枯れない緑が陽光を反射させて輝く。
 彼女は草原の中に寝転び、遥か彼方に広がる宙を眺めていた。


SICK's  ――For 【渚の岬】様 相互リンク感謝


「…………」

 空は高い。
 草木は柔やか。
 風は清純。
 隠微に吹き抜ける冬の香りが心地良い小春日和。
 絵に描いたように美しい世界。
 
 しかし魔導師の卵である少女は、大の字に転がったまま、そんな事など興味がないのか微動だにしない。
 浅緑の上、栗色の髪を無造作に散らせ、遠い空で流れる雲を無意識に金色の瞳が追う。瞬き一つせずに。
 やがて青く眩すぎる光に飽きたのか、それとも唯単に目が疲れただけか、アルルはゆっくりと目を閉じて嘆息。

「ぐっぐ~?」
 
 少女のまだ幼さを残した相貌に長い耳の影が落ちかかった。
 隣で寝ていた小さな黄色い生き物が不思議そうに覗きこんできたのだ。
 
「どう思う? カーくん」
 
 茶色く陰った瞳を向けると、額に赤い宝石を付けた生物、カーバンクルは一声鳴いて体ごとあるのかないのか解らない首を斜めに傾ける。
 ひょいっと、アルルは小さく丸っこい体を抱き上げて、自分の腹の上にトモダチを乗せた。
 水色の風が青いスカートと白いタンクトップを揺らし、耳元で草がさらさらと小気味良い音を立てたが、彼女はそれさえ上空の彼方へ放り投げている。

「違うんだよね。やっぱり」
 
 視線を戻して呟く。乾ききった眼差しに蒼穹を映す。
 カーバンクルは微かに上下するアルルの腹上にちょこんと座り、彼女を見下ろしていた。
 興味があるのか、前向きに傾いた耳を時々ぴくぴく動かして、彼女の一語一句を逃すまいとしているかのように静かに座っている。
 こういうところを見ると本当にぬいぐるみのように可愛らしい生き物なのだ。が、その食欲はまさに化け物の域。歩くブラックホールとまで呼ばれたことが有るほどで、体は小さいくせに食物の事情においてはなかなかの危険分子。

「そりゃ、アミティたちは良い子だし、この世界も面白いけどさ……」
 
 アルルはひとりごちた。
 魔法の失敗により飛ばされてきた世界。
 そこは彼女の全く知らない世界だった。
 雑魚モンスターのぷよぷよが居るということはそれなりに繋がりのある世界なのかもしれない。しかし出逢う人々、町の風景、その習慣……全てが知らないもので、違っている。

「なんだかなぁ」

 それなのに――

「やっぱりここはボクの居場所じゃないって感じるんだ」

 目を閉じこの世界で出会った少女達を思い浮かべる。

「アミティ、シグ、ラフィーナ、アコールさん。誰かがいちいち誰かに重なって、どうしてボクはここにいるのかな、って」

 追いかけ続けた夢は何処へ行ったのだろうか。
 そよ風が慰めるように前髪を撫でて行く。

「ぐぅ~……」
「ごめんっ、なんでもないや」

 にっこり笑って彼女は半身を起こした。
 やや強引に唇の両端を釣り上げてみせる。
 くっついてきた青草が肩から栗色の髪からはらはらと落ちていき、何もなかったかのように緘口(かんこう)。
 
 膝に下ろされたカーバンクルが寂しげな鳴声とともにつぶらな目を細めて見上げてくるが、それから目を逸らしてアルルは友達であり相棒であるこの小動物を草の上に降ろして立ち上がった。
 そのまま空を見上げ両手を広げて大きく背伸びをする。

「お腹すいたね~、カーくん! カレー食べよう、カレー! って、この世界カレーあったっけ??」
「…………」

 頬に指をやり無邪気に首を傾げるアルルをカーバンクルが黙ったままじっと見上げていた。


「ぐっ」
 
 っと、親友の小さな声。
 アルルが足元に視線を落とすと、カーバンクルの小さな背中で短い尻尾が揺れている。

「カーくんどうし……」
 
 背を向けて何処かを見ているカーバンクル。追うように視線を上げたアルルは言葉を詰まらせた。
 訊かずとも解った。
 目に映るのは相も変わらぬ草原の景色。
 だが、動かない。
 
