異世界人(イセカイビト)【後編】 |
「やっぱり外の空気はいいですわね。風が気持ち良いですわ」 ウィッチの半歩後ろをラグナスが、うん、とか、そうだね、とか相づちを打ちながら歩いてくる。 薄闇が支配する中庭。季節を無視して咲き乱れる花々も、今は色褪せて眠りにつく。 綺麗に整えられた芝生の上を歩く二人を照らすのは真夜中の月だけ。 「パーティー自体は嫌いじゃないんだけどね。どうも落ち着かなくて」 脱いだ手袋はポケットに突っ込み、ラグナスがぼやく。 「わたくしもですわ。あの飾った雰囲気が肌に合わないというか、退屈で。美味しい料理を食べられるのはいいのですけど」 「同感。でもサタンが催すパーティーはまだ雰囲気が善いからいいよ。大富豪や貴族のパーティーなんて楽しそうなのは表向きだけで、陰謀と野望が渦巻いてるのが見えるみたいで、いるだけで息が詰まってしまう」 「そういうの感じられるんですのね」 「なんとなくね。旅してると裏事情にも精通してくるから」 黒い陰謀が瘴気のごとくうごめくパーティー会場。 想像して顔をしかめる。 「よろしくありませんわ。よく招かれるんですの?」 「ん、まあ職業柄……って言っていいのかな。護衛の依頼を受けて参加することもあるけど、単に招かれる事もある。あまり行きたくはないんだけど。気が重くなるし」 「トラウマってやつですわね」 「ある意味そうかも」 風に乗って花の園に流れるさくさくと草を踏む音。 ならなぜ参加するのか、などと分かりきった事は聞かない。 優しさと人を思いやる心ゆえ。彼が勇者たる 「わたくしは実験ができないのがつまらないですわ」 こんなふうに付き合ってくれるのも単に親切からなのだろうか。訊かずに、口に出すのは別のこと。 「実験のことばかりだね、ウィッチは」 「いろいろなアイディアが浮かぶんですもの。浮かぶからにはすぐ試したいじゃありませんの」 笑われて言い返す。 「それに、お料理も――美味しいんですけど、自分で作った方が楽しいですわ」 「するんだ。料理」 「お料理は好きですわ。薬の調合と似てますもの」 得意げに言うと何故か苦笑される。軽く流しウィッチはそうだと手を叩いた。 「今度ごちそうしますわ」 「え、いいの?」 「はい、ぜひ」 珍しい、と自分でも思う。アルルたちが勝手に上がり込んでくる以外、人を招くことなど滅多にないのに。 「じゃあ、お言葉に甘えようかな」 隣で照れたように頭をかく彼が誇らしい。 後ろに手を組み、大きく一歩を踏み出してみる。 「パーティーといえばさ」 思い出した声が斜め後ろから。 「酒場や船の中での酒盛りは楽しいよ」 「『酒盛り』、ですの?」 歩調を緩め隣に並ぶ。 「そ。こういうパーティーよりももっと軽い感じ。庶民のパーティーって感じかな、その場の雰囲気で突然始まって、みんな一丸になって自由にお酒飲んだり歌ったり踊ったりするんだ。あっちこっちのテーブルに交ざったり、知らない人と仲良くなっていろんな話を聞いたりもする。雑学や豆知識や、いわゆる"ここだけの話"ってヤツを教えてもらったりね。使命を忘れて一晩中話し込んでしまったりもする」 ふーんと感嘆の声を漏らす。 「知識を得ることができるのは魅力的ですわね。わたくしも参加してみたいですわ」 「あー、でも場所によっては危険だから女の子一人で行くのはやめた方がいいよ」 忠告に小首を傾げたウィッチだったが素直に頷く。 なんとなく、反論できるものではない気がした。 「わかりましたわ。もし参加する機会があったら、どなたかと同伴にします」 「うん。なるべく戦いにたけていてお酒に強い人がいい」 細かい注意にどういうことだろうと思っていると、 「あ、」 不意に彼の姿が後ろに引っ込んだ。歩みを止めたのだ。 振り返ると、呆然と突っ立っている。視線を追うと、塔から突き出た 一つは男。一つは女。 「サタンさまと……、ルルーさん?」 遠目に確認するなり、すぐに脇へと飛び退る。 「ど、どうして隠れるんですの!?」 「え、と……なんか、お約束な気がして?」 自分も隠れた癖に。小声で問うと、訊くまでもなかったような同じ答え。 身を低くしてテラスを覗き見る。聞こえてくるのは遠くに響く噴水の音。 「どうしてサタンさまとルルーさんが」 声はよく聞こえない。が談笑しているようだった。