天井には煌々と輝く光の球。棚に並んだ薬品や薬草の混ざった匂いが、空調の魔導でも掛けられているのか、ほどよく保たれた室温に染みこんでいる。綺麗に整列した本棚に、隙なく収められているのは魔導書。アクセサリー形に加工された護呪符が硝子ケースを埋め尽くし、吊り下げられた籠には巻物や色とりどりの石が詰め込まれ。側には武器の陳列台。
シェゾはその前で、さっきから手に持った剣とにらめっこしていた。
刃の表と裏を交互に見てみたり、水平にして光に照らしてみたり、鞘に収めては抜いてみたり。本人にはそれなりの目的があるのだろうが、端から見れば怪しいことこの上ない。
「まさかそれ、有名な魔剣だとかいうんじゃないよね」
アルルが溜息を押し殺して訊けば、
「まさか。そんなモノがこんなところに転がっているわけないだろう」
鏡のように滑らかな剣身から目を離さないまま言ってくる。
カウンターの中から、無言の店員が白い目線を送ってきた。
どこの街にでも一軒はある魔道具屋。街に着いたら必ず行かなくてはならない。などという決まりはないが、遠出するからにはついつい足を運んでしまうのが魔導師の性、冒険者の性分というものである。
そう勝手に決め込んでいるアルルとシェゾは、街の見物も早々に抜き身の探索心でほとんど貸し切り状態なこの店に居座っていた。
平穏無事の真っ直中。しかしどんな場所にも掘り出し物が眠っている可能性はあるわけで……。現に、目の前の男は物珍しげな目を光らせ口元を緩めている。
「でも、それなりの品ってことでしょ? キミがそこまで興味津々なわけだから」
「まぁな。魔剣や宝剣の類には比べられんが、そこら辺の単純にタリスマンで魔導効果を付加させたものや、強化させたものに比べれば随分良い。ここまで完成されたものは珍しいな」
「うん、確かに珍しいね。キミが何かを褒めるのが。……もしかして買う気?」
「考え中だ」
言って軽く剣を振るう。店員が目を吊り上げて見ているのもお構いなし。気付いているくせに。
アルルは苦笑を浮かべ、
「必要あるの? 闇の剣にヤキモチ焼かれるよ」
「妬かんだろう。アレは」
「でも買ってもどうせ使う気ないでしょ。使ったとしても直ぐ飽きる。最後は魔力奪ってガラクタにするだけじゃない」
「さぁ。どう扱うかは買ってから決める」
「あのねぇ」
額を押さえ、今度こそアルルは溜息を漏らした。
「それって目的のない自己投資……すなわち、衝動買いっていうんだよ」
「アルル」
「なによ」
顔を上げればようやく蒼い瞳が向けられる。氷点下の半目だが。
「お前は俺の女房か何かか」
アルルは一瞬きょとんとし、
「お望みならそうなってあげても良いけど」
「……本気で言ってるのか?」
さらり返すと訝しげに眉根を寄せるシェゾ。アルルは肩を竦めてみせる。
天井では魔導の光が白々と揺れる。
嘆息と共に彼の視線が外された。
「お前は自分の好きなもんでも探してろ」
「全部見終わったから話しかけてるんじゃないか。何時間そうしてる気よ。カーくんもいつの間にかいなくなってるし」
人気の薄い店の中を見回しシェゾを見れば、彼は生返事を返しただけで自分の世界に突入している。
むくれっつらでつぃっと踵を返し、アルルは硝子ショーケースの前にしゃがみこんだ。透明に映る少女の向こうには、輝くアクセサリーの数々。その一点に彼女の目線は吸い込まれる。
「なんだ、そんなのに興味があるのか」
と、降った声に首を巡らせば見下ろす銀髪蒼眼。
前を向く。
「べつにぃ。こういうの一つ持ってたら便利だろうなって思っただけ」
口を尖らせて言い、直ぐに満面の笑みをつくってまた振り返った。
「ね、シェゾ買って」
「はぁ?」
そして向けられる思った通りの呆れ顔。
「なんで俺が」
「だってボク、いつもキミとの勝負に勝ってるけど戦利品とかないじゃない」
「……魔力を対価に力貸しても結局奪わずにいただろうが。それでチャラじゃないのか――、」
アルルの目がだんだん冷たくなっていく。
言いかけ、はっと思い出したようにシェゾは口元を押さえる。
「へ〜、そうだったんだぁ」
ジト目で見れば、落ち着かず逸らされた蒼。
「まさか忘れてたわけじゃないだろうけど。それじゃあ、どのみちキミはボクの願いを叶える権利があるよね」
「…………」
「あれも立派な"貸し"でしょ。なんせボクは大事な――、」
「だ、だからあれは、だな、その……、う……」
沈黙。
真っ直ぐ見上げる少女と、狼狽え汗を流す男。
しばし動かずそして、
「わぁったよ。分ったからもう何も言うな」
肩を落とし、ぽっきりとシェゾが折れた。
内心にやりとアルルが笑う。
「で、何が欲しいんだ?」
「これ、この手前のやつ」
覗き込まれ、アルルは嬉々と指さすと、硝子にぺったり指をつけてそれに見入る。
蒼い石の周りをクリスタルが飾るアミュレット。煌びやかな装飾達の中で、待ち望んでいたように自己主張するそれは、一目で少女の心を捉えて離そうとしない。見つめるアルルの瞳も同じように輝いている。
