異世界人(イセカイビト)【前編】 |
「アンタ、最近ラグナスと仲良いらしいじゃない」 「はい?」 沈黙を破って突然振られた話題。薬瓶を拭く手を止め、ウィッチは思わず前をまじまじと見つめた。 数々の魔道具が陳列された部屋の中。 カウンターにもたれて腕を組んだままの女が、緑石の眼差しを向けている。 「小さな魔女が勇者と 興味津々。 そんな笑みを紅い唇に浮かべて。 「そう言われましても、あの方がここを訪れたのも数えるほどしかないじゃありませんの。仲が良い、というほどでも……。単なる噂ですわ」 「あら、その割には毎回ここに来てるんじゃないの?」 珍しい人が来た、と思ったらそういう噂話わざわざ知らせに来たのだろうか。 背を向けながら言うと意外そうな声。ウィッチは呆れた顔で笑う。どうせルルーには見えないだろうが。 「ルルーさん、ウチは道具屋ですのよ? 冒険者の方が来るのは当然でしょう」 拭き終えた瓶を置き、隣へと手を伸ばす。棚の上段は背伸びをしても少々辛い。 「それで、今日はどのようなご用ですの? 何か欲しいものでも?」 踏み台でも作ろうかしら、そう考えながら若干苦労して取った瓶に布巾を滑らせて問う。 まさか本当に噂の真相を探りに来ただけという訳ではないだろう。 間があり、ルルーが口を開く。 「ラグナスの歓迎会をするらしいわ。サタンさまが言ってた」 「歓迎会? 今更ですわね、また」 「誕生日も発覚したからまとめて、って」 「ふぅ〜ん。いつですの? お誕生日」 「興味あるんだ?」 「一応訊いてるだけですわよ。その話をしに来たんですわよね?」 「まあそうだけど。4月1日」 軽い調子。 手を止め、ウィッチは憮然と斜め上を見た。 「……とっくに過ぎてますわ」 「いいじゃない。過ぎてたってお祝いくらいはできるわよ。それともなに、サタンさまの提案に文句言う気ぃ?」 「ま、まさか。とんでもありませんわ」 口を尖らせるルルーに、魔の長たる上司を思い浮かべて慌てて手を振る。 「で、アンタはどうするのよ。明日だけど」 「また唐突ですわね……行きませんわ。お店もありますし」 「サタンさまのお誘いなのに?」 「サタンさまのお誘いでも、です」 瓶拭きを再開する。 「お店ったって、パーティーは夜よ」 「あら、知りませんの? 魔道具屋は夜が稼ぎ時なんですのよ」 「どうせ誰も来やしないでしょうに」 ぴっと人差し指を立てると、後ろからの溜息。 「まぁ、期待はしてなかったけど」 反論しようとしたものの、ルルーがカウンターから動いた気配に遮られる。 「でもだからって放っておくわけにはいかないじゃない。ねえ」 独り言なのか言い聞かせてるのか。 ウィッチの上に翳りが落ちた。 「へ?……わっ、きゃぁっ!」 振り返ろうとした途端襟首を掴まれ、天井と床が一転。長い金色の髪が翻る。手元を離れた瓶が音を立てて転がり、棚に当たって止まる。 次瞬、魔女の小さな体は担ぎ上げられていた。 大男の肩に。 「ちょ、な、何をなさるんですのミノタウロスさん! 降ろしてくださいまし!!」 「そう暴れないの。アンタって男っ気ないし着飾ろうともしないじゃない。たまには女の子らしくしなきゃだめよ。だから、ね、パーティー行きましょう」 「そんなのルルーさんには関係ないじゃありませんの! ほっといてくださいまし!! わたくしはパーティーになんて興味がありませんの! いいから降ろしてくださいまし! 降ろして! 降ろせーーーっ!!」 「まぁまぁ。みんな来るし、こんな所で一人寂しくしてるのもナンじゃない? ドレスくらいなら貸してあげるから」 落ちそうになる帽子を片手で支えながらじばたばた抵抗し背中をバシバシ叩いても、牛男はびくともしない。 楽しそうに見上げてくるルルー。帽子を取り上げながら言う彼女を、ウィッチは睨み付けた。 