Waltz


「あ、音楽が……」
 ホールから漏れ聞こえていた音楽が止み、再び流れ出す。
 呟きと共にウィッチは足を止めた。
 普段とは違い、来客用にしつらえた赤カーペットの階段。今し方降りてきたそこを仰ぎ見る。
「ダンスが始まったみたいだね」
 同じく、オーケストラの曲が変わったのを聞いたラグナスが踊場から見上げてきた。
「みなさんお楽しみのようですわね」
「そうだね」
 見下ろして肩をすくめると向けられる微笑。
「ウィッチは、踊らなくて良かったの?」
 しかしややあって聞いてくる。生真面目な表情をわずかに曇らせて。

 燭台の薄い灯りが足元に影を落とさせる塔の石段。
 吹き抜けた窓の外は宵の口と月明かり。
「え、あ、わっ、わたくしは別に踊りたくないんですのっ。お店もあって疲れていますしっ」
「そう? でも誰かに誘われたりとかしてたんじゃない?」
「ま、まあそういうお誘いは後を絶ちませんけど。わたくしは安い女じゃありませんもの、片っ端からお断りさせていただいてますわお〜ほほほほ」
 肌寒い静寂に包まれたそこで、二人の声以外に聞こえるものはなく、二人の声を聞く者も多分いない。
「つまりそれって、一緒に踊りたい人がいないってことかな」
「そういう理由もありますわね」
 段差を気遣ってか差伸べられた手。自然と重ねて一段一段下りていく。
「俺とじゃ踊ってみる気にはならない、かな」
 あと一段、という所で足元にあった注意は目の前の青年へと向けられ、答えたのは調子の外れた声。
「はい?」
「いや、だから、ちょっとだけ踊ってみないかなって」
「…………」
「…………」
「ここで、ですの?」
 呆気に取られた表情で汗を滲ませるウィッチ。
 冗談だよと彼が笑うのを待つも、
「うん」
 少しだけ瞳の奥を迷わせ、予想を裏切った肯定。
「お、音楽がないのに踊りましても、」
「さっきから十分に聞こえてるけど」
「ここでは風が強い――」
「吹いてない」
「足場が狭くありませんっ!?」
「ほら、ここの踊場、結構広いよ」
「あぅ……」
 ことごとく交わされて言葉に詰まる。
「さ、さすが勇者様。こっちの受け流しも一流ですのね……」
「あの、ウィッチ?」
「は、はいっ」
「やっぱり俺じゃ相手にならない?」
 一段上にいても追いつかない身長差。灯火に揺れる影よりも黒く深い瞳に見つめられ、焦りと迷いだけが募っていく。
 手袋越しに伝わるのは重ねた手の大きさ。自分の中に騒がしい律動が響き、彼の姿とその音に目の奥が占められていく。
 ウィッチの細い喉がコクリと動き、
「どうしても、というのでしたら」
 言ってしまっていた。
 はっとして口元を抑えるも、もう遅い。手はさっきよりも強く握られ、はしゃぐ子犬を思わせる笑顔が一つ。
「ほんとに? よかった」
「あ、あのっ、ラグナスさん」
「久しぶりだから上手く踊れるかわからないけど、構わない?」
「え、あの、ちょっ」
 手を引かれ、腰を抱き寄せられ、ふわりと踊場へ降ろされる。
 思わずしがみつき、恐る恐る視線をずらせば優しい微笑み。今までで一番近い距離に体が一瞬で石になる。
「ご、ごごごめんなさいラグナスさん! わたくし、踊れませんの! 踊ったことがないんですのーーーっ!!」
 激しい目眩に襲われて白状すれば、呆気に取られた顔。
「あれ、そう、だったの?」
「はい」
 同じく呆気に取られた問いに、消え入りそうな声でうつむく。
(カッコ悪いですわ)
 知られざる英雄である祖母の孫として、気高き魔女の一族として、大人にも負けないように、誰にも馬鹿にされないようにと意地を張ってきた。
 しかしそれで経験の浅さを補えるはずもなく。今はただ、"笑われるのが怖い"という恐れのみ。
「そっか」
 ラグナスの声が耳に入り目を伏せる。
 目頭が熱く濡れる。
「じゃあ、ゆっくり踊るから俺の動きに付いてきて」
「え?」
 顔を上げれば変わらない表情。幻滅することも嗤うこともしない真っ直ぐな瞳。
 見とれていると体を引かれて慌てる。
「ま、待ってくださいっ」
「大丈夫。ほら、力を抜いて」
 慣れた足取りでたゆたう旋律に乗るラグナス。やや引っ張られるようウィッチはちょこちょことついていく。
「う〜……」
「気にしない気にしない。初めはみんな上手く踊れないものだから」
「でも、足を踏んづけてしまいそうで怖いですわ」
「意識すると余計に足がもつれるよ。怖がらないで。今は俺についてきて」
