いつかまた。
【シェアル】いつか、また。




「アルル──────────」



アルル・ナジャ。

懐かしい名だ。

─────────もう、数十年経つのか。

生暖かい秋の風が、俺の銀色の髪と、手に持っているシオンの花束を揺らす。この髪だって、変わってない。あの頃から、何も。

俺は、Arle・Nadjaと彫られた石碑をそっと撫でた。

この石碑は、偉大なる魔導師・アルル・ナジャの名を後世に伝える為に、数年前に作られたものだ。

正直、これを見ていることは俺にとって辛いものだった。



アルルを殺した、俺にとっては。



アルルは、死んだ。
俺が殺した。

いや、この説明は正しいものではない。

俺が止めを刺した、という方が正しいだろう。


あの時俺がしたことは、本当に正しかったのか。

──────────今となってはもう、分かりはしない。


────────────────
────────────────

あの日、あの時間。

アルルに様々な不幸が重なった。

あの時、アルルは『シェゾ!ちょっと低級ダンジョンに遊びに行ってくるから、カーくんをよろしく〜』と言ってカーバンクルを俺に押し付けた。
どこのダンジョンなのかと聞くと、「南方面の低級ダンジョンだよ。ボク一人でも全然大丈夫!」と笑顔で答えて去っていった。

あの時カーバンクルを預からなければ───────────。

そうだ。

一つ目の不幸。

それは、ダンジョンへ行くのに、カーバンクルを連れていかなかったこと。カーバンクルが一緒に居たならば、サタンの加護もあるおかげで、逃げることくらいならできただろう。

二つ目の不幸。

それは、ダンジョンにあった。
アルルが入ったのは、低級だと言われていた、普通の魔導師ならかなりの余裕をもって戻ってこられるようなダンジョンのはずだった。
その、はずだったのだ。

まさかそれがトラップだなんて、誰が思うだろうか。

アルルが入ったダンジョンは、低級に見せかけた、超上級ダンジョンだったのだ。レベル的には、俺でも入ることをかなりためらうし、最悪入ることになったとしても、準備にかなりの時間をかけるぐらいだ。

これだけでも最悪なのに、更に不幸は重なる。

三つ目の不幸。

ダンジョンに子供が迷いこんできたのだ。

ここからは憶測だが、アルルは馬鹿ではない。きっと、ダンジョンに入った瞬間、そのレベルの高さに気がついただろう。
そんなところに子供が一人うろついていたら、アルルの性格上、放っておくということも出来なかったに違いない。


嫌な予感がしていた。
アルルが去って行く後ろ姿を見たとき、確かに嫌な予感がしていたのだ。

なのに、止めなかった。
止められなかった。

嫌な予感がしたため、仕方なくアルルを追ったが……。


遅すぎた。


もう、その時には手遅れだったのだ。


四つ目の不幸。

アルルは、魔物に襲われた。

いつ襲われたのかは分からなかったが、魔物はアルルの急所をしっかりととらえていた。

俺がダンジョンに入った時、既にアルルは瀕死の状態だった。
身体の至る所から血が流れ、左手では流血の激しい右肩を抑えていた。
魔物の隙を突いては攻撃を仕掛け、必死に戦うその姿は、とても16の少女とは思えないほど勇ましく見えた。
俺はすぐに魔物を倒し、アルルにヒーリングをかけたが、アルルの状態が劇的に回復することはなかった。
もう、アルルの身体は限界を超えていたのだ。

ぼろぼろなアルルは、俺に抱きかかえられながら、言った。

「シェ……ゾ?キミが、魔物を、倒してくれたの?あり…がと。ボク、バカだよね。こんなに、上級のダンジョンを、低級だと思って……入っちゃう、なんて。あの、ね。……迷惑ついでに、さ。子供が、岩の影に隠れてる、はずだから、街まで連れて行って、くれると……嬉しいんだけど」

