日記掌編

No 5. 春時雨


 雨の音を聞きながら眠るのが、
 
 小さい頃から好きだった……。



【春時雨】



 雨の音が聞こえる。
 薄暗く質素な部屋の中。一つだけある棚には本が隙間無く並べられ、余った物はその上に低く積まれている。きちんと整頓された木製の机。真っ白なシーツが掛けられたベッド。
 遠慮がちに薄い硝子を叩き、木造の壁を流れる音、音、音。

 そんな中、アルルは目を覚ました。
 普段パッチリとした鳶色の眼が半分だけ開き、気だるげな体を起こす。
 衣擦れの音。
 肌寒さを感じてシーツを手繰り寄せて包まると、辺りをきょろきょろ。

 ……確か、自分以外にもう一人居たはずだが、はて?

 首を傾げるのと扉が開くのとはほぼ同時で。

「目ぇ覚めたか?」
 
 入ってきたのは一人の男。

「シェゾ……」

 半ばぼんやりとその名を呼ぶ。
 銀髪蒼眼、黒服の魔導師。
 闇の魔導師。

「朝から?」
「どうせ昨日のがまだ残ってるんだろ?」

 アルル――鳶色の髪と瞳の女魔導師である――の視線は彼の手元で止められていた。
 赤ワインのボトルとグラス。
 昨日シェゾがどこぞから仕入れてきたもので、確かあれが五本目で最後の一本。
 男魔導師が笑いながらベッドに腰を降ろす。
 なるほど、この気だるさは昨夜の名残か。

「二日酔いか?」
「ん〜……一歩手前」

 それほどがぶがぶ飲んだわけでは無いはずなのだけれども。
 言いながらもグラスを受け取る。
 やはり年代物は味に比例して違うのかも知れない。ふとそんな事を思うが、こんなときは飲みなおすに限ると結論づける。
 ボトルの中で液体が揺れる。
 小気味良い音と共に広がる香り。雨の音にまみえ、彼女の部屋に幻想を築く。
 赤く満たされるワイン・グラス。
 恍惚とした、嘆息。

 注がれたアルコールをアルルは一気に飲み干した。
 自分の中に溶け込んでいく心地良い苦味と芳醇な香り。
 体が温度を取り戻していく。
 今度は自分からワインを注ぎシェゾに渡すと、彼も同じように飲み干したちまちワインの残りは空っぽに。

「なんか勿体無い気がするな」

 未練がましく薄い唇を指で拭いながらシェゾが言う。

「もう少し味わいたいもんだ」
「残ってないよ? もう」

 見上げて言うと、細い指が柔らかく顎にかけられた。
 蒼い瞳がにやりと笑う。

「まだこっちが残ってる」

 体を起こしてベッドに方膝を上げ、抵抗する気も間もないまま、腰に腕を回して深く口付けてきた。
 そして何度も角度を変えてついばまれる。
 雨音に重なる水音。
 熱に浮かされる体は酒の所為か、それとも。

「気が済んだ?」
「まだ、だ」

 首筋へ降りていく唇。
 何時の間にか閉じていた目を開き、アルルはシェゾの腕を解く。

「…………」
「…………」

 訝しげに眉を寄せる彼の胸に頬を押し当て、

「ちょっと寒いから暖めてよ」
「そのまま寝るからだろ、馬鹿者」

 呆れたように言いながらも抱きしめてくれる。
 頭の上に手が置かれ、暖かい鼓動と大きな腕の温もりが包み込んでくれる。



 降り続く雨の音。
 その中で眠るのが小さい頃から好きだった。
 世界を覆う冷たい音とは対照的に、体を包む暖かさ。



「もうちょっとだけ。眠い……」

 
 闇のような優しさに、
 
 "護られている"
 

 そう、思えた。


 THE END


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