このページを見るにはMIDIプラグインが必要です。 「遅い……」 これで一体何度目だろうか。椅子に深く腰掛け、ドッペルシェゾは腕を組んだまま明らかに不機嫌な声をもらした。目の前には空っぽになったまま放置されたジョッキが一つ。 「そうカリカリしていても仕方がないんじゃない」 肘をつきテーブルの一点を眺め、本日何杯目かのリンゴジュースをストローでかき回しながら、ドッペルアルルは彼を宥める。こういうやりとりも実に……何度目だったろうか。 赤い煉瓦の壁や木製円テーブルのランプには灯が点り、時間を追う毎に人口密度は高くなっていく。一仕事終えた屈強な男達が泡をまき散らしてジョッキを交わし、あちらこちらでゲームが始まる。向うのテーブルでは冒険者の一団らしき者達が地図を広げてうんうん唸り、別のテーブルには凄まじい勢いで料理を平らげ皿の山を作る者。その喧騒もなんのその、カウンターには二人の世界な男と女。 「だが約束の時間をとっくに過ぎているぞ」 「まぁ、あの二人だしいつものこと」 宿屋の一階に設けられた食堂酒場。笑い声と怒鳴り声が飛び交うそこの熱気は、既に殺気の一歩手前。今もそこでどつき合いが殴り合いに発展しようとしている。 周りが夜の活気に酔っていく中、しかし待ち人は現れず。このテーブルだけが場違いに冷めていた。 「しかし、現地集合で遅れてきたかと思えばさっさと観光とは呑気なもんだ」 「真底自由人だからね、あの二人。想定の内」 「その上約束の時間は守らない。通信水晶は音信不通。何の為に此処まで来たと思って……」 「サタンのパシリ」 「…………」 男が二人、宿の亭主につまみ出された。目で追いながら氷をカラカラ言わせ、平坦に言うドッペルアルル。ドッペルシェゾは憮然と紅い目を細め、 「酒追加!! とびきりきついヤツをっ」 「あ、そろそろ浄化時かな」 大声をあげる。 自暴自棄な彼をよそに、ドッペルアルルは胸元の鎖を引っ張り出し、黒水晶をランプに照らして呟いていた。 「最近淀んでいるよ。もう少し気を楽にした方がいい」 炎の緋を背負い、振り子となった黒い石を眺めながら言う。この尽きることを知らない灯光さえ取り込んでしまいそうな、深々とした黒。 「そうは言ってもな……」 「こんなふうに四人で遠出することも滅多にないじゃない。好い機会だし、楽しまないと損だよ」 「遊びに来たわけじゃないんだが」 運ばれてきた地酒をグラスに注ぎながら、斜めに降ってくる溜息混じりの声。 瓶が置かれた乾いた音。 「お前も大変だな。いつも飼い主に置いてけぼり喰らって」 声は違う方に投げかけられた。 頬杖をついた彼の目線の先、カーバンクルが特盛りカレーを頬張りながら首を傾げている。 「ディーシェ……」 「それとも、アイツらの惚気に嫌気がさして逃げてきたのか。市場でうろついているのを見た時は何事かと思ったが」 楽しい表情のドッペルシェゾに目の間を突っつかれ、カーバンクルは怒りの声をあげて短い手を振り回しながら反抗している。 ドッペルアルルが苦笑を浮かべて見ていると、 「ぐー! ぐぐぐぐぐぐー!! ぐぐーっ!!!」 けたたましく啼き、カーバンクルはぷんすかと食事に戻った。順番待ちの次の皿へ。 一瞬目を丸く、ドッペルアルルはそして噴き出す。 「……なんだ?」 訳が分からず訊いてくるドッペルシェゾ。ドッペルアルルは彼の方へと身を寄せ、 「『文句を言うくらいなら意地を張らなければいいんだ。八つ当たりは止めて欲しい』だって」 「…………」 「言われたね」 「…………」 見ると、彼はばつが悪そうにそっぽを向き、グラスを煽った。 「用心するに越したことはないけれど、しすぎはよくないよ。サタンだって、単に気を遣ってくれただけかもしれない」 「だといいがな……」 「頼まれたのだって魔導具の回収でしょう? あとついでに治安調査。