震えるアルルの声を、よく覚えている。

「おい。しっかりしろアルル!!ガキはお前が連れて行けばいいだろう!?」

「できれば、そうしたいんだけど、ボク……もう、死んじゃう、から」

言葉が途切れ途切れで、喋ることすら苦しそうだった。

「バカを言うな!!お前は俺のものだ!勝手に死ぬなど許さない!」

アルルは黙りこんで、少しだけ息をふうと吐いた。

「じゃあ、シェゾにあげるよ」

「は?」

アルルはニッコリと、涙を流して笑っていた。

その様子は、あまりにも儚げで。
触れただけでも散ってしまいそうな、花のようで。

言われた言葉の意味を理解することもできなかった。

「アルル……どういう……意味だ」

喉まで出てきた言葉が詰まって、息が苦しい。

「ボクの魔力、シェゾに、あげる」

今まで散々アルルを追い回していた、理由。
それは、アルルの魔力を得るため。
今まで欲しくて欲しくてたまらなかった、アルルの魔力。
喉から手が出るほど欲していたものが、いとも簡単に手に入れることができる。

そんな状況だというのに、俺は生きた気がしなかった。


アルルが、死ぬ。


全く想像がつかず、実感もわかない。


「……冗談だろう?」


「ホントだよ。シェゾになら、あげても、いいよ。ほら、ボクの魔力、欲しいでしょ?」

「要らん!!」

俺は瞬間的に叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。

このままだと、アルルは本当に死んでしまう。

「俺が欲しいのは……!俺が欲しいのは、そんなものじゃない!!」

俺は、ヒーリングをもう一度かけるために、アルルに手をかざした。


「やめてよっ!」


アルルが俺の手を払いのける。
声が一時的に大きくなった。

「キミが、ボクを助けるというのなら、ボクはここで、自分で死ぬよ」

アルルの目は本気だった。
本気で、死ぬ覚悟だった。

「このダンジョンは、危険、だったんだ。きっとキミでも、子供を抱えて、脱出するだけで、精一杯、だと思う。それに、今ボクに、無駄なヒーリングを、かけるくらいなら……どうせ死んじゃうボクに、ヒーリングするくらいなら……。ボクの魔力を使って、確実に、脱出、してほしいんだ」


俺は、何も言えなかった。


「シェゾ。───────キミに、生きてほしい」

そう言って俺の手を握ってきたアルルからは、溢そうなほどみなぎる魔力が感じられた。

魔力は、有り余っている。
だが、体力は0に近い。

傷の深さは、確かにヒーリングをしても治るようなものではない。

それに、此処は空間転移ができない厄介なダンジョンだった。
きっと、脱出するには少なくとも30分は必要だ。


「クソっ!!」

床を殴った右手がヒリヒリと痛んだ。強く殴り過ぎたせいか、皮が破れて赤黒い血が流れた。


言っていたじゃないか。
いくら魔力があっても、それを使えるくらいの体力をつけるべきだって。
体力がなくなったら終わりだから、ちゃんと体力もつけるんだって。


ガキを背負って魔物から逃げたりしなければ、あれくらいの魔物、少しばかり時間がかかっても、倒せただろう?

なのに。
何故、お前の体力は尽きている?
何故、ガキには傷一つついていない?

何故、お前は自分を犠牲にして人を救える……!?