「こんな所で悪かったですわね。余計なお世話ですわ」 「そんなに行きたいくないの?」 「ええ!」 意地半分で力強く頷く。 ルルーがにっこりと笑い、 「行くわよ、ミノ!」 「ブモッ」 前を向いて歩き出す。 完全無視されて固まったウィッチの唇が震え、 「……ゆ、」 真昼の森、木漏れ日の下に建つ小屋に、少女の悲鳴が響き渡った。 「誘拐ぃぃーーーっ!!」 △ ▼ △ ▼ △ ▼ 透明な輝きを放つシャンデリアが天井を飾る大広間。 普段静閑とした塔のホールは180度変わり、花が飾られた長テーブルには料理やシャンパン、ワインが並び、オーケストラが奏でるバック・グラウンド。温室育ちな花々のごとく着飾った人の群。窓を見やれば街の方が朱色に染まる、外へ内への大賑わい。 現実感遠のくまばゆい光景。 注がれた金色が細かい泡を立てるグラスを眩しげに見つめ、ウィッチは溜息を吐いていた。 「ラグナス・ビシャシ。各地を旅している異界の勇者。数ヶ月前の事件でこの世界に飛ばされてきて……」 「知ってますわよ」 「良い子だと思うんだけど?」 「何が言いたいんですの」 ほぼ同年代の男を子呼ばわりとは、本人が聞いたら傷付くのではないか。 椅子に腰掛けたまま、ウィッチはルルーの背中を睨み付ける。 まるでお年頃の意中を探る母親口調。振り返りもせずさくさくと作業を進めていくルルーの足元に、また布きれが増えていく。 ハサミの音が一つまた一つ、布きれを増やしていく。 「うん、つまり噂になるくらいには仲良いわけよね」 「だーかーらーっ! まったく誰ですの、そんな噂流したのはっ」 テーブルを拳で叩く。 からかっているのだ。噂の内容があまりにも珍しいものだったから。 一向に進展がみられないやり取りを切り、ウィッチは紅茶を口に含む。 「じゃあ実際どうなのよ」 「なにがですの」 真っ白い布と、かき集めた布きれを手に立ち上がったルルーを目で追う。 「アンタのところによく寄ってるわけでしょ。ラグナスは」 椅子を引き座る音。裁縫箱から針と糸を選別し、ルルーはミシンに向かいながら。 「それはうちが道具屋だから……」 「道具屋なら街にもあるわよ。まさか今更否定しないわよね」 勇者は魔女のもとに通っている。魔女もそれを否定しなかった。今更言い逃れはできないぞ。 碧の女王はそう言っている。 二、三度試し縫いの音が聞こえ、今度はカタカタと連続した音を室内――魔王の塔、宿舎の一室だ――に響かせる鉄の機械。 一瞬口ごもりウィッチはルルーの背中から視線を逸らした。 「ひとの事よりも、ルルーさんは自分の事を考えた方がよろしいんじゃありませんの」 「自分の事って?」 作業が細かい部分に入ったのか、足踏みから手回しに切り替え前屈みになりながら訊いてくる。 「サタンさまとの事ですわよ」 「なんでサタンさまが出てくるのよ。その事は今関係ないんじゃないの? あ、それともなに、私とサタンさまとの関係と、アンタとラグナスとの関係に、なにか共通点でもあるのかしら」 手元を回しながら口元もよく回る。 うーと呻き、ウィッチはかっくりと肩を落とした。 この女王様には口で勝てる気がしない。 「異界の文化に興味があったんですの。それで……」 「話を聴かせて欲しいってねだったわけ?」 しぶしぶ白状すると、動きを止め姿勢を戻して振り返ってきた。その顔に"まさか"という色が浮かぶ。 「アンタ、まだおとぎ話とか読んでるの?」 「お、おとぎ話じゃありませんわ! 空想伝奇物語ですわよ!」 「はいはい。アンタくらいのお年頃って、やたら小難しい単語使いたがるわよね。似たようなモンでしょうに。とにかく、その物語好きが高じて異世界研究のためにラグナスたらしこんでるわけだ」 「たら……っ!?」 「で、あの子をカエルやアヒルにしたっていうのもその一貫?」 「すっごく人聞きの悪い言い方ですわ、ルルーさん。