 春風を思わせる柔らかい声も、今は壁を伝い響いてくる調べの一部。
 一、二、三とゆったり流れる音に合わせて進んでは止まり、進んでは止まり。止まっては一転、体を入れ替えてまた進む。
 二人の軌道がゆるゆると、だが確かな弧を描く。
 塔の壁がぐるぐる回る。
「ほら、周り見てると目が回るだろう。こっちを見て」
「なんだか恥ずかしい、ですわ」
「いつもはちゃんと目を見て話してくれるのに」
「わ、わかってますわよぉ」
 だっていつもと違うんですもの。
 着ている服も、雰囲気も、触れ合う距離も。なにもかも。
 心の中で一人ごちながら睨むと、にっこりと得意げな笑み。
「そうそう、その調子」
「もぅ、なんだか悔しいですわ。いつもは薬草とかこっちの道具の効能とか教えている方ですのに」
「俺にもウィッチに勝てる部分があるなんて、意外意外」
「キーッ、調子に乗るんじゃありませんわ!」
 あはは、とラグナスが笑う。つられてウィッチも噴き出す。
 肩から力が抜けた。視線を落として右左、足元を確かめたあと彼を追って歩調を合わせる。
「でも少しだけ慣れてきた気がしますわ」
 まだたどたどしくて不器用なステップ。それでもなんとかついて行けていると思う。
 うん、と彼女を見返して彼も頷いていた。
「ウィッチって本当に踊ったことないの?」
「どうしてですの?」
「ん、実際の所どうなのかな、って思って」
 ドレスをはためかせて回り舞う。
 遠心に引っ張られそうな感覚。わずかに陰る恐れに負けず身体を任せていれば、ちゃんと支えてくれる。
「……一度だけ、サタンさまに教えていただいたことが、ありますわ」
 何となく言いにくい言葉を絞り出した。
 歩調が再び穏やかになる。
 そう。小さく言った彼の手が少しだけ強ばったよう。
「サタンほど上手くはないと思うけど」
 言ってはいけないことを言ってしまっただろうか。
 根拠のない罪悪感とは裏腹に、向けられたのは軽い苦笑い。
 安堵と共に、何を勘違いしたのかと頬を紅くする。
「いえ、ラグナスさん。十分、お上手、ですわ」
「そう言ってもらえると助かる」
「ラグナスさんもどなたかに教わったんですの?」
「うん……というより、昔何度か機会があってね、誘われてる内に、かな」
 訊ねると、気恥ずかしそうな視線が逸らされた。
 そう、ですの。答えた声は小さく、胸の奥を何かがちくり。
「小さいラグナスさんって可愛らしかったですものね」
 声は努めて明るく。
「さぞかしお姉様方に可愛がられたんじゃありませんこと?」
「そういうこと言うかなぁ」
 意地悪な響きを含めて言えば心外だという顔。
「きっとそうですわよ。お嬢様お姫様方が放っておかなかったに違いありませんわ」
「そういう風に見える?」
「そういう顔をしてますわ」
「う〜ん」
「ラグナスさんの女ったらし〜」
 一方的に決めつけ、するりと彼の脇をすり抜けると、
「ウィッチ〜〜〜〜〜〜?」
 悪戯をたしなめる声が笑いを含んで追いかけてくる。
 階段を駆け下りてウィッチは振り返った。彼を見上げる。
「ラグナスさんは、どうしてわたくしを誘ったんですの?」
「……何となく、かな」
 わずかな間を置いて返ってくる答え。優しく微笑わらう黒い瞳。
「ウィッチは? どうして俺と踊る気になったの?」
「わたくしも、なんとなく、ですわ」
 そして声をあげて笑い合う。

 月明かりが差し込み淡く炎が揺れる階段。
 重なり響く二人の声を聞く者は、誰もいない。

華車 荵
http://www.yuukyuu.jp
2012年04月25日(水) 02時36分51秒 公開
■この作品の著作権は華車 荵さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 異世界人の前編と後編の間に書く予定だった小話。
 尺の問題で削ったものの、キャッキャウフフするラグウィが書きたかったがために書き上げました(`・ω・´)
 4月中に書けて良かった……。
 ぶっちゃけ主題(テーマ)が行方不明です(´-ω-`)

この作品の感想をお寄せください。
感想記事の投稿は現在ありません。

お名前(必須)
E-Mail(任意)
メッセージ
評価(任意) 点       削除用パス    Cookie 



<<戻る
感想管理PASSWORD
作品編集PASSWORD   編集 削除