差し。
 ルルーが言い訳を考えつつ口を開きかけた時。
「ぐっぐー!」
「え? ちょ……!」
 嫌な気配と鳴声が後ろから。
 振り向けば黄色い長耳の正体不明、カーバンクルが無邪気にこちらを向いた。
 短い手(前足?)には麦藁帽子。楽しげにパタパタと振っている。
 情けない叫びを心の中に圧し留め、ルルーはさっと頭を両手で隠す。彼女の青い髪から出ていたそれ。ぴんと立った猫耳。

 頬を引き攣らせて汗を垂らし、振り返る。
 テーブルの向こうには、呆気に取られてぽかんとしている少女と、口元を押さえて笑いを噛み殺し、天井を仰ぐ男が一人。
「…………」



「それで、心当たりはないのか」
「無いわよっ」
 顔中引掻き傷だらけになったシェゾの問いに、椅子の上で膝を抱えてぐずるルルーはつっけんどん。
 頭の上では三角形の耳が落ち着きなくぴくぴく動き、背後では長い尻尾が優雅に揺れている。
「そう怒らないでよ。相談って結局そのことだったんでしょ?」
「そうよ。コイツにだけは知られたくなかった相談事だけどね」
 カーバンクルを捕まえたアルルにのんびりと言われ、ルルーは全身を逆立てたままシェゾを睨み付けた。
 彼が苦笑を浮かべて肩を竦めて見せるも、収らない。弱みを握られたみたいで嫌なのだ。
「でも話さなきゃ先に進まないよ。最近変わったことあった? 症状が現われたのが今朝だから……昨日の夜とかは?」
 年下の親友に諭されて視線を落とす。
 テーブルの上には麦藁帽子。カーバンクルから取り返したものだ。
「全く何もないって訳じゃないわ」
 脚を下ろす。
 顔を上げてこちらを伺ってくる茶色の瞳を見た。
「昨日の夜、サタン様の所でウィッチやサキュバス、キキーモラとトランプをしたのよ」
「トランプ? ポーカーとかブラック・ジャックとか?」
「ババ抜きよ」
「…………」
「そん中で一番怪しいのは――」
 シェゾが顎に手をやる。
 三人互いに顔を見合わせ、そして異口同音。
『ウィッチ』
 確信めいた空気が流れしかし、
「でも薬使った感じじゃなかったのよね。様子がおかしかった訳でもないし。あの子、案外正直な子だから」
 頬杖を突き、紅茶をスプーンで掻き回しながらルルーが言う。耳が横を向いて尻尾が丸まる。
「飲み物とかは?」
「紅茶もお菓子も持ってきたのはインキュバス。勿論みんなも食べたわ」
「んじゃぁ違うかなぁ……」
「でも思いつくことって言ったらそれくらいなのよ。その前はずっとサタン様といたし」
「サタンに呪いでも掛けられたんじゃないのか?」
「そんなはずは無いわ! だいたい何の為によ」
 溜息のような沈黙。
「お手上げ、か」
「どうしよう。このままじゃ外に出られない」
「う〜ん」
 犯人が判らなければ戻る方法を問い詰める事さえできやしない。
 シェゾが軽く両手を挙げ、ルルーは頭を抱え、アルルが考え込む。
 カーバンクルが膝の上で飼い主を見上て一声鳴いた。
 少女の茶眼がルルーへ向かい、
「ねぇ、サタンの所行ってみない?」
「な、冗談じゃないわ! こんな姿サタン様の前にさらせって言うの!?」
 ばんっと音を立ててルルーは立ち上がった。耳が緊張し、尻尾までもが直立。
「でもさ、もしかしたらサキュバスやキキーモラも同じ目に遭ってるかもしれないよ?」
「それに万が一あの魔女が犯人なら、必然的にヤツの塔へ行かなければならんだろうな」
「それはそうだけど」
 級友であり魔王の配下でもある魔女の少女を思い浮かべながら、しょぼくれ猫がすとんと腰を下ろす。
「じゃぁ二人で行ってきてよ」
 力なく斜めに言えば、シェゾがアルルをちらりと見やり、
「本当に良いのか?」
 冷静に苛立った青が向けられる。
 ……脅しだ。これは。
「わ、わかったわよ。行くわよ、行く」
 咄嗟に言うと、アルルがにっこりと笑った。
「良かった。ルルーがいればまたシェゾに襲われそうになっても平気だ」
「私、アンタのお守り役じゃないんだけどぉ?」
「え〜、でもシェゾってば事あるごとに勝負仕掛けてきて困ってるんだもん。ルルーからも注意してあげてよ」
「勝負って……、いつもの魔導合戦の事? 襲われそうになったって、その事!?」
「そだよ」
「…………」
 だから話を聞けと言ったろう。
 目眩を感じた向こう側、シェゾの呟きが聞こえた。