サタンが冗談を言ったのか、ルルーが口元に手をやりコロコロ笑っている。二人の間にはいつものギスギスした空気はなく、まるでごく普通の男女。 会話が途切れ見つめ合う。 おもむろにサタンの手を取ったルルーが何かを云う。 目を閉じ、顔を上げ、 (ええええええええええええええええっ!?) 次瞬、ウィッチは心の中で絶叫していた。 いつもなら困った顔で場を濁し彼女を避けるサタンが、困った笑いを浮かべながらも長身を屈め――キスをした。 額にだが、確かにキス。 (どっ、どういうことですの!? サタンさまがルルーさんに? は、ま、まさかサタンさまの偽物!? で、でしたらルルーさんがあまりにも……。でででででも、もし本物だとしたら――わ、わたくし今日のお料理に薬なんて使ってませんわよ!?) 頭の中をグルグルさせながら信じられない光景に釘付けになる。 物足りないといった様子で頬を膨らませたルルーに一つ・二つ言い置いたサタンの眼差しがこちらに向かっていたのに気付いたのは、よく通る声が花園の闇を揺るがしてから。 「覗き見は関心せんな。そこにいるのは誰だ」 穏やかな口調。だが背筋が凍り付いた。 子どものように身をすくませ、硬直しているウィッチの背後から影が動く。 (ら、ラグナスさん!?) 気付けば、早足でテラスへと向かう勇者の背中。 「ごめん、覗くつもりはなかったんだけど」 「ラグナス!?」 「と、ウィッチも!?」 テラスへと上ってきたラグナス、しぶしぶと後を追ってきたウィッチに、サタンとルルーが目を丸くする。 「どうしたのよアンタたち。二人してこんな所に」 「どうしたのはこっちのセリフですわ」 「ちょっと酔ったみたいだから涼みに出てきたんだ。話しかけづらい雰囲気だったからつい。ごめん」 「呑気に謝ってるんじゃありませんわ、ラグナスさんはっ」 「……何をそうカリカリしてるのだ、ウィッチは」 不機嫌に腰へと手を当てるウィッチに集まる三人の視線。 「サタンさまとルルーさん、いつのまにそういう関係なんですの?」 「そういう関係って?」 「キスするような関係ですわっ」 バツが悪そうに目を逸らすサタン、しかしルルーは口元に笑みを浮かべて平然と見返してくる。 「アンタたちこそ、いつのまにそういう関係なのかしら。パーティー抜け出して二人っきりでデートなんて。ね、ウィッチ」 「なななな、何言ってるんですの!? わたくしたちはそういうつもりじゃ……っ 」 慌ただしく手を振りながらも顔は真っ赤に火照る。 「そうだよ。ちょっと外の空気吸いに来ただけで、そういうことしてるわけじゃない」 「…………」 一気に冷めた。 ルルーは二人を眺めふ〜んと腕を組んむ。 さて、と呟き、 「酔いも醒めたことですし、サタンさま、そろそろ会場に戻りませんこと?」 「なに、もう戻るのか? も、もう少しいいではないかっ」 「逃げるんですの!? まだ話は――」 「はいはい、その内説明するから。サタンさま、私だってもう少しこのままでいたいんです。でもまだ課題が終わってなくて。一刻も早く取りかからなくては期限までに間に合いませんわ。わかっていただけますでしょう?」 「う……そうだな。悪かった」 ウィッチを片手で制し、サタンを優しく諭すルルー。 あの事件は彼の責任も大きい。罪の意識があるのか、魔王はしょんぼりと肩を落としている。 言い足りなさそうに黙り込んだウィッチへ、サタンの腕に手を添えながらルルーが向き直った。 「そういうわけだから、私たちはそろそろ行くわね。私たちの関係、まだみんなには内緒だからアナタたちも秘密にしていてほしいんだけど」 「どうして」 「いろいろ事情があるのよ。正式な婚姻の発表は私が魔導学園を卒業してから、って事だけは言っておくわ」 予告無しの急展開。 婚姻。もうそこまで話が進んでいるのかと思う。 「そんな事情がありながら昼間はいつもの茶番、続けてるわけですわね」 皮肉めいて言うものの、そういう大事を隠している理由はなんとなくわかる。 黙ったまま様子をうかがっているラグナスが視界の隅に入った。 「わかりましたわ。しょがないから秘密にしておいてさしあげます」 「ありがとう、ウィッチ」 微笑んだルルーはラグナスを一瞥した後、耳元に唇を寄せて囁いてきた。 「アンタも、頑張りなさいよ」 「――っ!?」 「ふふっ、じゃ、お休みなさい」 頑張るって何を!? 