世界最大の魔導学校、古代魔導学園。そのお膝元に広がる街の外れ、妙に整然とした街頭と大海原を対極に臨む小高い丘の上、魔王の住まう塔は存在していた。
「お〜ほほほほほほほほ」
時刻は正午一歩手前。
日が何食わぬ顔で昇り、暖かく熱されつつある空気が通り過ぎる中、涼しげに建つ塔。
響く高笑いに、付近の森から鳥達が何事かと飛び立ち、草を食んでいた獣達が驚いて顔を上げる。
「…………っ」
磨きぬかれた白壁の内部。
外の猜疑などいざ知らず、笑声が収まる前にドアを蹴倒し部屋から男が飛び出してきた。
深緑長髪をなびかせ、艶やかな黒竜の翼と長い双脚を駆使して廊下を駆け抜けていく。
「サタン様〜〜〜〜! お待ちになって〜〜〜〜っ!!」
その後から飛び出してくる高い嬌声。
素敵に凶悪な笑顔を振り撒きながら、人間の少女が人間ではありえないスピードで男を追いかけている。
「い〜や〜だ〜〜〜と言っておるだろうがっ!!」
暗色長衣を靡かせ、白い肌の顔を余計に青白くさせて逃げるのは魔王、サタン。
「いけませんわサタン様、そんなに走られてはお怪我に障ります!」
追いかけるのは青髪翠眼の格闘女王、ルルー。
何故か女性看護士とのぴったりとした白衣に、白いタイツとサンダル、そして頭の上には浅い帽子がちょこんと乗ったあの姿。
「怪我ならもう治っとるわっ!!」
「完全に治るまでは治ってるとはいえません! 人間ならばまだ治りません!」
「無茶苦茶な事を言うなっ!」
調度品を突き飛ばし、飾り鎧を蹴り倒し、相当値が張りそうな花瓶を投げ飛ばして魔王が走れば、それを飛び越え、踏みつけ、叩き割りながら追う薄笑いの少女。
その手には……、
「サタン様! 大人しく私の愛(治療)を受けてくださいませ〜〜〜〜!!」
通常ではマジ有り得ないどでかい注射器。
ぶっとい針がなにやら液体を滴らせつつ、彼女の瞳と同じくらいヤバく怪しく輝いていた。
魔王が逃げながら絶望的な表情で声を張り上げる。
「注射は嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「…………」
「〜♪」
響く高笑いと怒声、不調和音の大音響。
階段の手すりにもたれ、青年はそれらを眺めていた。
黄金の鎧と腰に履いた一振りの剣。
涼しい風が光沢のある黒髪を揺らす。
「何なの? あれ」
「何でもこの前の怪我の治療で注射を打つそうですわ」
「ふぅ〜ん……」
隣に問えばそんな答え。
勇者ラグナスがちらりと斜め上を見やると、金色長髪の幼い魔女が楽しげな笑みを浮かべている。
「あの注射器の大きさは?」
「さぁ……意味はないのではなくて?」
視線を戻せば浮かび上がる疑問。
そして答え。
視界の先では魔王が捕まるまいと何処から持ってきたのか大きなタンスを盾に汗を流し、爪を立てて全身を逆立て、縦長の瞳孔で猫のように威嚇。
しかしその抵抗をものともせず、少女は一目睨んだ後重厚なタンスを躊躇なく豪快に蹴り壊した。
中身が大理石の床にばら撒かれ、再び走り出す二人。
引き続き無茶苦茶なオーケストラが奏でられるホール内。
それはまるで……、
「喜劇、だね」
「喜劇ですわ」
「…………」
勇者がもう一度黒目がちの瞳を魔女に向け、そしてまた問う。
「まさかとは思うけど、中の薬に細工とかしてないよね? ウィッチ」
「あら、あの注射自体が私の作だという選択肢はないんですの?」
「君のなの?」
「……さぁ?」
手すりに腰掛け方膝を立てたままくすくすと笑う魔女っ子ウィッチ。
まるでお祭のような騒ぎの中ここだけは楽観。
ラグナスは溜息を吐き、
「あ、あ、あっ、お待ち下さいサタン様、ルルー様っ!! サタン様、安静にしてなくてはダメです! 僕が先生に叱られるぅ〜〜〜〜っ!!」
別の声に目を向ける。
階段の上には長身細躯の男。
肩までの白い髪を高く結び、白衣を着た眼鏡の青年は、おっとりした水色の瞳を潤ませてわたわたしている。
魔族と人間が共存を望むこの地区において、その名を知らない者はまず居ない。魔界の名医リモンの助手であり、おとぼけ名助手医の異名を持つ男、カラドリオス。
どうやら上司の命令で様子を見に来て騒動に巻き込まれたらしい彼。
――大変だなぁ、彼も。
響き続ける調度品達の抗議の声。
塔の中を散らかし続ける魔王と女王の口元には微かな微笑み。
それを笑顔で見守る魔女っ子。
普段のんびり屋な助手医が両腕を振り回しながら魔王と女王を追う姿に同情しつつ、
「どうしたものかなぁ……」
さっきまでの平穏が失われ足の踏み場もなくなったホールの、無残で憐れな姿が悪化していくのを眺めながら、ラグナスは目の前で繰り広げられている楽しげな追いかけっこを止めるべきかどうかと考え込んでいた。
この地は今日も、平和そのもの。
THE END
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