 全ての音と動が無くなっているのだ。
 風も、木々も、草も騒ぐ事を止め沈黙が満ちていた。畏れと心酔に黙している。
 水を打った静けさの中広がる波紋に。

 魔導力の波動。
 
 それもとてつもなく膨大な。
 けれども、何処か懐かしい。
 心地良い緊張感。

 構える間もなく目の前で輝きが収縮していき……、

「うわっ!?」
「ぐっ!?」
 
 弾けた。
 
 辺りが瞬く間にして真っ白に染まる。
 鋭利な光輝の支配が押し寄せ網膜を焼く。
 一瞬だったような数刻だったような。
 やがて強烈な光が引き、両腕で視界を庇っていたアルルがゆっくりと顔を上げて、

「うわぁ!」
 
 感嘆の声。
 足元で見上げたカーバンクルが興奮したようにぐーぐーと飛び跳ねている。
 
 アルルの目の前には掌に乗るくらいの大きさをした蒼い宝玉。
 丁寧に削られ磨かれたのであろう表面には角などあるはずはなく、すべやかでなめらか。
 何処までも清んだ蒼い色。
 なのに限りなく深く、冷たく、そして……暖かい。
 心の奥底まで染み渡っていくような、色。
 今の季節、この晴天のような。

「アゾル・クラク?」

 知人の勇者が持つ祕宝石を思い出したが、直ぐに別のものだと確信した。
 そんな自身に首を傾げつつも、しかし何処かで見、知っているものだという事は確かなのだ。
 確かに、この色は……。
 
 いつかどこかで見た宝玉。これも魔導の力なのか淡く輝きながらふわふわと浮かんでいる。

《――ルル》
「え?」

 見入っていると宝玉が話しかけてきた。

《アルル……?》

 いや、宝玉の向こうから誰かが。
 柔らかいテノール。
 懐かしすぎる声音。
 金色の目をいっぱいに見開き、アルルは両手を口に当てる。

「シェ……ゾ……?」
《……ッ!?》

 一瞬の沈黙。それから重苦しい喉で漸く紡ぎだした名。宝玉から息を呑む音が聞こえた。

《アルル!? 本当にアルル・ナジャか!? 届いたのか!!?》
「シェゾなの!? 本当にシェゾなのっ!!?」
《テっメェ、一体今何処に!?》
「キミ、今何処にいるのさ!? これ一体どういうこと!?」
 
 焦燥感に囚われ、噛み付くようにアルルは淡く明滅する宝玉へと身を乗り出す。話が今一噛み合っていないのはこの際どうでも良かった。

《っ、……俺達はサタンの塔だ》

 らしくなく、呼吸を乱しつつも幾分か落ち着きを取り戻した声が答えてくれる。
 
 聞こえる声はあまりにも聞き慣れすぎている。
 過去、毎日のように言葉を交わした人。銀髪蒼眼の青年とは顔を見合わせる度に喧嘩と魔導力を賭けた闘い(バトル)を繰り返し、互いをよく知らなかったにも関わらず、しかしこの声は彼女の鎖しかけていた心を少しだけ乱暴にこじ開ける。
 むっつりと苛立った声。笑えてくる。
 
 それにしても……達?
 追想を半ば強引に押し込め、アルルは首を傾げた。

《これは一種の通信具だと思って……どわっ!?》
《アルル、聞こえるか? 俺だ》

 言葉半ばで彼の声が遠ざかり不意に声のトーンが切り変わった。

「でぃ、Dシェゾ!?」
《そこにいるの? アルル、無事なんだね? よかった》
「Dアルルも!? キミ達も一緒なの!?」
《うん。突然居なくなって心配していたんだ》
《お前が居なくなるとこっちは静かだな。シェゾが寂しがっ……ぐぇっ!?》
《……あっ》

 ドッペルゲンガーと通称で呼ばれる者達。
 憂いを帯びた銀髪紅眼の青年が面白いほど"似合わない"叫び声を上げるのが聞こえ、先ほどの仕返しとばかりにシェゾが彼の襟首を引っ掴んだか外套(マント)を踏ん付けたかしたのだろうことは、同じ場所に居るのと違わないくらい想像に易い。
 遠くで怒鳴る声が聞こえ、それが言い争う声に変わる事も想定の範囲内で、しかし栗色の髪に赤み掛かった茶色の瞳をもつ少女が彼らを窘めに入る声が聞こえるのは予想外。
 アルルが居ない間、彼らの関係も多少なり変化したらしい。