◆ ◇ ◆ ◇


「それで貴様までわざわざ来たのか」
「ああそうだが。何か不都合でもあったか?」
 仄かな灯火が壁で揺れる室内。広い空間に響く声は、片や何気ないものであり、片やあからさまな敵意が含まれていた。
 対するは三人と一人。悠然と玉座に腰掛けた一人と、段下に並ぶ三人。
 
 ――重い。

 一際も二際も重力が増した空気。唯一動く火影を視界の外に感じながら、ルルーは目線だけで横を見る。
 自分たちの中でも一層目立つ存在感。シェゾの前を見据える視線は鋭かった。珍しく同意していた割には。
 アルルの隣で一歩前に踏み出し、何を警戒してなのか予想は付くが腰には例の剣。
 先ほどからずっと手は添えられているものの、抜く気配がないところを見るとそこまで無鉄砲というわけではないらしいが。


 街の外れ、前方に街を背後に海を一望できる丘に白昼堂々と聳え立つ灰色の塔は、魔王の本拠である。
 魔族と人間が隔てなく暮らす理想郷。魔導学園がひた隠している実態。
 言うまでも無く多くの魔族が集まっているわけで、例え目前に映るのがサタン一人だけだとしても何処に何が潜んでいるか解らない。

 勿論、おかしな行動に出ればルルーとて黙ってはいないのだが、そうでなくても目の前の相手はあまりにも偉大すぎるのだ。

「詳しい話は後ほど聞くことにするが……」
 飾らない玉座は主の存在一つで大きく姿を変える。
 宝石で埋め尽くす必要はない。そこに座って足を組み肘掛にもたれた男、それ以外は必要とされない。
 唯一無二、絶対なる荘厳そうごん。長い深緑の髪から突き出た勁角は太陽をも射抜く黄金。背後には宵にも染まらぬ黒竜の翼。端整な白磁で平坦にこちらを見る眼は血を模した真紅。
 光にも闇にも屈さない男。全知全能の神でさえ彼に膝を折らせることはできないのかもしれない。その証拠とでも言うように、魔王は向けられ続ける敵意をさらりと流している。

 視線を戻せばいつの間に向いていたのか、紅い瞳と目が合う。
 サタンの顔に平凡な疑問符が浮かび、ルルーは口をへの字に曲げてさっと麦藁帽子を掴んだ。

 ――脱ぎません。
 意思表示だ。

 諦めた魔王の目が再び闇の魔導師へと向けられる。
「何が知りたい」
「魔女の居場所を教えろ」
 質問が最初に戻った。
「彼女の仕業だという証拠は何処にも無いだろう」
「可能性をみすみす見逃せって言うのか!?」
 無論ウィッチの事である。
 屋敷の魔法陣を使ってここまで来たルルー達だが、残念ながら彼女を見つけることはできなかった。塔の中も異変が起きた様子はなく、無断でうろつく訳にも行かないので魔王に謁見を求めたというわけだ。
 サタンには大まかな説明はした。シェゾが。いつもながら、初っ端から不快を剥き出しにしていたが。
 尻尾は丸めてドレスの中。先ほどの疑問符はルルーの帽子を訝ってのものだ。

