ある夏のこと |
「まったく、どういうつもり? 俺が勝ったら一緒に茶を飲めって」 日毎陽射しは勢力を増し、猛暑の予言が生暖かく耳元で囁かれるたびじっとり汗が滲むこの季節。 長期休暇を目前に控え、その準備に追われるかのようにどこか慌ただしい気配漂う学園都市の一郭。足元にカーバンクルを引き連れ、アルルは今し方燃やした男をしゃがみこんで見下ろしていた。 ぷよまん本舗や喫茶店、魔導具屋などが立ち並ぶ中央通り。 見上げれば目眩を感じすぐさま木陰に逃げ込みたくなる炎天下。炎の魔導を使ったのは少々酷だったかもしれない、威力を増した炎熱を喰らったはずの男は、普段と対照的にこんがり鴉(からす)色。しかも未だに煙をぷすぷすとくすぶらせている。 「ねぇ聞いてる? シェゾ? 変態魔導師さん? こらヘンタイ」 「俺はヘンタイじゃねぇ!」 一瞬思ったがいつもの事だからまぁいいかと思い直した。 少し遅れたものの、スイッチが入ったようにばっと顔を上げてくる自称天才魔導師。相変わらず反応は上出来だ。 「なんだ、生きてたか」 「おい、今舌打ちしたろ」 「あはは〜。でも良かったね、今の方が闇の魔導師っぽいよ。真っ黒で」 「たわけ! 笑って誤魔化すな! 大体お前は毎度毎度……」 「で、どういうこと? その、キミが勝ったら一緒にお茶って。魔導力寄越せ、じゃないわけ? 何だかいつにも増して変だし何かあったの?」 「てめェ人の話を、」 「なにかあったの?」 「…………」 にっこり笑って語気を強める。 答えないともう一度燃やす。 読み取ったらしいシェゾが目元を引きつらせた。 溜息を吐き、と、視線が真正面で止まる。かと思えば何故か動揺の色を浮かべて泳ぎ始めた。顔が赤いような気がするのは気のせいだろうか。 「アルル」 眺めていると見上げてくる。 煤けているが端正と言えなくもない顔。真っ直ぐ見返してくる蒼い瞳。薄い唇がわずかに開かれ発言に迷い――、 「……見えてるぞ」 言い終わるが早いか、青いブーツの底が男の顔へとめり込んだ。 噴水が涼しげな音を立てながら飛沫を散らし、光を虹に変える。周りで起きていることにもお構いなし、動じず黙々と与えられた仕事に従事する。 もっとも今は、事を起こしている眼前の男女に関わるまいと、それだけに力を尽くしているようにも見えるが。 「ったくなに考えてるのさこの変態!」 腰に手を当て顔を真っ赤にしてぷんすか怒るアルル。見下ろす先ではシェゾが呻き、道行く人々はそんな二人を避けるどころか、わざわざ道を渡ってまで反対側を行く。 あるいはスキュラが出没する裏通りに入って大回り。……関わるくらいならスリに遭った方がマシだというコトか。 ――まったく、 本当に魔導師か。 別段楽しくもない二人だけの空間を横目で見やり、アルルは大きく息を吐いた。 視界の隅では呑気なカーバンクルがくるくる回っている。 「ま、ここでこうしてるのもなんだし、どこか……」 しばし考え視線を戻せば、待て、と人差し指が立てられる。その向こう、足跡をくっきりと付けた男の、やけに真剣な目つき。 「何処かそこらで茶でも飲んで話さないか?」 少女の口元が緩み、そして噴き出した満開笑顔。 「奢ってくれるならね。ってシェゾ?」 ぽて。 音を立てて彼が地面へ突っ伏した。肩が、声が、握った両手が、侘びしい歓喜に震えている。 「……お前が一人目」 「はぁ?」 ◆ ◇ ◆ ◇ 西からの朱が並んだ棚を照らし影を落とさせる図書館の夕暮れ時。 ページを捲ろうとした手を止め、アルルは終わり間近な本を閉じた。乾いた音が、人気のない図書館で唯一耳に届く。 「キミってさぁ、ほんと馬鹿?」 窓辺には観葉植物が飾られ、ほどよく空調がなされた明るい店内には、本日休講の生徒や教員がぽつりぽつり。食事を取り、研究資料を睨み付け、書類片手にコーヒータイム。街全体に広がる浮かれた気忙しさとは打って変わって平常心な喫茶店……のはずだが、何故かその席だけは重い空気が落ちていた。 黙ってシェゾ話を聞いていたアルルが、ついに溜め込んでいた感想を吐き出したのだ。 頬杖をついて。眉を寄せた半目で。 「強い魔導力を感じたってだけで得体の知れない魔道具に手をだしたわけ? 