日記掌編

No 10. おばあちゃんは魔女


 傾き始めた太陽が恵み深い輝きを惜しげもなく、高く聳える塔に注ぐ。
 冬の終わりを愛おしげに見送る極彩色の風が、通り過ぎていった午後の時。

「ご紹介しますわ、おばあちゃん。こちら、今お付き合いしてる……」
「ラグナス・ビシャシといいます。初めまして、ウィッシュさん」

 アンティークの調度品が並ぶ石造りの部屋。
 針葉樹の頂が、目線よりも低い位置で覗く吹き抜けの窓から射す光は清澄な彩り。部屋を鮮やかに満たしていくそれらを横目に、ウィッシュは呆然と立ち尽くしていた。

「にわかには信じられないと思いますけど、こう見えてもラグナスさんは勇者なんですのよ。それも異世界の。いろんな世界のいろんな国を旅して、これまでに幾つもの騒乱を鎮めてきたんですの」

 目の前では目に入れても痛くないほど可愛い孫娘が、くるくると嬉しそうに多弁をふるっている。

「ウィッチぃ、こう見えてもっていうのはちょっと酷くないかい? 一応俺的にはしゃんとしてるつもりなんだけど?」

 隣を見やれば見ず知らずの……青年というには幼く、少年というには大人びた風貌の、なんとも曖昧な青少年。

「あら、でも外見的に……ねえ」
「ねえって言われても」

 ……これは一体どういうことなのだろうか。
 熾る眩暈を必死に堪える。
 
 
 魔女がたった一人で住まう塔。その門をウィッチが叩いたのは数分前であった。
 久々に見る孫の顔。喜々として出迎えたウィッシュだが、まさか客を連れて来ているとは思わなかったのだ。しかも男。しかも彼氏。

「ウィッシュさんのことは、かねがねウィッチから伺ってます。俺、まだ未熟で、魔女一族のこともよく知らないんですけど……。だから色々教えて頂きたくて」
「もし、このまま結婚ということになると、ラグナスさんは婿養子、ということになるかもしれませんでしょう? ですからおばあちゃんには少しでも早く、ラグナスさんのことを知って欲しくて参りましたわ」
 
 婿養子とはまた突飛な。

 照れたように頭を掻く男に、金色の長い髪を揺らして頬を赤らめながらも寄り添う少女。
 青い瞳を輝かせ、誇らしげに話をする可愛い孫娘。
 ウィッシュの中で、今迄築きあげてきたウィッチとの思い出が駆け巡っていき、ああ、これを走馬灯と表現するのかと理解する。
 いつもおばあちゃんおばあちゃんと後を付いて回っていたウィッチ。魔女一族期待の星であり、ウィッシュの誇れる宝。しかし思い出は脆くも崩れ去り、突きつけられたのは何処の馬の骨とも知れない若造にまだ幼い孫が奪われるという現実。
 
 あまりにも突然であまりにも早急すぎる。
 だいたい、ウィッチはまだ十三ではないか。これから様々な経験を積み、ゆっくりと大人になっていく筈なのである。それを行き成り結婚、婿養子ときたもんだ。
 オマケに相手は異界の勇者を名乗る年齢不詳。
 一体何処の夢遊病患者か。
 
 体の奥底で波打つ蟠りを感じながらも、ウィッシュはウィッチの隣に並ぶ青少年をまじまじと見つめた。

 艶のある柔らかそうな黒髪。少女を見つめる黒目がちな瞳は優しげで、それでいてどこか愁いめいていた。すっきりと精悍な顔立ちに、見え隠れする強い意志。茶色のセーターと黒のスラックスに包まれた痩躯は、一見すると長閑な村の若者。だが、腰に佩いた剣が強烈な存在感をもっていかにもそれらしく、長閑村なイメージを否定している。

 好青年。

 確かに印象としては悪くはない。
 しかし尚更人の良さそうな物腰と表情が、一度不信感を抱いた者の神経を逆撫でしてしまうこともあるようで。
 
「おばあちゃん、どうかしまして?」
「ラグナスさんは勇者、とおっしゃいましたね。異世界の」

 長い銀色の髪に光が弾ける。
 ウィッチの問いに答えず、ウィッシュが二十代半ばにも満たないような若く美しい相貌に、六十を超えた老成の微笑みを乗せた。
 目は笑っていないが。

 何かを感じ取ったのか、ラグナスは少し戸惑ったように眉を寄せ、されど頷く。

「は、はい。ガイアースと呼ばれる世界から来ました」
「時空を越えることができる?」
「えぇ、まぁ……」

 そうですか、とウィッシュは考えるように顎に手をやり、そして視線を戻した。

「それでは見せていただきましょう」

 にっこりと本物の笑顔。

「ここから飛び降りてください。今直ぐに」

 びしっと硝子のない窓を指す。
 口をぽかんと開け、呆気に取られるラグナスとウィッチ。
 
「え、ええええ、それは無理ですよ! 小説や物語りの世界じゃないんですから、高い所から飛び降りたからって時空を越えられるわけじゃ……っ」
「そ、そうですわよ! 幾らなんでもそれは!」
「冗談です」

 止まった時間を暫く堪能した後、大声量で抗議する二人の声をウィッシュは詰まらなそうに跳ね除ける。

「失敗したら死んでしまいますものねぇ。それくらいでくたばられては困ります」

 わざとらしく言いながらしずしず歩く。
 人差し指をくるくると、楽しげな声で大魔女は、

「今後、ラグナスさんがウィッチに相応しい人かどうか、色々験させていただきます」

 すれ違う花婿候補と祖母姑。

「魔女の修行は厳しいですよ。今日から宜しくお願いしますね。婿殿・・」

 妖艶な笑いを残して部屋から出て行く。
 



 扉が開かれ、閉じる音。
 呆然と目で追っていた白い後姿が木扉の向こうに消え、取り残されたのは青年と少女。
 二人は顔を見合わせ、

「俺、何か悪い事したかな?」
「さ、さぁ?」




 ラグナスの壮絶なる花婿修行が、ここから始まる。
 ……たぶん。


 THE END


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