大したことじゃない」 「大したことのない内容だからこそ、このメンバーというのが不安なんだろうが」 「まぁ、言いたいことは分るけどね。でも無難に終わる可能性もあるわけだし、一時の休息と捉えてもいいはずだよ」 何の変哲もなく平和な街。その片辺。 遠くを見ていた紅い瞳が彼女に向かう。 「……なに?」 じっと見つめられ、ドッペルアルルは小さく首を傾げる。 耳元を過ぎるのはいよいよ白熱していく酒場の空気。 ドッペルシェゾが口を開いた。 「お前も随分楽観的になったな」 苦笑い。 「楽観的?」 「あぁ」 少し考え、 「そうかもね」 ドッペルアルルはふっと笑う。 「余裕があるからかな」 「余裕?」 「うん」 決して広いとは言えない店内を眺める。 緋色の暖かさが照らす下。他愛なく話し冗談を言って笑い合う。たった一言の波紋に追い立てられては、食い違う思想をぶつけ合い、ぶつかり合う。互いを知らぬ間に認めてうち解ける。 この非合理の中でさえ、 「以前の私なら異質と孤独を感じていただろうね」 未だ瞼の裏に焼き付いている、そこに在る理由を求め戦いを求めた己の姿。手のひらで疼くのは失望の残滓。 「あの時と同じなんだよ。二人で、旅をしていた時と」 瞼を開けば眩しすぎる遠景。目を細める。 世界は変わらず彼女を置き去りに流れてゆく。 「何も怖くなかった。君を失ってしまうんじゃないか、って、そう考える事以外は」 しかし見つめた先には、自分を理解し自分を理解させてくれた人。何も言わず見返してくる紅。 鎮まることなく、溢れんばかりに込み上げる胸の痛みと苦しさ、渇き、震える躰。全ての意味を、言葉を教えてくれた。 「今はそれさえも怖くない」 細い鎖を指に絡めて弄ぶ。 ドッペルシェゾが目を伏せた。 「君を信じているから。君を知った瞬間から、私は異質でも孤独でもなくなった。今私が此処に在るのは、ディーシェ、君が傍に居るから、だ」 静穏をくれた欠片の漆黒。闇とは違うそれを、何と呼ぶかは人の勝手。 ドッペルアルルは胸に手をあてる。 「この魂は君がくれたもの。私は君を、君がくれた力を信じている」 眼差し強く。口元に穏やかな笑みを湛えて。 ドッペルシェゾは天井を見上げた。 「出逢った頃は無知そのものだったのにな」 いつの間にか饒舌になった。 感慨深げに呟いて溜息を吐く。 「俺も信じよう、ディーア。お前から譲り受けたこの命を、この力を。そしてお前に導かれ得た、仲間を」 喩えこれから先、何が起ろうとも。 紅眼が向けられ硬い表情が綻んだ。 互い、グラスを掲げ突き合わせる。 「ぐー、ぐぐぐー!」 カーバンクルがくるりと振り返りスプーンを振った。ドッペルアルルがそちらを見れば、同じくドッペルシェゾもそちらに目をやり、 「『それでよし!』だって」 声を立てて笑う。 「浄化、どうする?」 「あぁ頼む」 ひとしきり笑った後、黒水晶をちらつかせて言えば淀みない微笑。 ドッペルアルルがペンダントをしまっていると、 「ディーア」 呼ばれ、彼へと向かう。 穏やかな真摯と目が合った。 酒に酔うように、五感を奪う紅の瞳。 手が伸ばされ、戸鈴の音、迷った手が頬に触れ、 「……後でな」 離れた。 「あ、いたいた!」 何を気にしているのか。苦笑していると、甲高い声。 振り返れば人やテーブルの間を縫って駆けてくる少女。と、彼女の後ろを悠然と歩いて来る男。 「ごめんごめん、待った?」 「遅いぞ、お前ら」 「あー、すまんすまん、悪かったな。と、」 「あ! カーくんこんな所にいたんだ!? 探したんだよー」 「ぐー!」 