正気? しかも蓋を開けてみたら呪いでしたーって」 「…………」 「でもって結局一緒にあった文献から判ったことといえば、女の子百人ナンパして成功させないと解けないらしいってことだけ。しかも魔導具が消えちったから他の解呪方を探す手がかりはナシときた」 二人の間には、すでに氷の溶けかけたココアとコーヒー。カレーを初めとして並べられた数種の料理を、カーバンクルが次から次へと胃の中に消していく。 要約した内容を反芻し、アルルは呆れ全開で言い放つ。 「バカ?」 「ウルセェ」 腕を組み不機嫌にそっぽを向く彼。面白くないのはこちらも同じ、むしろこちらの方だ。 だが、彼の声にはいつもの傲慢な強さはなく。 「最近姿を見せないと思ったら、そういうことね。見境がないのは知ってたけど、そこまで盲進的だとは思わなかったよ」 「…………」 「なんでもっと早く相談してくれなかったわけ」 問う声に淀みはなく、しかしいつもより低い。 そう、そこなのだ。 何かを言いたげな蒼眼がアルルへと向けられ、しかし無言の内に逸らされた。 二人の間に沈黙が忍び込む。 「手伝うよ。呪い解く方法探すの」 言うと、見開かれた切れ長がこちらへ向かう。 「本気で言ってるのか」 「本気じゃなきゃ言わないでしょ。事情知っちゃったわけだし」 やっと二の句を継いだ彼に平然と返す彼女。 知ってしまった以上は放っておけない。 ココアを掻き回して一口含み、アルルは顔をしかめた。 ……薄さは予想以上。 「先に言っとくけど、これ以上関わるなってのはなしね。キミから巻き込んだんだ、用が済んだらさっさとサヨナラなんてのはナシ」 難し顔が口を開く前にびしっと人差し指を突きつけてやった。 仲間だ友達だなんて軽々しくは言えない。それでも、今まで衝突と結束を繰り返してきた中で少しでも解り合うことができたのなら、その分くらいは信用してもらってもいいはずだ。 アルルは足を組んで肘をつき、手にあごを乗せる。 「それに、このままじゃ一生解けそうにないしねー」 「悪かったな」 最後の最後で頼られた、という事なら喜ぶべきかもしれないが。 ニヤリと笑うとむっつりシェゾが答える。 テーブルの上をカーバンクルが意味もなく行ったり来たり。 「アルル、お前ってヤツは本当に――」 幾分和らいだ涼気。忘れていたことを思い出した。 言いかけたシェゾを余所に、アルルは後ろを向いて身を乗り出す。 「すいませーん。アイスココアおかわり。あとカレーライスとカレーピラフとハンバーグとオムライスを大盛りで、ショートケーキとシュークリーム四つずつに、あと……あ、チョコパフェとイチゴパフェの特大サイズ追加お願いしまーす!」 「…………オイ」 (、とは言ったものの) 頭の後ろで手を組み、アルルは背にもたれた。 小さく椅子が鳴る。 視線を前に戻せば投げ出された茶色の装丁。まるで申し訳なさそうにこちらを伺ってくるよう。 (手がかりなし、か) 本を手に取り、傍の山へと崩れないように置く。 ちらりと周りを見やり天井を見上げ、溜息一つ。 (元に戻すの、メンドクサイなぁ) 積み上げられた本の山、山、山。呪いについて調べるために引っ張り出してきたものだ(一部、浮気してしまったものもあるが)。 すでにどの本がどの棚にあったかなどわからない混沌状態。 「……シュークリームまでにしておけば良かったかなぁ。奢(おご)らせるの」 呟き目を閉じる。 「あれ、まだ誰かいる」 全部まとめて返却用の荷車にでも突っ込んでおこうか。そう思った時、扉の開く音と共に入ってきた男声。 思わず立ち上がりそちらを見ると、目が合った。 薄明かりの下、影が揺れる。 『あ』 同時にあがる声。見覚えのある顔だった。 「えと……か、かすみ?」 「よ、よぉ。憶えててもらえて光栄」 国籍不明、年齢不詳、名前以外は全て謎。存在自体も結構謎。 絹の国の白い民族衣装を纏った黒長髪の男が、驚いた表情で片手を上げてくる。 「キミまだこんな所にいたんだ!?」 「こんな所とは失礼じゃないか? 由緒正しき古代魔導学園だぜ?」 「生徒じゃないでしょ、キミ」 「細かい事気にするなって。