それに実験はついでに協力していただいてるだけですのよ。あとアヒルじゃなくて白鳥――、」 言って、はたと気付く。 「それ、ラグナスさん本人から聞いたんですの?」 「まさか。これも噂」 「…………」 「本当にやったのね。実験」 激沈したウィッチにルルーが呆れた笑いを向ける。 これだから話したくなかったのだ。この年上女性との付き合いは長いが、ことごとく手のひらの上で踊らされる。 限りある情報と、お嬢様の 冒険物語や伝承・神話の英雄伝説が好きだと知られた時もそうだった。そして散々からかうのだ。 「だ、だって勇者ですのよ!? サタンさまも認める本物の"勇者"! 生まれながらの英雄!! それが伸びたり縮んだりするんですのよ!? 興味持つでしょう普通!!」 「アンタだけよ。そこまで意識してるの」 拳の入った力説を更に冷めた眼差しで流される。 そういうものに憧れるのは身近に生きた英雄伝説がいたからだ。祖母という英雄伝説が。 言い訳していても実は分かっている。 「アンタって大人ぶってる割には単純でミーハーよね」 「う〜る〜さ〜い〜、ですわ」 認めたくないだけで。 「どうしてわたくしのことそんなに聞きたがるんですの?」 正確には自分とラグナスとのこと、だが。 声を荒げたまま訊ると、ルルーは軽い口調のまま。 「ん〜、だってアンタとラグナスって珍しい組み合わせじゃない? ついに色気づいたのかな〜と思って。安心しなさい、あの子が見とれるくらい可愛くしてあげるから、お姫様みたいに。そういうのが好きなんでしょ?」 「な、何言ってっ! わたくしはそんなんじゃっ、」 「冗談よ。ま、違うなら違うでいいんだけど」 「…………」 何も言えずにいると、再び背を向けて手元を進める。 「ラグナスってまだこっちに来たばかりでしょ? 戸惑ってるみたいだから出来ればいろいろ教えてあげてくれないかな〜って。あの子知り合いもまだ少ないし」 なるほど。どうやらこちらの方が本題らしい。 歯車の回る単調な音の上を流れるルルーの声には言い聞かせる優しさ。 しかし素直に聞いてはおけないお年頃。 「ラグナスさんならお友達なんてすぐ出来ますわ、きっと。ルルーさんたちだっているじゃありませんの」 「それがそうも行かなくて……。あの性格だから困ってる人はほっとけないし人助けはするみたいなんだけど」 察するに、どうやら異世界の勇者様はこの世界の者と関わることに積極的ではないらしい。 どういうことかと身を乗り出す。 「それにどうも戻ってきてから余所余所しいのよね。と言っても私たちだって、アルルは課外で講義受けてるから今は忙しいみたいだし、シェゾは相変わらずどこ行ってるのか分からないし、私もいろいろあるしでそう頻繁に関わってたわけでもないんだけど」 「……貴方たち、本当に仲間?」 「し、仕方ないでしょう。私もアルルもくだんの事件で授業遅れてるんだからっ! 毎日課題でカンヅメよっ!? 明後日からまたレポートの山よ!」 思い出したくない!といわんばかりに体を震わせるルルー。 仲間とは自分の事を差し置いてでも協力すべきものではないのか。 現実に落胆する。 「私だって心配してないわけじゃないのよ。だからアンタに頼んでるんだから」 「わたくしだって学校……」 「私たちに比べれば余裕あるでしょ。お願いよウィッチ、アンタがだけが頼りなの」 甘言だ。早く大人に一人前にと背伸びをする少女の心をくすぐるには十分な。 どうせお世辞だと確信する片隅で、認められていると喜ぶ自分の単純さが悲しい。 ウィッチはルルーから目を逸らし、 「考えておきますわ」 ざわざわと鼓膜を侵す会場のさざめきが煩い。 さっきまで一緒に居たはずのルルーはどこかへ行ってしまったし、パーティーの主役は会場に入ってきたところをちらりと見かけて以来、姿を見せない。 