《どうやら無事なようで安心したぞ、アルル》
《全く、あんたは鈍臭いんだから。ほんとうに世話が焼けるわねっ》

 代わりに聞こえたのは鷹揚に深く落ち着いた声と、少し刺々しい女性の声。
 アルルの足元でカーバンクルがぴくぴくと耳を動かす。

「ぐっぐ~っ!」
《うをぅっ、カーバンクルちゃんも無事かぁ~っ》
「サタン! ルルー!」
《あんた、そっちでちゃんとやってる? 飢え死になんかしたら承知しないわよ! ライバルが居なくなっちゃうじゃない》
「うん、平気だよ。心配してくれてありがと、ルルー」
《べ、べつに心配なんか、してないわよっ》

 アルルは強く頷き姿の見えない彼らににっこりと笑いかけた。
 きっと今、魔王は紅い瞳を垂れ目に端整な顔をでれっと崩し、誇り溢れる青髪の格闘女王は真っ赤な顔でそっぽを向いているに違いないのだ。

《ルルーなんてなぁ、お前が居なくなった後心労で痩せ細ってしまってな。あんなにボインだった胸がこんなに小さく……》
《……サタン様?》
《……これは冗談だ》

 しみじみとした言葉にルルーの声が優しく怒気を含み、サタンが咳払いをする。

《あ、あのっ、アルル、さん? その、お元気、ですか?》
《おうっ、アルル! おめぇそんな所にいたら俺様の踊りが見れねぇだろうが、とっとと戻って来いよ!》


 おどおどと気弱で小さな声と、逆に大きくはつらつとした声が聞こえる。
 この声は、

「セリリにすけとうだら!」
《フィーーッシュ!!》
《あ、あのっ、ルルーさんの胸、ちっちゃくなっちゃって私ちょっと寂しいです……。まんまる、好きだったのに……》
《ちょっ、あんたまで乗ってるんじゃなわよっ、この魚っ! ほんと調子に乗りやすいんだからっ》
《い、いじめないで……》
《まぁまぁお二人さんここは穏便にですよ? 折角の再会……といっていいのかしら? まぁとにかく》

 ルルーと鱗魚人セリリの間におっとりとした声が割って入る。
 鈴を転がしたように老成な女性の声。しかしその外見は年齢と一致せず若々しい事をアルルは知っていた。
 声はコロコロと優しく笑う。

《お久しぶりですねぇ、アルルさん。お元気で何よりです》
《まったく、何処にいらっしゃるのかと思ったら別の世界ですって!? わたくしたちがどれだけ苦労してあなたを探したと思って――! 魔導学園の期末試験も始まってしまいますのにっ》
《ま、まぁまぁウィッチ、良いじゃないか無事を確認できただけでも。何はともあれ、無事で良かったよアルル》

 続く声に頬を綻ばせた。
 大魔女の女性、魔女の少女、そして勇者の青年。

「ウィッシュさん。それに、ウィッチにラグナスも」
《すみませんねぇ……。どうも私たちの力では及ばないようで》

 級友であるウィッチの祖母、ウィッシュが心底済まなさそうに言ってくるものだから、彼女達に見えないことを知りながらもアルルは胸の前で手を結び首をぶんぶんと横に振る。

「ううん、ううんっ! みんなの声が聞けただけでも嬉しいよ」
《……そうですか》

 蒼く浮かぶ宝玉の中に、優しい微笑みを見た気がした。
 間髪をいれずに檄が飛ぶ。

《そんなこと言って、諦めちゃだめだよ!? 帰ってきたら美少女コンテストやるんだから!》
《ぶもっ、コンテストはさておき、皆心配していることは確かだぞ》
《Oh! ビューティフルガール、君の居ない世界は枯れたバラ。まさにそうダヨ!》
《言ってること意味不明よインキュバス。ま、苛める相手が居ないのはちょっと寂しいわね》

「ドラコ、ミノタウロス、インキュバスにサキュバス!」

《アルルさんがいないとやっぱり寂しいですよ。またぷよ勝負もやりたいし……》
《ガウガウ~~っ!》
《ふふふ。珍しい魔導具仕入れたのね~》
《ももも~、こっちではカレーのセールもやってるの~。魔法アイテムも仕入れたの~》
《そっちでも茶は飲んどるか?》