色々と事情があるんだよ、色々と」 色々と、ねぇ。 果たして細かい事だろうか。 「それにしても、アルルだっけ? また随分と散らかしたな。レポートかなんかの資料集めか?」 「ん〜、そんなとこ」 苦笑を浮かべて近付いてくる彼に適当な答え。そしてふと思いつく。 「そういえばかすみ、キミ、ここのこと詳しかったよね」 「んぁ? あー、まぁ多少は」 訊けば、それがどうかしたのか、という目。 アルルの口元が緩む。 「実は今、とある呪術について調べてるんだ。相手に特定の行動を起こさせて、条件を満たすまで解けないってやつ」 「条件が合えば解除可能な呪術か。そんなのいくらでも載ってないか?」 「条件が合えば、ってのはね。どこどこへ行ってこういう儀式をすれば解けるとか、術者を捜しだせば効果が消えるとか、どれそれを手に入れて作った薬を飲むとか、そういうのは。でもそうじゃなくて、ある一連の行動をいくつもの個体に……例えば、カレーを見ると気持ちに関係なく食べずにはいられなくなる呪術で、」 「カレーかよ」 「例えばの話だよ。それで、百食たべれば解けるんだけど全く同じものだと意味がない、みたいな。そういう仕組みのやつ、何か知らない?」 「……肉体の、もしくは精神の極浅い部分に作用し、解呪条件が定数量。しかも重複拒否? 儀式や試練的なものってわけじゃないんだよな?」 呪いの媒介となっていた魔導具が消えてしまったこと、そして儀式や試練とは恐らくなんの関係もないシェゾに掛かってしまったことを考えると、 「たぶんそれはないと思う。確信ってほどでもないけど、術者は個人だよ。大魔導師や賢者って類でもない」 内容が内容だし。 男の不思議そうな瞳がじっとアルルを凝視する。 「随分自信たっぷりだな。本で知って興味を持っただけってわけじゃなさそうな」 「本で知って興味を持っただけだよ。でも調べてて謎な事が多かったからそう言ってるだけ」 喋りすぎたかもしれない。冷汗が流れた。 引きつった笑顔を平常に切り替える。 「ほら、この呪いって良くわからないでしょ。目的も。精神を支配してしまうわけでもないし、時間を掛けて死に至らしめるわけでもない。ただ傍迷惑なだけのもの。まるで単なる嫌がらせ……」 言いかけ、ふとある男の事が脳裏に過ぎった。 「なんだか面白そうじゃない? そういうの研究してみるのも」 呪いという物は、念じればすぐかけられるものではない。一つの呪いを完成させるのにもかなりの時間を要するし、リスクも伴う。それを単なる嫌がらせでやる人間はまずいない。そもそも、その程度の情念で組みあげられるほど呪いというものは軽くない。 だが魔族なら? 巨大な塔を魔力のみで造り上げ、暇だからという理由でぷよぷよ地獄を創り、真冬を真夏に変えるような、あの魔王なら? 今度問い詰めてみようか。 思惑を隠して言うと、研究熱心なこと、とかすみが肩をすくめる。 「ってことはさっきの例、実際のヤツもカレーと同レベルなわけか」 「同レベルか、もしくはそれ以下」 「…………。どのみち聞いたことないな」 顎に手をやり俯くかすみ。 「倉庫に入れりゃなんか見つかるかもな」 「倉庫?」 考える間があり、呟いた彼の言葉にアルルは首を傾げた。 「ああ。って言っても校舎内の普通に使われてるやつじゃないぞ。地下倉庫があるんだ。ここから漏れ出した書物や、ちょっとヤバイ品も収められてるって話」 「ふーん。どこから入るの?」 「裏の森に入り口があるはずだ。でも立ち入り禁止だぜ。鍵も掛かってるだろうし」 そんな場所があるなんて知らなかった。 アルルは珍しいものを観察する目で彼をまじまじと見つめる。 「よくそんなこと知ってるよねぇ。生徒でもないのに期末試験受けてたりするし、キミって何者?」 「ナイショ」 「あ、そ」 飄々とした笑顔で言いのける彼。 目線を白けさせ、アルルは歩き出す。 「行っても無駄だと思うぜ」 止める気はないのだろう。その場を動かないままかすみが言ってくる。止める必要もない、そう確信しているのかもしれない。 「だろうね。でもここでぼーっとしてるのもなんだし、入り口を探してみるよ」 口調は軽く、しかし眼差しは前を見据え。 