参加者には知り合いもいることにはいる。が、疲労感から一緒に騒ぐ気にもなれず、ウィッチは片隅のテーブルでぼんやりとしていた。 なみなみと注がれたシャンパンには口をつけず、ぷちぷちと音を立てて浮き上がる泡を眺めるだけ。どうやらそれだけで酔っているらしい。この浮かれた空気と熱気に。 と、気付けば薄金色の向こうに人影。シャンパンの色と歪んで重なる。 「ウィッチ?」 躊躇したのだろう、間を空けて呼ぶ声が降ってくる。 聞き覚えのある声に、ウィッチはゆっくりと顔を上げた。 黒と 「ラグナスさん?」 「あ、やっぱりウィッチだ。よかった」 胸を撫で下ろした表情は見慣れたもの。近頃見知った異界の勇者。 彼はすぐに申し訳無さそうな笑みを浮かべる。 「ごめん、なんだか見違えたよ。さっきも見かけたんだけど、人違いだと思った」 「あら、わたくしの方こそ。一瞬誰かわかりませんでしたわ」 出会いは先のとある事件。決着を前に仲間に連れられて彼女のもとを訪れたのが最初。 だと彼は思っている。 「そんなに変わります?」 どうやら入ってきた時に目が合った気がしたのは気のせいではなかったらしい。 椅子から立ち上がりながら裾をつまんでみせる。 それもそのはず、ウィッチが着ているのは見慣れた紺の魔女服ではなく真っ白なドレス。 腕は長いグローブに包まれ、頭では 「そういうのも着るなんて少し意外だった」 「別にわたくしの趣味じゃありませんわ。ルルーさんのおさがりですの」 「え、ルルーの?」 「ええ。と言っても、元のものと随分違ってますけど」 はじめに見た時より丈が短く、ふくらみ大きく、レースが思いっきり増えているドレス(ルルーいわくお姫様風)を見下ろして言う。 「お古を仕立て直してくださったんですわ。少し子供っぽいと思うのですが……やっぱり似合いません?」 「ルルーってそんな特技があるんだ。いや、凄く似合ってるよ。綺麗だと思う」 ごく当たり前のように。 ラグナスの言葉に、ウィッチはふぅ〜んと疑心に目を細め口端をつり上げた。 「ラグナスさんって平気でそういうこと言えるんですのね。他でもそうやって女性たちを褒めちぎっていらっしゃるのかしら」 「え、あ、いや。いや、確かにお世辞は言うこともあるけど。今のは本当だよ」 腕を組んで顔を逸らせば、慌てた生真面目。 「馬鹿正直ですわ」 息を吐いて言えば、自覚があるのかないのか、ラグナスは怒りもせずに曖昧な笑みを浮かべる。 「ラグナスさんこそ、今日はまた随分と珍しい格好ですわよね」 話を変えると、ああ、と疲れたような吐息。 「主役なんだからいつもとは違う格好をしろってサタンに言われて。押しつけられたんだ」 「……あの方らしいですわね」 黄のフロックと白いスラックス。手には白い手袋。 いかにも礼装といったその格好は、勇者というより、 「貴族か軍人みたいですわね」 金髪蒼眼なら物語によくいる王子様みたいだとも思う。 風とともに現れ風とともに去る彼のお供はレイピアか宝剣か。そんなイメージ。 「カボチャパンツは認められませんわ」 「え?」 「いえ、なんでもありませんの」 光の剣も宝剣には違いない。 こほんと咳払をしたあと、ウィッチは周りの雑踏のを見渡してから言う。 「ちょっとお庭に出ませんこと? 人込みに酔ったみたいなんですの」 「あ、実は俺も。こういうところにはあまり慣れなくて」 顔を見合わせる二人。 どんなにそれらしく着飾っても、結局凡民は凡民なのだ。 |
華車 荵
2011年07月24日(日) 03時19分50秒 公開 ■この作品の著作権は華車 荵さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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