日記掌編

No 21. 接吻 (メガトラCDネタ)

 
 救いなんて要らない。祈りなんて無意味。
 貴方とならば何処へまでも堕ちて――



【接吻】
 

 重々しい痛みと共に、暗闇の意識は光を求めて浮上していく。
 
 世界を隔てていた瞼が微かに動いて開かれ、翠玉の輝きが虚ろを彷徨った後彼女はうつ伏せの上体を起こした。

「……頭痛い」

 青い髪が白いシーツの上を滑り、衣擦れの音。
 飲みすぎだろうか。顔を顰めこめかみを抑えて呻く。
 ぼやけて回る視界。痛みが引くのを待ってから辺りを見回せば見慣れぬ部屋。低い天井ド派手な壁、大げさな照明が眩しく目を細めるが、変わるはずもなく。
 どう見ても……ラブホテル。

「あいつら……」

 呟いたのは怒りからではなく寧ろ呆れたのであり。
 
 自分たちを馬車に詰め込むや否や笑顔で手を振る鳶髪少女と銀髪男が頭の隅に浮かんで、乾いた溜息に笑いが混じる。
 だってあまりにもテキトー過ぎるではないか。どうせならもっといいホテルを指定してくれても……。
 しかし今更文句の言い様もない。それ以上にあのコンビ。言っても聞くわけがない。
 というか、この状況すら意図的なものだろう。恐らく。
 
「どういう体の構造してるのかしらねぇ、あの二人は」

 どうやって馬車から部屋まで辿り着けたのかは一先ず置いておくことにして。
 やや上を見、ルルーは苦味を噛んだ表情で呟いた。
 他人の内情に関する無神経さしかり、アルルを『ワク』呼ばわりしていた(いわく、『ザル』はまだ酒が引っかかる所があるが、アルルは引っかかる所が全然ない。らしい)シェゾもかなりのツワモノだ。
 散々杯を重ねた挙句、結局先に酔い潰れたのはこちら側で完全敗退。肝心の彼女らは余裕そうにヘラヘラ笑っているときた。
 折角余計な事は全部忘れてもらおうと思ったのに、あの様子じゃあの二人、一年は飲み明かせるのではないかと疑ってしま――

「…………」

 ふと、目を閉じ眉を寄せる。
 宿酔の為ではない。
 飲んでる最中、二人に色々問い詰められた気がするのだ。が、はて……?

「まぁあいつらの事だし、次会った時には忘れてるわよね」

 記憶がぶっ飛んでるのだから考えても埒が明かず都合のいい様に結論付ける。
 腕を組み一人頷いて視線を下げ、

(……あ、)

 そして気が付いた。

「サタンさま……」

 ついでに腰へと回されていた腕にも。
 
 曲線を描いてシーツに流れる深緑長髪、頭から突き出た二つの角は尊厳たる黄金。妖精のそれよろしく尖った耳。閉ざされた瞼さえも秀麗で、薄く開かれた口から覗く鋭い牙と僅かな寝息は可愛らしい。
 魔の一族を率いる魔王の、見慣れた寝顔。
 口元に微笑を広げ、ルルーは彼の胸に頬伏せて眺める。
 なんてことは無い、いつもの事だ。二人で居るときは。

「そういえば付き合い始めてどれくらい経ったっけ」

 問いかけは冷涼の空気に揺れ、小さな息遣いだけが応える。
 
「二年? 三年? 初めてのデートもこんな感じだったわね」

 ぱたぱたと足を揺らしながら言葉が積まれる。
 薄闇に吸い込まれ溶けていく。

「種族の違いも歳の差の迷いも、全部投げ捨てて想いを伝えて。……あなたはそれに応えてくれた」

 最初は随分と拒絶されたものだけど。
 根負けしたと言った方が正しいか。それでも受け入れてくれたことに変わりは無い。

「それなのに……」

 初めて夜を明かしたときもこんな風に飽きもせず寝顔を眺めていたものだ。
 不安と愛しさと、哀しみを抱いて。

「あなたはまだ、人を畏れるの?」

 ただ昏く澱み続ける静寂。
 狂おしい程の悦びは確かに与えられたのだ。
 甘い言葉も、優しい口付けも抱擁も。
 だが一つにはなれなかった。それ以上近付けてもらえなかった。
 何故。
 理由など解らない。解りきっているからこそ計り知れない。
 人間と魔族が分け隔てなく暮らす世界。それでも超えられない壁はある。未だ乗り越えられない壁がある。
 種族が違う、ただ単にそういうことではなくて。
 
 なのに彼らは繰り返すのだ。解っていながら過ちを犯し続ける。
 喜びは通り過ぎ一転絶望へと代わり、幸せは運命により理不尽に掻き消される。
 当たり前だったものが当たり前ではなかったのだと、俄然に思い知らされる。
 誰もが解り切っている。