振り返りもせずアルルはドアに手をかけた。 少女が出て行き扉が閉ざされ、図書館内には残された男ただ一人。 溜息を吐いて振り返り、はたと気付いて独り言。 「この本の山、どうすんだ?」 魔導の光が薄明るく照らす岩屋内。剥き出しの岩肌に付けられた不釣り合いな棚。陳列された『いかにも』な品の数々。汚れた薬瓶、錆びた宝箱、お札の貼られた杖。 奇怪に調和した空間。 老いた魔導師でもいれば様になっていたのだろうが、生憎と棚の古書を読みあさっているのは少女魔導師。 気むずかしげにしかめられた表情は落胆を隠せず、しかし諦めていない無垢な眼差しは丁寧に文字を辿る。 その動きが止まり瞳の奥で光が揺らいだ。 「ダメだぁ。見つからないよぅ」 ここまで来るのに苦労した割には成果がない。吐き出された言葉は不満まみれ。 言った後も彼女はページをめくり本を閉じ、次へと手を伸ばそうとする。 「何が見つからないのかね」 前触れもなく反響する低声。 思わず手を止めた。 「アルル君」 広い地下倉庫の気温が一気に下がった気がした。 名を呼ばれ、アルルはゆっくりと振り返る。 「マスクド、校長……」 「探し物かな? こんな所に落とし物ということもないはずだが」 長身長髪仮面の男、学園の若き総統者が見下ろしていた。 静かに。そして重々しく。 穏やかだが不透明な声音。目元を覆う仮面から表情は読み取れないが、確かに感じる重圧。普段見かけるおちゃらけとは打って変わったこの荘厳。 言葉に詰まり、身を竦ませてアルルは俯く。 「ご、ごめんなさい。ボク、どうしても知りたい事があって、ここなら何か手掛かりが掴めるかなって思って勝手に……」 「知りたいこと? 一体どういう事なのかな」 「すみません。それは言えません」 校長の声は以前無表情なまま。 「どうしても?」 「はい」 張詰める緊張。 それでも迷わず答える。 曖昧に話したところでより深く探りを入れられるだろう。シェゾの名誉を尊重して、というより単に赤の他人を――しかも校長を――話に巻き込みたくない。 マスクド校長は、そうか、とひとこと言っただけ。 「しかしだな、アルル君。ここは立ち入り禁止なのだよ。さぁ、出るぞ」 「ちょっ、ちょっと待ってください! もう少し居ちゃ駄目ですか?」 向けられた背中を呼び止める。 少し考えるような間があり、彼が振り返ってきた。 「そんなに大切なことなのか」 「はい。……お願いです。罰ならどんなものでも受けますから」 こっくり強く頷くと真っ直ぐ見据えられる。 静寂。仮面の奥は相変わらず得体が知れず、アルルは額から汗を流した。 マスクド校長がおもむろに口を開く。 「シェゾ君」 「!?」 「図星、という顔をしているな」 楽しげに口元を吊り上げる学園の長。アルルは唖然と言葉を失う。 「試しましたね!?」 軋んだ声で怨恨を吐き出すもどうなるものでもない。小石を投げられ、動揺の波紋を作ってしまったのはこちら側なのだ。 マスクド校長が喉の奥で笑う。 「君がそこまで真剣になる事と言えば、単なる好奇心というわけではなさそうだ。大方仲間の事だろうと思っただけだよ。しかしルルー君は相変わらず滝の辺りで修行に励んでいるし、ウィッチ君にも変わりはない。セリリ君に何かあったわけでもないだろう。となれば……」 遠くを見つめた仮面の眼差しがアルルへと向けられる。 「彼は何かと厄介事を招きやすい体質のようだからね」 困った生徒の事を話す教師、な口ぶり。 口調は不意に現状へと戻る。 「まぁ、魔導師として事に挑むのは良いことだ。私は止めんよ。が、ここは駄目だ。恐らく君が求めているものも見つからないだろうしね。さぁ、解ったら外へ――そういえばアルル君、どうやってここに入ったのだ。生徒が間違って入らぬよう結界が……」 まさかと呟いた校長の顔が引きつる。 アルルはにっこりと笑い、 「破りましたよ、結界なら。かなり時間掛かったけど」 学園の長がこめかみを押さえた。 「一人で、か」 頷くと今度は露骨に溜息を吐かれる。 「……シェゾが心配するのも無理ないな」 「は?」 「いや、こちらの話だよ。しかし君は少しばかり向こう見ずな部分があるな。確かに君には才能も力もある。