「チコにドラゴン、ふふふともももに……スケルトンT!?」

 無意識に、アルルは声高らかに彼らの名を呼ぶ。
 聞こえてくる声たちはどれも懐かしくて暖かい。

《アルルさん~お元気ですか~~~あ~~~~?》

 相変わらず音程の外れた声。

《もう! ぼくの笛聴いてくれなきゃ泣くぞっ》

 吹く笛の如く元気一杯な声。

《虫ぃ! 帰ってこんけぇ!》

 野生の活気に満ちた声。

《ちゃ~んと運動してまっか~? 太ったら折角の美人さんが台無しでっせ~》

 過剰なくらいの饒舌。

《アルルさんのお部屋、お掃除しておきましたよ~》

 のんびりとした優しさ。

《ついでに罠も張っておいたぞ》

 余計な事。


 ――仲間達。


《ちょっと私にも喋らせなさいよっ!》
《カーバンクルちゃん~、お前がいなきゃ私はさびしいぞ~~っ!》
《お待ちなさいな! わたくしだって言いたいことが》
《私には喋らせてくれないのかい?》
《み、みんな落ち着いてっ》
《あらあら、皆さん今日はやけにハイですね~》
《せ、狭いゾウ……》
《おい誰だ俺の足踏んだのは……》
《ダンシーング!!》
《にゃーたちにもしゃべらせろにゃーー! にゃー!》
《……誰か水持って来い。ぞう大魔王がキレそうだ》
《そういうときは埋めておくじゃいや!》
《ふふふ~、洪水壷ならあるのね~》
《プリティハニー、今すぐ僕が君を連れ戻してあげたいヨ~!》
《…………》
《…………》
《Ouch! サキュバス、シェゾさん、何も殴ることないじゃないデスカ!?》
《きゃぁぁっ、た、たらいの水が!》
《めぇ~》
《おたんこナース》
《え? なんでこんなのまでいるんですか?》
《きぃ! かぁ! ぴぃ!》
《み、耳元で叫ばないでくださいっ。あと散らかさないでっ》
《……わたしには喋らせてくださらないんですか?》
《亡霊はすっこんでなよ、亡霊は》
《…………》
《は~ら~ひ~れ~~~!》
《だぁぁぁっ! テメェら煩せぇぞ少しは黙れっ!!》


「……ぷっ、く、ふふふふっ、あはははははっ!!」
「ぐ、ぐぐぐ~~っ!!」

 直ぐ傍で聞こえる遠くの喧騒。
 まるでお祭りのような騒ぎにあわせて宝玉が忙しくカタカタ揺れる。
 たまらずアルルは笑い転げていた。
 豪快に声をあげ地面を転がると一緒に緑が舞い上がる。
 カーバンクルも楽しげにくるくると踊っていた。
 
 ――楽しい。

 思えばこんな風に馬鹿笑いしたのも久しぶりな気がした。
 この世界で出会った者たちと笑いあう事は確かにあったが、心は何処かで虚を感じていたのだ。
 どんな躍起になった所で帰る方法も見つからず、見知らぬ世界に唯一人。
 右を見ても左を向いても彼女が知る者は一人もおらず、彼女を知る者は一人も居ず、無意識に探す影は現の幻夢。
 誰かと重なる彼らの存在がただただ虚しくて哀しかった。ここは自分の世界じゃないと、何度目を逸らしてもそれは事実として彼女に圧し掛かり、痛いほど思い知らされるのだ。

 この世界が嫌いな訳ではない。しかし、

「……帰りたい」

 "仲間"を、思い出を忘れるなど、出来るはずはなかった。


 いつの間にか呟いていた。
 俯いた顔に髪が落ちかかり影をつくる。

「ボク、帰りたいよシェゾ。ボクが生まれた世界へ、みんなが居る世界へ、みんなが生まれた世界へ!」


 ――魔導世界へ!!
 