「私はまだ、魔を畏れるの……?」

 それを勇気と称えるか愚かと哂うかは他者次第。
 彼女とて恐ろしいのだ。彼が。目の前の存在が。
 いつからか人と共にあり、人を滅ぼす危険を孕む魔族の――それも王。
 血の定めはいつ自分を壊すか解らない。
 それでも止められない。
 けれど近付けない。

「ねぇサタンさま、私たち一体いつになったら――」

 口を閉ざす。
 後景にわだかまる染まらない暗黒。
 魔王が目覚める気配がした。

「……ルルーか」

 向けられたのは眠たげな紅い瞳。
 酔いの為か、声は掠れていた。

「おはようございます。サタン様」

 覗きこんでにっこりと笑う。
 思慮は粉々に噛み潰して胸の奥に撒き散らし隠した。

「あぁ、もう朝か?」
「えぇ、まぁ……」

 赤い爪を有した大きな手に青い髪の後頭部を撫でられながら窓を見れば、カーテンに隠れた窓の向こうが白味を帯びていた。

「……いいえ、まだ夜中です。それほど長い間眠っていたわけではないみたい」
「そうか」
「……!?」

 振り返ると同時腕を引かれ抱きしめられる。
 見れば穏やかに笑う意地の悪い深紅。
 何を言う間も与えられず、頬に手を添えられ顎を掴まれ口付けられてしまう。

「春眠暁を覚えず。ということでもう少し微睡んでいるのも良いだろう」

 浅く漂う余醺(よくん)。
 ついばみながら言ってくる。

「もう夏よ?」
「細かい事は気にするな。気にしたら負けだぞ」
「何の勝負よ」
「暢気になる勝負だ。頭を空っぽにして細かい事は気にしないのだ〜」
「……それって勝負って言います?」
「…………」
「サタンさま?」
「ああ眠い」
「もぉ、サ・タ・ンさまっ、聞いてますかぁ〜?」

 そっぽを向いて枕に埋まった横顔を引っ張っていると、いきなりにっこりと笑顔を向けられて戸惑う。

「ようやく笑ったな」
「え?」
「お前に曇った笑顔は似合わん」
「…………」

 上身を起こして壁に預け、ニッと口端を吊り上げ男が笑う。

――何だ、解ってたのか。

 当たり前だ。相手は魔王。背徳の王、魔界の主。
 翠緑の奥で輝く紅い瞳は、全てを見据え如何なる嘘も偽りも見逃さない。
 些細な隠匿さえも捕らえて赦さない。

「サタンさま」

 ルルーは目を閉じ、続けようと――、

「謝るなルルー」

 息が、詰まった。
 解っている。

「お前はいつも自分ばかりを責めているな。気にするな、私のことは。お前が気に病むことではない」
「けど……っ」
「先を見過ぎだぞ、ルルー」

 声は優しく言葉は強く。
 唇を噛み、俯く。

「これは罰なのだよ」

 聞こえてくる魔王の声は静かだった。
 静かなのに暖かかった。
 あまりにも穏やかな、堕天。

「私は赦しなんぞ求めていない」
「解ってます。解ってる……」

 罪は愛したこと。
 罰は愛し続けること。
 魔王は知っていたのだ。当の以前から。

「ルルー」
「…………」
「済まぬな」
「…………」

――魔族で。魔王で。

 白磁の手がくしゃくしゃと頭を撫でる。

「ずるいわよ。サタンさま」

 ごめんなさい。
 我侭でごめんなさい。困らせてばかりでごめんなさい。心配かけてごめんなさい。……魔力無しで、ごめんね?
 言いたい事は何一つ……。

「そうだな。済まん」

 深い嘆息。顔を上げれば魔王の苦い笑い。
 ルルーはじっと恋人を見つめる。

「サタンさま」
「うん?」
「私、出逢わなければ良かった、とか思ったことないから」

 魔王の紅眼が彼女を捉え暫しの後、

「そうか」

 ふっと笑った。

 窓から漏れていた細々とした光は、刻々と色を濃くしながら伸びてくる。
 決め付けられたみたいに、当たり前の如く夜の支配が崩されていく。
 逃れるように背くようにルルーは腕を伸ばした。

「好きよ。大好き」
 
 白い首筋に絡め引き寄せる。
 求めたいのは聖ではなく、信じたいのは神ではない。
 
「私もだ。私も……」
 
 男の腕が女を包む。壊すまいと、じれったくもどかしい抱擁。口付けが額に、瞼に、頬に下りていきやがて重ねられる唇。
 長く甘く、しかし苛立たしいほどに冷たく、深く。
 微かな音。甘美な香り。熱っぽい吐息。
 花唇を食まれるたび、牙があたるたびに嗚咽を噛み殺す。
 近付くほどに遠くて、触れ合うたびに寂しくて求めるのに切なくて。
  
 テーブルの上では硝子細工の仄かな煌き。
 夜がゆっくりと、明けていき……、

 今宵もやけに色のない夢を見る。

 
 世界では時が止め処なく流れていく。

                                  
 THE END


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