だが、だからこそもっと慎重にならなくてはいけない。それを解っていないようだ」 校長の説教が始まった。 「もし君とシェゾ君の立場が逆だったら、君のためにシェゾ君が一人で危険を冒したとしたら、どうするかね」 聞き流そうとしていたら予想外な問いに、アルルは目を丸くする。 その表情が一変。眉を寄せ口をへの字に曲げた。 「……ありえません」 「例えば、だよ。想像してみなさい」 異議を一蹴され、しぶしぶ従う。腕を組み、天井を見上げ、そして視線を戻す。 「怒ります」 結論。 「だって、そういうことなら相談くらいはして欲しいし、ボクが巻き込んだんならボクの責任、一緒に行きますよ。ミイラ取りが死体すら見つからないなんて事になったら単なる馬鹿ですもん。確かにシェゾは馬鹿だけど」 どきっぱりと言う。 本来自分が背負うべきことのために他人が傷付くなんて許せない。それがあの猪突猛進男ならなおさら。彼が自分のために力を尽くしてくれるかどうかはさておき、目的しか見ない人だ、何をしでかすか分からない。プライドで突っ走るというのも有り得る。 彼の辞書は限界と用心の項が器用に破り捨てられているのだ。絶対に。 「で、今君がやっていることは君の責任下なのかな」 「ボクが勝手にやってることですもん。当然でしょ」 「シェゾ君に同じ状況で同じ質問をしたら同じ答えが返ってくるだろうな。……君たちはよく似ている」 「ボクがシェゾとですか? あんなのと一緒にしないでください」 「いいや、よく似ているよ。少なくとも私から見ればね」 口を尖らせるアルルにマスクド校長がふっと笑う。彼の顔が真に戻った。 「お互い、人の事は気に掛けても自分の身はかえりみない。相手の欠点はやたら鼻について埋めたがるのに、自分の欠点は直そうとしない。君とて目的を果たすためならどんな場所にも突っ込んで行く気だったろう。結界の警告も自力で打ち破ってな。無論一から十まで彼に知らせるつもりもなく」 言葉を切り、ゆっくり息吐くように続ける。 「今回はさほど危険はなかった。見つかっても精々お仕置きを喰らうくらいだ。が、場合によっては退学も有り得ること、考えていなかったわけではないな。そもそも万が一君の手に余る場所だったらどうだったろう」 禁じられている場所に入ったのだ。しかも意図的に結界を破って。最悪の結果はあるかもしれないと、確かに感じていた。 でも、 「可能性をみすみす見逃すわけにはいかないじゃないですか」 魔導師が恐れて得られる物があるだろうか。 言い捨て、視線を落とす。明かりに照らされた蒼白く冷たそうな岩肌。 湿った空間に教師の声が響く。 「果敢と無謀は違うぞ、アルル君。十分理解しているとは思うが」 「…………」 「何も一人で背負い込む事はないのだよ。君も、シェゾ君も」 分かっている。 意地っ張りで頑固なのだ、結局は。この性格だけは昔から変わらない。 「もっとも、君たちの無鉄砲には訳があると踏んでいるのだがね。私は」 「何のことですか」 憮然と見上げれば何もかもを見透かしたような顔があった。 「それは君たち自身がよく分かっているはずだな。今は、噛み合わず空回りばかりのようだが」 反論する気さえ失せて頭を振れば、哀れみさえ帯びて言ってくる。 「もっと素直になりたまえ」 ――そういうことはシェゾに言って欲しい。 肩へと置かれた手を横目に、普段変態と煽り打ち負かしている魔導師を思い浮かべて苛立つ。 「ここって一体なんなんですか?」 話は終わり。 苛立ちを振り払うべくアルルは振り返った。 目の前には相変わらず沈黙し続ける死蔵品達。 「過去の生徒たちが創ったもを収めているのだよ。と言っても失敗作や未完成品ばかりだが」 「つまり、」 ガラクタ? 再び向き直るとマスクド校長が苦笑を浮かべた。 「失敗・未完成品とはいえ、立派な研究成果だ。いつか、それが役に立つ事があるかもしれん。それに……」 どこともなく前を見つめる。 若い表情に深く刻み込まれた老成。 「どれも思い出深い品なものでな」 触れてはいけない部分に触れてしまった気がする。 アルルが何とも言えずにいると、いつもの調子が返ってきた。 