With Out……

 見上げれば広がる、紺色生地に織り込まれた金糸のような星々。
 明度様々にもその命を我こそはと競いながら輝かせているのを見るのはなかなか飽きないもので。
 彼女は宵の刻度々木に上っては悠然とそれらを眺める。
 吸い込まれそうな宙の底。溶け込んで消えてしまったら、あの人はどうするのだろう。そっと胸に思い、静かに揺らぐ闇の中小さく嘆息。

「……そこで何をしている?」

 ふと届いた声。
 あどけなさを覆い隠して、妙に大人びた双眸がそちらに動く。
赤み掛かった茶色の瞳は月明かりを受けて琥珀の色に染まり、少女の目に止まるのは鈍色の銀。向けられている紅眼。風にそよぐは紅き闇。それが誰かなどということなど、彼女にとっては容易く解る事。

「やぁディーシェ、お帰り」

 意中の人を見つけ彼女が軽く手を振る。それに合わせて木の枝が小さく震え、少女の頭頂部で結わえられた茶色の髪も、留め具代わりの赤いスカーフと共に軽やかに踊りご挨拶。
 その何気ない、が少々危なっかしい姿に青年は目に少しだけ呆れを漂わせて苦笑を漏らした。

「あぁ。……そんな所で何をしているんだ、ディーア?」
「星を……」

 やや高く発せられた声。彼女は再び空を仰ぎならそれだけを答える。
 ゆめまぼろしのように星の砂粒を一面に撒き散らされた空をみつめた。
 二人だけの名を呼び合うのも板に付いてきた頃来、二人で迎える初めての季節。その星屑たち。

 ――ドッペルゲンガー。
 
 彼らはそう名乗り、そう呼ばれる。他者の姿を借りて存在する「二重に歩くもの」と。
 だがその名は本来の意味を成さず、唯の名称に過ぎない。
 ドッペルゲンガーシェゾは訳あって人の姿をっている元・古代の兵器。
 その姿は、とある闇の魔導師。
 ドッペルゲンガーアルルは己の正体を知らぬまま世に放り出された少女。
 その姿は、とある魔導師の卵。

 似て非なる者同士、互いを知り故に己を知った二つの存在は生霊でも精霊でもなく、かといって人間でもない。
 蜃気楼よりも脆く、陽炎よりも儚い存在。
 そんな二人が出逢い早半年月。ここの所ドッペルアルルは夜空に想いを馳せる事が多くなっていた。

 木の下で一瞥をくれたドッペルシェゾが、思案するように顎に手を当て何やら呟くのが視界の隅に映り、

「ねぇ、キミも……」

 言いかけて振り返るも彼の姿は既にない。青々とした地面が目に留まるだけ。
 首を傾げドッペルアルルは時瞬、不意に理解したと今までしがみついていた太い樹枝を手放す。
 緑の中で自由落下する小柄な体。赤を基調とした衣服が宙で舞い、軽やかに降り立つは真下の丈夫な枝木……ではなかった。

「……よぉ」
「やぁ」

 トスッという軽い衝撃。
 落ちた彼女の肩と膝裏を支え空中に留めるのは、黒い袖に包まれた太く逞しい一対の腕と樹木からは感じられない暖かさ。
 すこしばかり熱く感じられるそれ、自分の体が思っていた以上に冷えていた事を思い知りながら、ドッペルアルルはピッと掌を立てた合図を目の前で微笑しているドッペルシェゾに送った。
 
 己の中の『魔導』という精神に疎通そつうする力を用いて、瞬時に高い場所まで移動することは、この世界の魔導師であるならばそれ程難しい事ではないだろう。ましてや魔導師であり、時空を操る水晶でもあった彼ならば尚のこと。

「本当に此処が好きだな。お前は」

 彼女を下ろしたドッペルシェゾ。地面を歩くのと然程変わらない足取りで踵を返し、幹を背に腰を下ろした。

「まぁね。星が良く見えるし、それに……」

 まとわり付く木の葉を払いながら彼に続くドッペルアルルも、空中に足を投げ出すような形で木の枝に座る。
 赤いショートブーツがなびくように揺れた。

「キミが帰ってくるの気付き易いだろうし」
「んな事言っておいて、俺が声掛けなければ気付かなかったろうが」
「そんな事ないって」

 微笑み振り返ったドッペルアルルだったが、二人掛りでも手が届きそうにないほどの太さを持つ幹にもたれて目を閉じ、平然と言い放つドッペルシェゾに詰まらなそうに返すと、再び眼前に広がる景色に視線を戻した。
 眼下に茂る森とその向こうの町並みが、輝く星達の空の下で蒼黒のシルエットとなって浮かび上がっている。
 ――この街の仲間として認められる以前、この場所で街を見下ろしたのは一ヶ月程前だったろうか。

「第一、 私が気付かなくてもキミが気付くでしょ」

 それらから目を離さずに言う彼女。片目だけで見詰めていたドッペルシェゾは、やがて再び瞼を閉ざしてしまった。風が灰色掛かった銀の髪を撫でていき、額の紅いバンダナがちらりと覗く。

「そりゃ、な。あんな所に居たら気付かざるを得ない。尤も、毎度毎度気付くとは限らんだろうが」
「気付くよ。キミなら……ね」

 ドッペルアルルの言葉に、彼は「どうだろうな」と掌を口に当て欠伸を一つ。
 なんだかからかわれている様な仕草。彼女は面白くなさそうに首を傾けて彼を見る。が、口に出して言うのは抗議の言葉ではない。