問う前に身を翻えされる。 サタンの腕にしがみついて遠ざかっていく背中を、ウィッチは呆然と見ていた。 「意外ですわ」 サタンとルルーがテラスを去ったあと。柵にもたれて庭をぼんやり眺めていると間の抜けた声が出た。 あの二人がくっついたことに対してではない。あの二人がくっついていたことに対してだ。しかもどちらかというと手玉に取られているのはサタンの方。 「やたら余裕ぶってたのはそういうことですのね」 「そうかな」 パーティーの喧騒も届かず静まり返ったテラスでは呟き声もよく響く。低く囁く声も、自分のもの以上に意外性を伴って耳に響いた。 驚いて隣を見ると、同じように柵にもたれて遠くを見つめる勇者。 「意外、だった? 本当に」 そして向けられた黒い瞳。 目を合わせたままたっぷり数秒、その意味を考え、 「ラグナスさんは知っていたんですの? あの二人の関係」 「知ってたっていうより、なんとなくそんな気がしてた」 蒼白い月の光が再び庭園に向けられた横顔を照らす。何かを考え込んでいるような、何気ないような、そんな横顔。 「ヨグ・スォートスとの戦いのあと、サタンが塔に残ろうとしたんだ。その時のサタンとルルーの会話、とても短いやり取りだったけど。人間と魔族でもこんなふうに理解し合い信じ合う事ができるんだなって思った」 「そっちの方が衝撃的でした? ラグナスさんにとっては」 サタンとルルー。男と女の関係よりも、魔族と人間としての関係の方が。 ラグナスは小さく頭を振る。 「どうだろう。自分でもよくわからない。驚いた気もするし自然と受け入れていた気もする。多少、慣れてしまっていたのかもしれない、その時は」 その時は。 「一度戻ってから改めていろいろ考えてしまったんですのね」 仄明るい光と仄暗い闇のコントラストは、目を逸らせずにいれば彼がこの世の者ではないような錯覚さえ見せる。 目眩のような感覚から逃れ、ウィッチも夜の緑たちへと向き直った。 隣で空を見上げる気配がする。 「この世界は不思議だ。人間と魔族が争いもなく共存しているなんて、初めは信じられなかった」 「争いもなく、は過大評価ですわ、残念ながら。この世界にも人間を嫌う魔族、魔族を嫌う人間はいます」 だからこそサタンとルルーも婚姻の事実を隠しているのだろう。恐らく。 「種族差別なんてきっとどこの世界にもあることなんでしょうね。……ラグナスさんの世界はそっちの方が大多数なんですのね」 話を聴いていてだいたい察しはついていた。彼の世界の人々、その大多数、もしくは全てが魔族を忌み嫌っている。そして彼も、それを当たり前の事だと思っていた。 生まれ育った世界が――生い立ちや生きてきた経路だけではなく世界そのものが――違うということは理解しているのに。その事実はなぜか胸に突き刺さる。 「種族差別か。確かにそうかもしれない。俺たちは知ろうとすらしていなかった。一つの考えに捕らわれて」 「一つの考え?」 「ガイアースでは魔族は悪そのものなんだ。魔族は例外なく悪いものだと思われてる。生き残る為には排除しなくてはならない絶対的な人類の敵」 ウィッチはきょとんとラグナスを見つめ、 「信じられませんわ」 「だろうね。君たちにとっては」 苦笑い。 彼も苦笑を返してくる。 「こちらには、人間でも魔族でも酷い事をする者はいますが……ガイアースには悪い魔族しかいないんですの? 本当に」 「分からない。正直、自信がなくなってきた。俺たちが知らないだけで彼らもあるいは……」 「わたくしたちと同じ?」 「かもしれない。俺たちも彼らと分かり合うこと、できるのかな」 問い掛けは頬を撫でる風にさらわれ闇へと溶けた。 出せる答えなどあるはずもなく訪れる沈黙。 異色を受け入れる柔軟、ただ知りたいとひたすら前へ進もうとする探求心、内に秘めた願い。 馬鹿がつくほど正直で、薄硝子のように傷付き易そうなほど誠実な勇者様。 彼がこの世界に来た意味が、少し分かった気がした。 「ウィッチ」 ラグナスさん。名を呼ぼうとすると先に呼ばれた。 開きかけた口を閉じ、言葉を待つ。 「その、俺と友達になってくれない?」 少し照れたように言うラグナスに、ウィッチは青い瞳を大きくする。嬉しさと、先に言われてしまった悔しさが少し。 言ってから余計に気恥ずかしくなったのか、彼は顔を赤くして俯いてしまった。