「しかしそういう品こそ慎重に扱わねばならない。だから好奇心旺盛な者が入らぬよう地下深くに倉庫を造り結界を張っていたのだが」 「出る杭は打たれるって言葉知ってます? やたら強い結界も深いダンジョンも余計に好奇の的ですよ」 「微妙に使い方を誤っている気がするのだが……まぁいい。あれほどの結界を自力で打ち破るのは君を含めて二人くらいだよ、この街内では。普通は途中で諦めるぞ」 「だって訳ありっぽいし、何かありそうじゃないですかぁ」 詰まるところ、秘密の倉庫も学園の知識を出なかったということらしい。 折角覚悟までして来たのに、失望する。 「兎に角、アルル君には戻ったら罰を与えねばな。学園の備品を壊した上に不法侵入だから」 「結界は備品ですか」 「学園のものである事には変わりない」 踵を返す学園長。半瞬遅れてアルルが続く。 思うに、校長専用の通路でもあるのだろう。帰りは幾分楽ができそうだ。 (ある意味羨ましいよね〜) 行動の制限なんてないように見える自由気ままな背中を見て思っていると、ふっと疑問が沸いた。 「ところで校長」 「なんだね」 「どうしてルルーが滝の辺りで修行してるって知ってるんですか? ボクでも今知ったのに」 「……う゛っ」 ◆ ◇ ◆ ◇ 「あ〜、ごくらくぅ……」 空になったグラスで氷が小さく音を立てる。 喫茶店の涼気にふんにゃり身を任せ、アルルはテーブルに突っ伏したまま呟いた。 「お前、ドコ行ってたんだよ今まで」 そんな彼女にシェゾは半ば呆れ気味。頬杖をついてジト目で見下ろしている。 アルルはだらけたまま顔を彼に向け、 「マスクド校長の家庭菜園〜。てかアレもう畑だよぉ〜。罰で世話させられてるの。今日で三日目」 「菜園? んなもんやってるのか、あのオッサン」 力なく言う彼女。 罰とはいえ酷いものだ。バカでかい畑――彼いわく家庭菜園らしいが――をしばらく世話しろとのお言いつけ。このクソ暑い中ではハードすぎる。今日も直射日光に灼かれ、熱中症になりかけた。……冗談抜きで。 「罰って、今度は何やった」 眉間シワのしかめっ面で訊いてくるシェゾ。いつもなにかしらやらかしている言い方。否定すべく起き上がりかけて気が付いた。 じっとこちらを見てくる目。その奥に呆れとは違うなにか。 人の事は気に掛けても自分の身はかえりみない。 相手の欠点はやたら鼻について埋めたがるのに、自分の欠点は直そうとしない。 マスクド校長の言葉が脳裏をかすめる。 (心配されてる? ……まさか、ねぇ) 口端を吊り上げて考えを打ち消す。 「べつに。宿題忘れて怒られただけ」 顔を逸らして嘘を吐く。 またもやお節介な教師に囁かれるが、煩いと手を振り一掃。 「宿題如きで三日もか」 「そうだよー。酷いでしょ。鬼だよねー。疲れるわカーくんとははぐれるわ、ボクって不幸!」 声からも表情からも納得していないと分かるシェゾへ、強引に畳み掛ける。 実をいうと、罰のせいで行動が制限されてしまい、不健康極まりない生活を余儀なくされたアルルの機嫌はすこぶる悪い。 「お前が不幸だったらいきなりぷよで埋められた俺はどうなる」 「呑気にナンパなんてしてるからでしょ、自業自得。可哀想に、あの子怯えてたじゃない」 ヘトヘトな体を引きずって歩いていたら、女の子を怖がらせている知り合いがいたのでばよえーんで埋めた。女の子の炎熱呪文が彼を焼く前に。ただそれだけである。なのに文句を言われる筋合いはない。 自分が闇の魔導師だってこと忘れてない? 斜めに見下ろしてくる鋭利を睨み返す。視線をぶつけ合い寸刻、睨み合いが続くと思われたが、意外に早くシェゾが引き下がった。 「やりたくてやっているわけじゃない」 疲労が溜息に混じる。 それはそうだ。意味不明な呪いに精神だか肉体だかを突き動かされて、そういうふうにさせられているのだから。自我意識が無事な分、ストレスが溜まるのだろう。ナンパ中は多少気分がハイになっているようだし、その反動も辛いのかもしれない。これも自業自得なのだが。 「ボクにはいつも通りだね」 彼の横顔を眺めながら、ふと思ったことを口にする。 気付いていたのか、それとも今気付いたのか。まぁ、な。と曖昧な返事が返ってきた。 