女ってなんでこんなもの欲しがるんだ。愚痴を溢しながらもシェゾの気配が遠のき、店員を呼ぶ声。駆け足の足音の後、二言三言話す声が流れ、
「失礼します」
茶色の長い髪を纏めて肩に垂らした眼鏡の店員が、慣れた手つきで硝子ケースを開け、アミュレットをアルルに手渡した。予想する事さえ忘れていた冷たさが手のひらに乗り、一層輝きを強くする。思わず感嘆の溜息が漏れた。
「それでいいんだろ?」
手の中の感触から顔を上げると、柔らかい笑み。
アルルはこれでもかというくらいに表情全体で悦ぶ。
「これ、いくらだ?」
店員へと向かうシェゾ。店員はアルルに負けず劣らず朗らかに笑い。
「83万Gになります」
シェゾが剣を落とした。
「…………」
何やら喚いている店員を余所に、汗をかきかきアルルは手元を見つめた。次に隣でこめかみを押さえているシェゾを見上げる。
「無理、しなくていいよ」
乾き引きつった声。ついでに笑顔もカチコチに凍り付いている。
まるで爆発物でも持たされたかのような慎重さで、小さな大物を戻そうとする。
が、その手首が横合いから掴まれた。目で辿ると男魔導師の横顔。彼はすっと前を見据え、
「その値に見合う価値はあるんだろうな」
低い問いかけ。
拾い上げた剣を大事そうに撫でながら、店員が眼鏡を光らせた。
「こちらとてプロですよ。価値のないものに値段なんてつけません」
固まっているアルルをちらりと見やり、
「価値は、十分だと思いますが?」
その奥にはネコ科の動物を思わせる紫の瞳。気紛れで意地悪な縦長の瞳。しかし嘘はつかない魔族の目。彼は冗談っぽく、寧ろ価値がありすぎて値段なんてつけられませんね、と笑う。
答えに満足したのか、頷いたシェゾが動く。
「あ、シェゾ!」
アルルの手からはいつの間にかアミュレットが消えていた。彼女は慌ててシェゾの服をわし掴む。斜めに顔が向けられ、
「い、いいよ! お金、そんなに持ってないでしょ!?」
背を向けて剣を戻しカウンターへと向かう店員を視界の隅に、アルルは声を殺して悲鳴じみた叫びをあげる。
「いや、なんとか足りる程度には」
「え、本当? ――じゃなくて、それじゃ剣はどうするのさ!?」
「諦める」
「あ、諦めるって……!!」
目を潤ませて動揺するアルルにきっぱりと言い置き、シェゾは店員の後を追う。後ろ姿を眺めながら、アルルは目眩を感じて本棚に寄りかかった。カウンターでのやりとりがしばらく続き、シェゾが戻ってくる。
「ほれ、アルル」
「……本当に、よかったのに」
指で招かれ、よたよた近付き暗い顔を向ける。シェゾの手が伸びてき、
「買ってやるって言ったからな」
髪に触れる。
「でもこんなに高いものだとは思わなかったし、もっと安いのでも、」
「これが一番欲しかったんだろう?」
「そ、そうだけど」
「男に二言はない」
両肩を掴まれ姿見へと向かされる。
「似合ってるから良いんじゃないのか」
――頭冠で輝くアミュレット。
小さくも誇らしげな光彩。
「…………」
思わず口元が緩む。
「ありがとう、シェゾ」
素直に呟くと、鏡の中で彼が満足げに微笑った。
「でもこれでボクの方に借りができちゃったみたいね」
「そうか?」
名残惜しい苦笑いで彼を見ると、考えてなかったのか意外そうな顔。
「だって、ボクこんなのもらえるとは思ってなかったし」
「俺もこれくらいで許して貰えるとは思っていなかったんだが」
ふと、シェゾが思いついたように。
「ってことは、あまり気にしてなかったってことか?」
「え?」
心底不思議そうに訊ねられ、アルルは思わず口ごもった。俯いた顔に微か、赤味がさす。
「いや、気にしてないわけじゃないけど……、てか気にならないわけないんだけど……」
「ほぉ〜、そうか……」
前を見れば後ろの彼と目が合う。何故か薄い表情で相づちを打ってきた。
肩に乗せられていた手が離れ、
「ならこれで貸し借りナシだな」
「はい?」
「正直、これくらいの代償じゃ足りないと思っていたんだが、まぁお前がいいならそういうことにしておこう」
「え、ちょ、シェゾ?」
鏡から彼の姿が消える。
見れば、勝手に納得している背中にぶちあたる。
「これからは対等。遠慮なんぞしねぇから覚悟しておけよ」
肩越しに振り向いた顔が不敵に口端を吊り上げる。
わけの分らない寒気に襲われ、アルルは一歩後ずさり。
「さて、カー公探してから宿に戻るぞ、アルル」
喉の奥で笑い、シェゾが歩き出した。
呆然と立ち尽くしたアルルは、
「しぇ、シェゾ!? ちょっとソレどーゆー意味っ!?」
一抹危機を感じながらもシェゾを追いかけて店を出る。
「ありがとーございましたー」
二人の背中を、店員のにこやかな笑顔が見送っていた。
Fin
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