それが妙に可笑しくて口元を緩める。 「ラグナスさんは嫌いじゃありませんの? 私たちのこと。魔族、ですのよ。わたくしたちも」 え、と声を漏らす彼に問いかける。 今更だということは分かっている。答えも既に決まっていた。だが訊いてみたくなったのだ。 体ごと向かい掛けた問いは、小さな意地悪。 物語の中 見つめた黒い瞳。庭園を覆う深更よりも深く、優しい光をおびた眼差し。 「それでもいい」 静かに微笑む。 「むしろだからこそだよ。俺は君たちの事が知りたい。それに、君たちが俺に対して敵意を持ってないことは良く分かってる」 「……そうですわね」 もしかしたら敵意を隠して油断させようとしているのかもしれませんわよ? もう少し意地悪を言ってみようかと思ったが、やめた。 「でなければこんな風に話したりしませんものね」 恐らく無意味だろう。どんなに疑心をくすぐって突き放してもきっと彼は動じない。迷いのない答えで十分すぎるくらい分かってしまった。 「さっき馬鹿正直って言いましたけど、わたくし、ラグナスさんのそういうところ嫌いじゃありませんわよ」 ふふっと笑って手を差し出す。 「いいですわ。魔族のこと、教えてあげます。こちらとあちらの魔族が同じ保証はないですけど。それに、」 少しだけ迷って口ごもる。 素直じゃない自分を、ぐっと押さえ込んだ。 「わたくしたち、もうお友達……ですわよ、ね」 驚いた表情を見せたラグナス。しかし次には微笑。 「そうだね。ありがとう、ウィッチ」 嬉しそうな、静かな声。握り返してくる手は大きく温かい。 胸が高鳴るのを隠してウィッチはつんと横を向く。 「もちろん、これからもきっちり実験には付き合っていただきますわ。お友達なんですもの」 「ははっ、お手柔らかに頼むよ」 「あと、お願いがありますの」 乾いた笑いのラグナスを真剣な青が見つめた。 「同じ魔族なら、わたくしにも多少彼らの思考は理解できますわ。彼らは自らの王に決して逆らいませんし裏切りません。決して。どんな卑怯な手を使ってでもラグナスさんを 人間と魔族、相容れない関係が永きに渡り続いているのならば。 この勇者はこれから孤独な戦いを強いられるのだろう。誰にも理解されない、一人きりの戦い。 「だから、必要以上に感情を移してはいけませんわ」 ならばせめて、"ここ"が彼の拠り所になればいい。 「この世界には、貴方に何かあったら悲しむ『魔族』もいること、忘れないでくださいまし」 憧れているのは守られるままの姫ではなく、共に戦う魔法使い。 彼の表情もいつのまにか真面目なものになっていた。 彼女の言葉を吟味するように目を閉じたあと、 「わかった」 しっかりと頷く。 「俺も二度とここに来られなくなるのは嫌だから」 そして笑う。春の陽射しのように暖かく優しい笑顔。 かぁっと顔が熱くなるのを感じ、ウィッチは俯く。 「……ウィッチ?」 「ほんと、ラグナスさんってわたくしの周りにはいなかったタイプですわ」 「え?」 彼の疑問符には答えず。 顔を上げると同時にくるりと背を向けたのはまだ冷めない頬を見られないように。 「さ、そろそろ戻りませんと。主役がいなければパーティーもきちんと閉幕できませんわよ」 適当な理由をつけて歩き出す。背後でラグナスが少し笑ったようだった。 「そうだね」 軽い駆け足の音が横に並ぶと歩調を合わせてくる。 横目で確認し小さく笑んだウィッチ。 二つの靴音がテラスを後にし、月を抱いた夜の静寂だけが残される。 ――数日後。 「うーん……」 ウィッチは眉を寄せて上を睨んでいた。棚に体を預けながら指先を伸ばしつま先を伸ばしてもなかなか届かない薬瓶。 ひとたび力を抜いてもう一度。と、したとき、横合いから薬瓶をさらった手に小さく声をあげる。 見ればしげしげと瓶を眺める黄金の勇者。 「踏み台、あった方がいいね。作ろうか?」 渡しながら陽の微笑み。 小さな魔女は満開に笑う。 「はい、お願いしますわ。ラグナスさん」 END |
華車 荵
2011年07月24日(日) 04時33分03秒 公開 ■この作品の著作権は華車 荵さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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