 
 言葉を紡ぐ度に想いは膨れ、焦りは大きくなり、無力感は拡大する。
 熱く乾いた喉から搾り出される現実味を帯びない言葉。

「帰りたい、よ。シェゾ」
《アルル……》

 握り締めた拳は震え、同時に彼女は確信していた。
 再び彼の声が近くに聞こえてくる。

《……あまり時間がない。此処と其処じゃ遠すぎてな、本来なら媒介に魔力を繋げる事すら困難だ。だから、よく聞いておけ》
「…………」

 何かを決意したような力強い声。世界の全てがいつしか耳を澄ましている。

《戻りたいか? 此処へ》
「うん」

 問い。
 こくりと小さく頷く。
 戻りたかった。
 戻らなければいけなかった。

《皆に、逢いたいんだな?》
「っ、うん」

 仲間にもう一度逢う為に、大好きな人達にもう一度。
 そして……

《父親の事も、まだ諦めてないんだろう? 世界一の魔導師になって行方を捜すんだよな?》
「……っ、うん、うんっ!」

 ずっと見つめてきた夢を、掴む為に。
 
 何度も頷くアルルに、シェゾが静かに笑ったようだった。

《安心しろ、必ず連れ戻してやる。俺達が》
「……え?」

 遠く繋がった世界で歓声が沸き起こるのが聞こえた。
 アルルは顔を上げる。

《何ヶ月、いや、何年掛かるかは解らん。だが必ずお前をこの世界へ引き摺り戻してやる。このまま勝ち逃げされちゃたまらんからな》

 その中でもはっきりと徹る意思。
 きっと彼はあの意地の悪い笑みを浮かべている。

《だから……》

 それでも、
 何故こんなにもこの人は自分の事を解ってくれるのだろう。
 
 心の底から思った。

《泣くな、アルル。今はまだ。お前はこれくらいで挫けるようなヤツじゃない》

 あの大きな手に触れられた気がした。
 目を閉じれば柔らかく冷たく、溢れ出した涙が拭い去られていく。

「お前を倒すのはこの俺だ。それまで、他のものに屈することは許さん」

 耳元で明瞭に響く彼の声。その息遣いさえもはっきりと聞こえる。

「お前がお前でなくなる事もだ。もし俺の前で不様な態(てい)を晒してみろ。即刻その廃れた根性を叩き直してやるから覚悟しておけ」
「うん」
「失望させるなよ? 俺を、闇の魔導師であるこのシェゾ・ウィグィィ様を此処まで堕落させた魔導師が、弱いただの女だなどとは思いたくない」
「うん、解ってる」
「この俺から逃げられると思うな」
「…………」

 高みから降る言葉は寒風のように柔らかい。
 この男はその真髄から強いのだと、そう感じた。

「お前は俺のモノだ。アルル・ナジャ」
「……変態」

 そっと目を開けると彼の瞳と同じ色。真底に沈んだ情を時折ちらつかせる冷めた蒼。
 宝珠の背後には真っ青な空が閑静の朔風を湛えて広がっている。
 遠退いていく懐かしさ。しかし見つけられた光に、アルルは泣きはらした顔をくしゃりとさせて笑った。
 
「何とでも言え。それだけは変わらん事実だ」

 言ってシェゾが笑う。

 
 ――還って来い。
   本当に必要としているのは誰か。

 帰るべき場所は、求めている居場所は一つしかないのだ。


「待ってろよお転婆娘! 帰って来たら言いたい事が山ほどあ――》
「……え?」

 ツッと、突如として声が途切れた。
 宝珠から急速に光が失われ、トスッと地面に落ちる。


「え? う、ウソ……」

 長い静寂の後呆然と呟く。
 アルルはそれを訳のわからないまま眺め、カーバンクルもきょとんとした表情で、草の中に横たわった蒼い石を見つめている。
 頭の中で音を立てる歯車と一緒に、この世界までもが動き出す。

「ちょ、冗談でしょ? まさか、もう終わりなの? ね、ねぇシェゾなんとか言ってよっ。変態! 陰険! 嫌味の魔導師っ!!」

 へたり込みついた両手。
 呼べど叫べど、輝きを亡くした宝珠は濁った蒼い上面をただただ沈黙させているだけ。

「そんな……もっと、話したいこと、いっぱい……」

 掴んだ土は冷たく、濡れた瞳に映る物言わぬ石は、再び隔たれた現実を伝えてくる。
 続かない声は乾いてゆき、冷えゆく体は鈍く軋んだ。

「…………」

 だが、一呼吸置いてアルルは再びゆっくりと立ち上がる。
 歯を食いしばって唇を引き結び、キッと草原を、世界を睨みつけた。

「泣かない」

 目を閉じ深呼吸を一つ。宣言する。
 開かれた金無垢の双眸にはもはや翳りはなく、清んだ真っ直ぐな瞳は泰然とありのままを捉えている。
 追い風が頬を叩き、茶色のポニーテールを乱れさせ、青い服をバタつかせた。