背を伸ばしアルルは椅子にもたれかかる。 「それより、早く自由が欲しいな。セリリちゃんにも手伝ってもらってるし、畑仕事ももうすぐ終わると思うんだけど」 「……誰だ? それ」 シェゾがこちらに目を向ける。 「ん、うろこ魚人のセリリちゃん。最近よく街に遊びに来るんだけど……知らない?」 「ああ。アレ、お前の知り合いか」 首を傾げて言うと、再びそっぽを向かれる。明らかな不機嫌。 ハテナマークを浮かべ、アルルは今度は反対側にこきっと首を傾けた。元に戻し、 「セリリちゃんがね、誕生日祝ってくれるんだって。この前約束したんだ」 微笑み浮かべて言った先、蒼い瞳がわずかに見開かれた気がした。彼の口元が何かを呟いて動き、そして勢いよく立ち上がる。 「アルル」 やや引きつった顔で見つめられた。 彼らしからぬ冷静さを欠いたぎすぎす声。 「悪いが用事を思い出した俺は先に帰るぜ。じゃ、じゃあなっ!!」 「え、ちょっと、シェゾ!?」 荒々しくお金を置き、シェゾは弾かれたように喫茶店を出て行った。 直前、ドアに体当たりして顔をぶつけたようだったが。 「…………」 腰を浮かせたまま呆然とドアの方を見ていたアルル。 一度テーブルに視線を落とし、前を見る。 「……お金、足りないよ?」 ◇ ◆ ◇ ◆ 「それではアルルさん、わたしたちもこの辺で」 周りは遠くに人家がぽつりぽつりあるだけ。原っぱに囲まれ森を背負って郊外に建つアルルの住居。 とっぷりと暮れた夜の玄関先、ミノタウロスとルルー、そしてルルーに引っ張られていくサタンを見送ったあとセリリが振り返ってきた。 揺れる青い髪、若草色の瞳が楽しかった余音に浸っている。 「うん、今日はありがとう。プレゼント、すごく嬉しかったよ」 にっこり笑うと、うろこ魚人は照れたように頬を染めて微笑んだ。 アルルはその隣に目を移す。 「じゃぁ、セリリちゃんのことお願いね? すけとうだら」 「おう、任せとけ!」 尾びれを水平に背筋を伸ばし、すけとうだらがドンと胸を叩く。 頼もしい。 彼がセリリと親しくなりたがっていたのは前々から知っていた。切っ掛けは彼女から話しかけたことだそうで、初めの頃は話しかけるたびに彼の方が怯んでいたらしい。が、それも近頃は落ち着いている様子。そんな彼を以前よりも随分と男らしくなったとアルルは評価する。 「すけとうだらさんが送ってくれるなら安心ですね」 「せ、セリリちゃん……」 すっかり気を許した笑顔のセリリと、目の奥で笑いながら照れるすけとうだらのほのぼの空気。 二人まとめて抱締めたくなった衝動を抑え、アルルは手を振る。 「それじゃ、二人とも気をつけてね」 「それではアルルさん、また」 「じゃぁな!」 セリリが頭を下げ、すけとうだらは片手をあげて踵を返す。 遠のいていく後ろ姿をしばし眺め、アルルはくるりと回れ右、家の中に戻った。フローリングの廊下を小走りに、居間に入る。途端、どっと疲れが沸いた。腰に手をあて溜息を吐く。 誕生日パーティー跡。おもちゃ箱をひっくり返してさらにハロウィンとクリスマスが同時に通り過ぎて行ったような散々たる光景は、人がいなくなったというだけでやたら広く感じるものだ。 絡まったリボンをどけ、アルルはソファに身を投げた。色とりどりのリボンと花びらに埋まり、普段のこざっぱりとした姿は欠片もない部屋の中。そこだけがいつもと変わらない天井を見上げる。 「ぐー! ぐー!」 鳴声に目をやると、カーバンクルが色彩豊かな叢(くさむら)を掻き分けて寄ってきた。 何かを引きずりながら。 「カーくん、どうしたの? それ」 体を起こしアルルが覗き込めば、カーバンクルは引きずっていたものを置いてぐーぐー鳴きながら両手を振り回す。 小さな友達を見つめていたアルルは、半ば埋もれた棒にも見えるソレに手を伸ばした。 次瞬、彼女が小さく顔を歪める。指先が触れると同時、刺すような痛みと痺れに襲われたのだ。触れてはいけない、警告のような抵抗。一瞬の衝撃は潮が退くかのごとく鎮んでいき、しかし彼女の手は確かにソレを掴んでいる。 一呼吸おいて疼きの残る手を引き、絡みつくものたちから救い出す。 杖だった。 