「カー公、こんな所にいたのか」 「貴様……全然悪いと思っていないだろっ」 「Dアルルがカーくん見付けてくれたんだね、ありがとう」 「ん、」 「何だよ、謝ってるだろうが一応」 「棒読みが謝った事になるか!? こっちは何時間も待ったうえに連絡も、」 「あ、すまん。水晶荷物の中だ」 「…………おい」 灯火が明るさを増した錯覚を覚えるほど賑やかになる。 「おや? アルル、それ」 暗い空気を背負って突っ伏しているドッペルシェゾを横目に、まじまじと見る。 青い装具の頭冠についた、装飾。今朝まではつけていなかったはずの。 「あ、これ? シェゾに買ってもらったんだ」 「ほぅ、どれ……」 隣に座り嬉しそうなアルル。 いつの間に復活したのか。興味が湧いたらしく、身を乗り出した腕が伸ばされる。 シェゾが睨むからやめておいた方がいいのに。思うものの口には出さないでいると、ドッペルシェゾの手が装飾に触れる前にひたりと止まり、 「アクアマリンだな。天然の」 引っ込んだ。 「解るんだ? 流石、生きた宝石鑑定機」 「あぁ、ってあのなぁ……」 「へ〜、アクアマリンだったんだ」 「ちょっと待て。天然石?」 運ばれてきたジュースのストローをアルルは咥え、シェゾは口に運ぼうとしていたジョッキの手を止めた。 ドッペルシェゾがシェゾへ振り返る。 「あぁ。なかなかに強い力を感じるが、天然石だ。間違いない。人工的に力が付加されずしてここまでのものは珍しいがな。護符としてもかなり上のランクをいくんじゃないのか。文字通り掘り出し物、というわけだ。婚約指輪代わりにしても高価値のおまけ付きだぞ、良かったな、アルル」 軽い調子で言うドッペルシェゾ。 アルルはグラスを持ったままきょとんと彼を見ている。 シェゾが大きく溜息を吐いた。組んだ手に額を押しつけて。 アルルがシェゾへと身を乗り出す。 「どういうこと?」 「いや、別に普通に護符として買ったんだが。……いいか、よく考えてみろ。魔道具屋に天然石、つまり何の手も加えられていない自然石が置いてあると思うか?」 「あ、そっか」 アルルが気付いた声を上げる。 ドッペルアルルは目を細めた。 「知っていると思うが、一般的に魔道具屋でアミュレットとして売られている石は、人工的に強化されたものだ。天然石にもそれなりの守護力はあるが、実戦向けのアミュレットにするには弱すぎるからな。そこで魔力を上乗せして守護力を増幅するわけだ、が、どうやらそいつは自然体でそれらのアミュレットと同等の……いや、それらの中でも格段に強い魔力を有するらしい。で、ドッペルシェゾ、お前このテのヤツを何度見たことがある?」 シェゾに問われ、ドッペルシェゾがにやりと笑う。上機嫌。 「二度、会ったことがある。運が良かった。今もだがな」 ドッペルアルルはふと振り返る。戸惑ったアルルと目が合った。 それはそうだ。彼女が買ってもらったアミュレット――の、アクアマリンだが――世界の魔道具事典に載っていてもおかしくない代物かもしれないのだ。 持ち主を呪い、数々の不幸を振りまいて歴史から姿を消したといわれる、かのブルーダイヤモンド。もしかしたら、それらの伝説と同じ項目に名を連ねることができるかもしれない代物。 名があれば、の話だが。 ドッペルシェゾの声が続く。 「尤も、そいつが本領を発揮するのは主を守る時だ。その時になって、どれだけの力を発揮するのかまでは予測できん。まぁ、さっきも言った通り、かなり強めの護符、と考えていいだろう。弾かれるなよ、シェゾ」 「……煩い。俺も一瞬それ考えたんだ」 不純なものが交じっていない分、石は何処までも純粋で敏感。 声をしぼませるシェゾ。 「随分弱気だな、おい。テメェの誕生石に嫌われたらそれこそお終いだろうに……」 本気で困ったらしく、ドッペルシェゾは苦り切った笑い。 確かに。