「もう泣かない。ボクは信じる。信じてるよ。キミを、みんなを」

 騒ぐ草木の声に乗せて、愛する仲間に、故郷の世界に語りかける。

「でも信じてるだけじゃ、待ってるだけじゃ駄目だよね。それこそ弱い女の子になっちゃう。ボクは――魔導師だ」

 彼女が救いを求めた者は応えてくれた。ならば今度は……。

「ボクだって探すよ。元の世界に戻れる方法。諦めちゃ、その時点でボクはボクじゃなくなっちゃう。ガッカリさせるような事はしない。帰ったら……お説教ならいっぱい聞くけど、その後特大のジュゲムでぶっ飛ばしてあげるんだから。いつも通り、ね」

 風の向こうににやっと笑う。
 ほんの一瞬だけ、流れが懐かしい香りを運んできた。
 忘れないように大きく吸い込みアルルは、

「行こっか、カーくん!」
「ぐ~! ぐぐ~~っ!!」

 残されたたった一人の仲間に笑いかける。
 草の中に座り込み蒼い石に頬擦りをしていたカーバンクルが彼女を見上げて元気良く答える。

「カーくんもその石、気に入ったの?」
「ぐっぐ~!」

 アルルの問いにカーバンクルはしゅたっと手を上げて応を示した。
 その様子に彼女は声をあげて笑う。

「じゃぁ、交代交替で持とうね」
「ぐ~~~!」

 石を拾ってポケットに入れながら言うと、カーバンクルは嬉しそうにくるくると踊った。
 それを横目に大事な宝物を隠す子供のように、ポケットを二、三度叩き手を差し伸べると、黄色い小動物はその手にぴょんと飛び乗り器用に腕をつたっていつもの指定席である肩に収る。
 短い片手をピンと伸ばし元気いっぱいに一声鳴く。

 可愛い小さな相棒を暫く見詰めた後、アルルは踵を返して歩き出した。
 
 冬の到来を告げる風が、草を巻き上げながら少女達の後を追いかけていった。


△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △

 
 黄昏が迫り、深く長く影が落ちかかるバルコニー。
 見渡せば見目に眩しい自然界の操。
 城壁は名残の陽光で鮮やかな黄金の色に染まり、空もまた、朱と金の絵の具を流し込んだように美しい。
 一つの絵画の如く俗世から切り離され、しかし柔らかな空気の流れだけが繋ぎとめている場所。
 そんな中、男は一人佇んでいた。

 夕日に赤く染まった銀色の髪。夕刻の光が照らし出すのは突き抜けるように鋭く怜悧な白皙で唇を真一文字に引き結んだ横顔。遠くの山々を見詰める瞳は晴れた冬空のように冷たく凍りついた蒼色。
 長身に纏った長衣は粉雪のように白く、その肩から垂れ下がる外套(マント)もまた蒼穹のごとき蒼。

《主よ》

 未だ覚めやらぬ興奮の渦中から抜け出して来た彼の傍で、剣が静かに語りかけてくる。
 
「泣いてたな、アイツ」

 声としてではなく意思として伝わってくる言葉に応えるように呟き、彼は目を閉じた。
 柔らかい声に驚いた風は欠片もなく、ただ言ってみただけ、そんな感じ。

《うむ……》
「半年、か。アイツが消えて」
《限界だったのかもしれぬ》
「だろうな」

 開いた目を険しくし見上げると、鳥の群れが遠くの空を飛んでいくのが見える。
 最後にあの少女と言葉を交わした時も、地面に突っ伏したまま同じような風景を見ていたはずだった。

「長かった」

 そして彼女は言ったはずだ。『またね』と、いつもの笑顔で手を振って。

 低く紡がれた声。握る拳に力がこもる。
 輝ける太陽の瞳と全てを包み込み律する光の強さを持つ少女が目の前から消えて以来、彼が不様に地に沈み込む事は確かになくなった。しかしそれを良しとするほどの軽いプライドであるならば、疾うの昔に捨て去ってしまっていた筈だ。
 だが居なくなった彼女は捨てさせたのだ。彼があれほどまでに執着し、生きる糧としてきた全てを、彼の名が意味する運命ごと。