 魔導師がだんっと床を踏み鳴らし魔王が嘆息する。
「だが言えぬ」
「何故だ」
「居場所を知らん」
 白々しい沈黙が流れた。
 シェゾが頬をひくつかせ、アルルが深く溜息。
 やっぱり、ね。
 ルルーは身体を起そうともせずキッパリと言い放った魔王を見る。
 遊んでいる。
 彼の言葉は何も部下を案じてというわけではない。遊んでいるのだ。この闇の魔導師で。
 知らないのは本当だろう、がどうでもいい。からかい挑発し神経を逆撫でして反応を楽しんでいる。堂々巡りの問答も。話を終わらせたのは飽きたからだろう。
「お前も魔導師だ、魔女一人くらい私の手を借りずとも見つけられるのではないか?」
 ほらまた。
 姿勢を直して手を組み、足を組み替えてサタンが哂う。
 シェゾが目元を険しく口端を吊り上げ、
「……確かにな」
 売り言葉に買い言葉。
 不穏が濃くなり息が詰まる。だんだん神経までもが擦り減ってくる。
 ――あぁ、やだやだ。
 明後日を向きつつ盗み見れば、アルルは珍しいくらいの無表情で二人の舌戦を聞き流していた。
「ルルーはこちらで預かろう。お前たちは安心してウィッチを探して来ればいい」
「そりゃ頼もしい。恩に着るぜ魔王様」
 いつも来ているのだから預かるも何もない、などとは言う気にもなれない。
 表情の無い微笑を貼り付けたまま、吐き捨てたシェゾが踵を返す。
 魔導師の卵もそれに続こうとし、
「アルル」
 しかし魔王によって呼び止められる。
「気をつけてな」
「え、う、うん」
 わずかな間があり、魔王の表情が緩んだ。
 まだ天使だった頃を想わせる微笑み。
 振り返ったアルルが困惑気味に頷き、ルルーは顔をしかめて目をを逸らした。

 銀髪の魔導師は柳眉を跳ね上げて魔王を睨み付けている。
 剣の柄は――強く握り緊(し)められていた。



 宿舎の廊下を歩きながらルルーは一人溜息を洩らした。

 謁見室を出て直後、シェゾはやや強引にアルルの手をひき、塔を出て行ってしまった。
 理由は解る。これ以上アルルにサタンを近付けたくないのだ。彼が何よりも欲している少女――未だ欲しいのは魔導力だと言い張っているけど――それを奪われまいと必死なのだろう。だからこそ彼はルルーの呼び出しにも付いて来た。
 
 ――『私は偉大な魔導師を妃に迎える』
 脳裏に響くはかつて魔王が言った科白。
 今もその偉大な魔導師を――アルルを妃にするつもりでいるのだろうか、あの人は。
 サタンが婚姻の証と定めたカーバンクルに気に入られた少女。以前は頻繁に追い回していた事もあったが、近頃はそうでもない。今回だってシェゾがアルルの傍にいる事を容認したのだ。
 つまり、現時点では駄目でもいずれ自分のもとに来てくれると、そう信じているという事なのだろうか。
 ……それともあの微笑みはただ単にシェゾへの挑発なのか。

 違う。
 そうであってほしいと願う半面、そうではないと確信している自分がいる。
 正直、アルルの気持ちもよく解らない。
「貴方を想う気持ち、誰にも負けるつもりはありませんのよ?」
 呟きは自らの足音に消されていた。こんなに弱いつもりではなかったはず、なのに。
 シェゾの脅しに乗せられて来てしまったものの、結局思い知らされただけではないか。
「でも私には――」
 想うほどに苦しく、口に出す度痛みは募る。
 言葉を止め足を止めて、ルルーは前を見た。
 ドアの取っ手に手をかけ苛立ち半分に引っ張り、飛び込もうとして、
「はぁ〜い♪」
「ルルーさんいらっしゃい〜」
 絶句。
 彼女がいつも借りている部屋には既に先客がいた。
 鏡台に行儀悪く腰掛けたまま、黒髪に赤いレオタード姿の女夢魔サキュバスが上機嫌に手を振る。
 その横で赤と白のメイド服に身を包んだお掃除妖精キキーモラが、モップ片手ににこにこ顔で挨拶をしてくる。
「聞いたわよぉ? アンタ今、」
「猫耳、なんですって?」
 にやりと言ってくる女達。
「…………」
 ルルーはくるりと回れ右。
「待ちなさい」/「待ってください」
 が、肩を両側からがっしりと掴まれる。

 嫌な予感がした。

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