「まさか……」 見たことのない杖。誕生日を祝ってくれた誰かが残していったものではないことは確実だった。それに……。 振り向くと開け放たれた窓の外、闇夜がざわざわと音を立てる。 アルルは勢いよく立ち上がり駆け出した。散らかった床に足を取られるが構わず前へ踏み出す。 「シェゾ!!」 窓辺に体ごとぶつかりながら叫んだ。遠く木々の姿を黒く染めあげた夜の下、その後ろ姿を認めて。 銀色の髪、白い長衣、青外套。月の光を集めて闇に浮かぶ魔導師。聞こえたのか、歩みをとめて肩越しに振り向いた。 風がやむ。時がとまる。 けして近くはない距離。だがアルルにははっきりと見えていた。彼が口端をにやりと吊り上げるのを。人差し指を立て、しかし紡がれた言葉はたった三文字。 (『礼、だ』?) 何をどう伝ってなのか意識に届けられる。 闇が笑った。後ろ手に軽く手を振り、彼が歩き出す。 ふと足元を見るとカーバンクルのいつも楽しげな顔が飛び込んできた。 ――裏通りで彼を見たよ。スキュラを探していたみたい。 もう一度外に目を向けた。 月光のヴェールをまとった夜の闇に、彼の姿はどこにもない。 「スリにでも遭ったのかな?」 思わず口元がほころんだ。 意地っ張りでプライドが高くて格好つけなシェゾ。 他人を信じず力を求める天涯孤独、闇の魔導師。 窓辺にもたれアルルは杖を抱締める。 まるでオモチャみたいな黄色い杖。それでも確かに感じる彼の闇。 ひねくれ者はもう抵抗してこない。 「バカだなぁ」 期待なんてしていなかったのに。していないつもりでいたのに。 声を立てて笑う。 自分のそういうところが少女に力を与えてしまうこと、彼は分かっているだろうか。 「明日からまた頑張らなきゃね」 顔をあげて言うと、ほどほどにね、鳴声が応えた。 ◇ ◆ ◇ ◆ ルルーがアルルの姿を見付け、不安げな表情で駆けてきたのはあれから数日後のこと。探索を早めに切り上げ、今日は少しゆっくりしようと決めた夕暮れ時。彼女は家の前でアルルの帰りを待っていた。 「どうしてルルーが呪いのこと知ってるの?」 「サタンさまから聞いたのよ」 話を聞き目を丸くするアルルに、ルルーは眉を寄せたままの表情を変えずに言う。 まだ問い詰めに行っていないのに。 タイミングを逃した。 「ほら、あの変態最近様子がおかしいじゃない? サタンさまったら、面白そうだからってまた暇つぶしに情報集めていたらしいわ。そしたらおかしな呪いが……ってどうしたの?」 「え、ああ、いやなんでもないよ。続けて」 「? まぁいいわ。で、呪いが関係していることが分かったんだけど、もしかしたらアンタも首突っ込んでるかもしれないと思って」 好き好んで面倒に巻き込まれているような言われ様が気に掛かる。 「まぁ、確かに仕方ないから協力はしてるけど? それがどうかしたの?」 決して楽しくてやっているわけではないと主張。 が、そんなことルルーにはどうでもいいらしい。黙殺される。 彼女は深く溜息を吐き、 「実は、呪いを解く方法が分かったの」 アルルが息をつめる。 「ほ、本当に!?」 「えぇ、でもその方法が……その……」 期待の目を向けるアルルに、格闘女王はますます顔を曇らせた。 紅い唇をアルルの耳元へ近付け、 「…………らしいの」 「え、なに?」 「だから、『清純な乙女と一夜を共にすること』らしいのよ」 「はい?」 聞き返してしまうその瞬間、両肩をがっしりと掴まれる。 「アンタ、あの男にだけは気をつけなさい! いいわね!?」 変な人に近付いちゃいけません!なお姉さん顔。 説得と言うよりは脅迫。 気迫に押されアルルは思わず頷いてしまった。 ――その後、 毎年行われる武闘大会。 「ア、アルル! 今日こそ、お、お前が欲しいっ!!」 「…………」 やる気満々なシェゾがいたことは、まぁ別の話。 |
華車荵
2009年08月30日(日) 17時19分39秒 公開 ■この作品の著作権は華車荵さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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