「アイツは救いを請うた。他の誰にでもない、この俺にだ」

 シェゾ・ウィグィィ。
 神を汚す華やかなる者。

 剣の柄を握り締め、彼は相棒をぶんぶんと振り回した。

「求められたからには応えなければならないだろう」

 外套が翻る。
 世界を畏怖と絶望の淵へ陥れる存在となるはずである闇の魔導師が、それがたった一人の人間、しかも年端も行かぬ少女の為だけにその力を振るうのか。
 自らが強敵と見なし睨みつけていた魔王にさえ協力を求めてまで。
 
 ――弱み。
 
 しかしそう嘲られる事すら潔しとしたのだ。彼は。

 
 空気を切り裂いて背後へ薙ぎ、そしてそのまま正面でぴたりと止めた。

「だが、だからと言ってお前が犠牲になる事もなかったはずだ」

 鋭利な眼差しが、紅い光を受けてさえ一層氷のように輝く水晶の諸刃を撫でる。
 切っ先から降りていく視線はやがて黄金の柄で止められた。
 闇の剣。
 この精神武器(スピリチュアルウェポン)の"核"となる蒼石が嵌め込まれていたはずのそこは、今やぽっかりと穴が開き空間を繋げているだけ。

《しかしそのお陰で事が急展開したであろう?》
「…………」

 この剣はもしかしたら、現在の持ち主よりも嫌味な笑い方をするのかもしれない。

「すまない。闇の剣」
《何、我にはこれくらいしか出来ぬ。……奪い返すのだろう? アルル・ナジャを》
「当然。アイツが俺を呼んだのだ。それでなくともアイツは俺のモノだからな。逃しはしない」

 にやりと笑った彼は、闇の魔導師――そういう顔をしていた。

《決したのは主だ。我は主の為にやるべき事をやった。それだけだ》

 満足したような波動が剣から伝わってくる。途端、彼は表情を引き締めた。

「言う通り、お前が申し出てくれたお陰であのお転婆がどの時間軸に居るかは割り当てられた。恩に着る」
《役に立てたのならば欣快(きんかい)の至り。だが、これからだぞ。どう連れ戻すか、それが問題だ》
「あぁ、解っている」
《……必ず、取り戻せ。シェゾ》
「あぁ」

 相棒として、よりも戦友(とも)として。
 剣の声なき言葉に、彼は力強く頷いた。
 
 闇の剣がようやっと、大きな一仕事を終えたように嘆息を零す。

《済まぬ、主よ。どうやら、限界のようだ》
「……そうか」

 言いながらも笑っていたようだった。
 得たものが大きければ犠牲にしたものも大きい。
 忘れていたわけではない。が、その事実はあまりにも重い。

《暫し、別れだ、な》
「なに、また直ぐに逢えるさ」

 そう言って彼は蒼の双眸を細めふっと笑った。

《あぁ。もう二度と、あの少女を見失うなよ》
「解っている。帰って来たら二度と迷子にならんよう、首輪でもつけておくか」
《うむ、そうしておけ》

 もう一度笑う。

《……さらばだ、主よ》
「あぁ、またな。闇の剣」
《…………》

 かすかな微笑みの波動を残し、相棒は深く押し黙った。
 剣に宿っていた魔力が薄らいで行く。
 剣身がゆっくりと輝きを凍らせていき――そして眠りに就いた。

 
 物言わぬモノと化した剣を漆黒の鞘に収める。
 シェゾは外套を翻し、

「…………」

 遠く沈み行く太陽を、ただ静かに見つめていた。




                                       FIN?


 テーマは遠距離恋愛(嘘)
 アルルはホームシック、シェゾはアルル中毒、闇の剣は……;;

 暁乃さんに贈与する予定で前前から考えていたストーリー。
 「ぷよぷよ!」が発売することにあたって執筆してみる事にしました。ギリギリですが、発売前にアップできて良かった(^^;)
 今回もかなり遊んでますが、ギャグシリアスな積り……。科白考えるのが楽しかったです。
 何気に闇カー入ってるのはご愛嬌(え? 解らない?/笑)
 
 取り合えずフィーバー設定っぽいですが、私はフィーバーをやった事が無いです(-_-;)

 暁乃さんはお持ち帰りOKです。 持って帰ってくれたら幸い(;´Д`A ```

 
誤字脱字等お知らせくださいますと喜びます(-"-;)



2006,12,13  執筆時BGM AI 「Story」   魔導物語・ぷよぷよ (C)COMPILE
                                        (C)SEGA
                                Short Story  (C)Sinobu Kaguruma




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