「……眠いの?」
「いや、少し疲れただけだ。風が気持ちいい。落着く」

 目を閉じたまま、ドッペルシェゾが呟く。
 街に住むようになって慣れない職に就いた彼。
 今回は、最近発見されたばかりでまだ地中に埋まったままの遺跡を調査しに行くのだと、ドッぺルアルルは一昨日の夜に聞いていた。
 翌日、彼女が目を覚ましたときにはドッペルシェゾの姿はなく、すっかり温もりの冷めてしまったベッドと、古代魔導言語が筆癖に残る文字で『明日には帰る』と書かれたメモが残されているだけだった。
 約束通り、彼は日付が変わる前には帰ってきてくれた訳だが、

「今迄埃と土に塗れた遺跡の中、か。ご苦労様だね」
「ついでに虫にも塗れてたぞ。付いて来なくて良かったな。ディーア」
「…………」

 労いと共に苦笑を浮かべていたドッペルアルルの表情が一瞬にして固まった。
 彼女が思いの外、相当の虫嫌いである事を知っているのは恐らく彼くらいだろう。
 旅をしていた時など、虫の脅威に怯えた彼女が、洞窟の中で魔導力を爆発させ、山を一つ消し飛ばした事もあるほど。

「そ、それで、その仕事もう終った?」

 乾いた声を絞り出して彼女が問う。笑顔はかなり引きつっているが。

「いや、まだちゃんとは調べていない。あと二、三日は掛かるかもしれん。意外と深かったんでな」
「という事は明日も出かけるのか……」
「あぁ」
「……虫、家に連れてこないでね?」

 ドッペルアルルの不安げな表情に、一瞬目を見開いた彼は、

「……安心しろ、心得ている」

 木々の風景と彼女を見比べた後苦く笑った。




「……それで?」

 ドッペルシェゾの言葉に安堵の溜息を吐いていたドッペルアルルだが、その問いをいぶかり彼を見る。空低く彷徨う月のごとく紅い双眸と目が合う。「本物」の闇の魔導師とは違う彼の証。
 時に狂気と称されるその色は、しかし禍々しいものではなく何処か優しく。

「お前は? 星を見て何か考え事でもしていたのか?」
「え? あ、あぁ……それは……」

 意表を突いた話題転換。ドッペルアルルは途惑ったように首を廻らせる。眼前に広がる未だ輝き褪せない星空。釘付けになった瞳。頬を冷たい風の手が撫でていき、彼女の表情から途惑いをさらい取り除いていく。

「……この星の光って、何万年も掛けて地上に届くんだよね」

 それは現在からさほど逆上っていない過去に明かされた事実。
 この星明かりは遥か遠い場所から、あるいは自ら光を放ち、あるいは他の光を受けて反射させ、何万年、何億年という年月を経てこの地上に届くのだと。
 それを知るまでは、そこに在るのが当たり前のように思っていた。
どんな月日が流れても、変わらずにそこに在るものだと信じていた。

「私達が見ているこの光は気が遠くなるほど昔のもので、そしてもう既に存在しないかもしれない星が唯一残した命の証。……明日には消え去っているかもしれない輝き」

 しかし知ってしまったのだ。変わらないと思っていたものでさえ刻一刻と変化していく。ただ気付けないだけで、それは生まれては消え行く星芒せいぼうのように。
 淡々と紡がれる言葉。ドッペルシェゾは黙って聴いている。

「私の存在も永遠じゃない。いつか、この闇に解けて消えてしまうのかもしれない」

 闇に生まれ闇に消える。それがドッペルゲンガーと呼ばれる存在の……否、彼らという運命さだめならば。
 ドッペルアルルはゆっくりと振り返った。彼女の証である赤み掛かった茶色の瞳が彼をみつめる。

「そうなった時、キミはどうするのだろう、って。そうなった時、私はキミに何を残せるのだろう、って。そんな事を、考えていたんだ」

 あの、星の輝きのように。

「何も残さずとも良い」

 刹那の時が流れる事を止めたような沈黙が破られた。

「例え残されたとしても、それは無意味なモノだ」

 言葉少なく、無言の下に彼は云う。無意味なモノは邪魔になるだけだと。
 生きた証も、一時に誓う永遠も、果てる瞬間刹那の輝きも。
 ……己の存在すらも。
 ドッペルシェゾは静かに彼女の髪に付いたままだった木の葉を取り上げると、そのまま握り潰してしまう。全てが「煩わしい」とでも言うように。

「俺にはただ一つ在れば良い」

 黙って俯いたドッペルアルルを、不器用な腕が乱暴に引き寄せる。再び互いの紅が廻りあい、重なりあう二つの影。そよぐ風の如き優しさと力強さで聴覚をくすぐるテノールは、突如激しく揺らいだ風に掻き消されてしまった。
 離れる躰、風の余韻に攫われ消え行く温もり。

「……馬鹿」

 だが再び空を見上げたドッペルアルルの頬は、その温度を留めているかのように真っ赤で――。
 

 ドッペルシェゾの意地の悪い笑い声が青暗に低く響き、耳の奥でもう一度囁く。

 ――『お前しか要らない』

 

 ゆうゆうと流れるこの刻。
 いつしか終わるであろう天空に沈む満天の星はしかし、永遠に変わらないものであるように見えた。



                                                           FIN
story by 華車 荵 
あとがき
 トップバッター入りました(何)
 かな〜り昔に書いてアップしないままだった小説を投下です。なんだか今の書き方と随分違うような……(^^;)
 なりきりチャットがモチーフです。初々しい感じが出ていればな〜と思いつつ。息をひそめた静けさでイチャラブやってるこいつらが好きだったりするのです(何)
 少しでも気に入ってくれる方がいればいいな。

 ……あ、Dアの虫嫌いは私の(なりチャ含む)オリジナル設定です。

menu comment