自分の誕生石、しかも自分が買ってやったものにまで"邪悪"と見なされて嫌われ、その上アルルに近付けてもらえなくなったりしたら、幾ら運気ゼロの闇の魔導師といえどもそれこそ……憐れだ。 「まぁ頑張れ」 「…………」 ――てめぇ、楽しんでるだろ、ドッペルアルル。 ぐっと親指を立てて励ましてやれば、そんな冷めた目で睨まれる。 ……失礼な。何を解り切ったことを。 「とは言ったものの、今のままでは力を十分に発揮することはできない」 ドッペルシェゾがぽんっと頭に手を乗せてきた。 「見たところ随分くたびれているな、そのアクアマリン。混乱してもいるようだ。そこでだ、そいつにちゃんと働いてもらう前に、やるべき事がある」 「浄化リセットと刻印プログラミング……」 言葉は無意識のうちに滑り落ちている。 ドッペルアルルは顔をあげた。 「天然石は、多くの人の手に委ねられながら各地を渡り歩き、或いは時を越えて、持つべき者の元へと流れ着く。その過程で、様々な気を吸収してしまうんだ。マイナスな気を吸収した石は穢れ、疲れ、そして淀んでいく。だから、清め誰が持ち主なのかを認識させる必要がある。それが浄化と刻印……」 言い終えぬうちに、ドッペルシェゾを盗み見てしまう。 彼は、説明を彼女に任せ、頬杖をついてアルルとシェゾを眺めていた。 片手は頭に乗せられたまま。 「なに赤くなってるんだよ、お前」 「……別に」 シェゾに突っ込まれ、思わずそっぽを向く。 昔の事を思い出しただけだ。 「それで、どうやるの? それ」 アルルが首を傾げる。 「うん。流水にさらしたり塩で清めたり、月の光に当てたり……後はハーブを焚いた煙でいぶしたり、かな。普通は」 「普通は?」 妙なところに反応してくるシェゾは無視。 「今日は丁度満月だし、月光浴が良いかもしれない。浄化が完了したら――浄化されたと感じたら、願いと労りを込めて話しかけてあげるといい。それで君の事を持主と認めてくれるはずだよ」 大切なのは心を通わせること。 言葉を切ると、考えるような沈黙。 痺れを切らしたようにシェゾが問う。 「どうするんだ? やるのか?」 「う〜ん、でも石の力が強すぎると、シェゾも弾かれちゃうかもしれないんだよね?」 俯き考え込むアルル。 と、 「お前も手伝ってやればいいだろう」 ドッペルシェゾ。 彼の視線はシェゾに向けられている。 「お前も立ち会ってやればいい。石は持主を選ぶ。お前がそいつを買い、それをアルルが身につけている……これも何かの縁だろう。もしかしたら二人とも主と認めてくれるかもしれんぞ」 手をついて立ち上がる。 アルルとシェゾは顔を見合わせていた。 周りの喧騒は、いつの間にか鎮火している。見れば、あちらこちらに転がる酔潰れ。 「さて、そろそろ部屋へ戻るぞ、ディーア」 「あ、うん」 差し出された手を取り、ドッペルアルルも立ち上がる。 アルルは何か言いたげに、シェゾはどこか複雑そうにこちらを見ている。 しばし間があり、 「実を言うと、ちょっとした手違いがあってな。まぁ丁度良かったかもしれん」 言いにくそうに声を低めながら、ドッペルシェゾは懐から鍵を取り出し、シェゾの前へ投げた。 「三部屋取ることができなかった。お前達も二人部屋な」 そしてにっこりと笑った。 声にならない愕然が、その場の空気を支配した。 --------------------------------------------- かつて、彼女は自らの魔力を与えて彼を救った。 かつて、彼は自らの命を賭けて彼女を護った。 失いたくないと願った口付け。 二度と離すまいと誓った抱擁。 それが互い、浄化と刻印のプロセスであることなど、その時は知る由もなく……。 End
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