アルル、お前はいつだってそうだ。

自分を犠牲にしてでも人を助ける。

それが自分を滅ぼすことになると、知っているくせして。



「シェゾ。ボクの魔力、無駄なことに使ったら、ダメだから、ね?」

アルルは馬鹿げた方法を、もう行うつもりしかないようだ。

「他に方法があるはずだ!お前も生きてここを出る方法が……!」

脳をフルに回転させて、考える。

正直、俺一人ならなんとか脱出することはできるだろう。

だが、今はもう先ほどの戦いで魔力をほとんど使いきってしまった。

やはりこの状況では、アルルの言うことが正論なのだ。

体力と回復能力がまだあるものが、魔力を使って脱出する。

「はやく……早くしてよ。もう、限界なんだ、ボク」

その、アルルの小さな声を聞いて。


俺の中で、何かが壊れる音がした。

それは、アルルとの殺伐としていて、時に温かかった過去なのか。

それとも、何が起こるか分からない、未来なのか。

きっと、両方なのだろう。


俺は最悪の決断を下した。


馬鹿な奴だ、アルルは。
でも、そんな馬鹿を犠牲にして生き延びようとしている俺は、馬鹿を通り越して最低なのだろう。


「やっぱり俺には、悪役が合ってるな」

俺は嘲笑する。
アルルに対してではない。自分に対して、だ。

アルルに向かって、冷ややかに言った。

「一瞬でラクにしてやる。痛みなんか感じないほど速く、だ」

優しく、穏やかにするのは俺のキャラでないし、俺はいい人ぶりたい訳でもない。

スゥ、と息を吸い込んだ。

「マジックスナッチ」

相手の魔力を根こそぎ奪い取る魔法。
魔力を奪われるということは、強すぎる魔力によってまだ生きていられているアルルにとって、死ぬということを意味していた。
俺の声は、まだ震えていた。

「ああ……あ。ボクの……魔力、が」

アルルの金茶色の瞳から、俺のただ一つだけの光から、涙が溢れる。
それはただの条件反射だ。
魔力を奪われることによる、条件反射。

アルルが今更死を恐れるなんて、そんな、そんな─────────。

そんな訳ないだろう?

そうだと、思わせてくれ。
そう思わなかったら狂ってしまいそうだ。

手先から温もりともいえるようなものが伝わってくる。俺の中に、アルルの魔力が流れてきたのだ。
温かい。暖炉の側にいるような、そんな温かさだ。決して熱い訳ではなく、手先から全身にかけて、まるで何かに包まれているようだった。


ああ。


──────────甘美だ。

こんな時にでさえ、己の中にある欲望が、アルルを手に入れたいという欲望が、満たされたことを感じて俺は自分に心底嫌気がさした。

きっと俺は後悔するだろう。
それはアルルが死んだ瞬間。
それはダンジョンから脱出した瞬間。
それは知り合いに会った瞬間。

生きている限り、俺は常に後悔し、過去の自分を恨むのだろう。

殺されるかもしれない。
ルルー、サタン、ウィッチにドラコケンタウロス。
アルルと仲の良い彼奴らは、俺を恨むに決まっている。

それでも俺は、やめなかった。

否、やめられなかった。

瞬間。

「ボク……知ってるから」

アルルがかすれた声でつぶやいた。
それは、本当に小さな声で。
耳を澄まさなければ、聞き逃すような声だった。

「シェゾは、本当は、優しいんだって、こと」

「‼︎」

身体に電流が走ったような感覚をおぼえた。

不意に、目から水が零れる。
アルルが流した涙と同じ、液体。

同じだなんておこがましい。
同じ涙でも、流す者によって質が天と地ほど違う。

汚れ、濁りきった俺の涙は、まるでその身を侵食するように、流れ落ちた。濡れた床に薄く、自分の顔が映る。まだ止まることの知らない汚れた涙は、どんどん俺の心を犯していった。

「優しい……訳、ないだろう」

口では否定しているのに、その言葉をさらにアルルに否定してほしがっている、自分がいた。

アルルは、否定する。

「シェゾは、優しい」

俺は、アルルなら否定してくれるということも、分かっていた。
分かっていて、言ったのだ。

「本当か」

「うん」

「嘘はつくな」

「ついて、ないよ」

「…………」

「シェゾは、優しい」

アルルは俺は優しいんだ、ということを、ずっと囁き続けた。

段々と声が小さくなっていくアルルに、俺は何と言えばいいのか分からなかった。

ごめん。
すまん。
悪かった。

こんな、謝罪の言葉か?


ありがとう。
世話になった。


それともこんな、感謝の言葉か?


それとも───────────。




『さようなら』




別れの、言葉。




俺は即座の首を振って否定した。


嫌だ。
アルルと別れるなんて、絶対に嫌だ。


……今更何を言うのだ。

アルルは今も、死と生の間を彷徨って苦しんでいる。

「う……あ」

時折、アルルの苦しそうなうめき声が聞こえる。


俺のせいで、だ。


俺が躊躇して魔力を一気に吸収しなかったから。
躊躇しなければ、アルルは楽に逝くことができたのに。

それ以前に、自分がもっと強ければ。
こんなダンジョン、怪我人二人を背負って脱出できるくらい、強ければ。

アルルだって自分を犠牲にする選択をせずに済んだ。


俺の、せいだ。




「っは……あ……あ」


最後に何か……。せめて何か言わせてくれ……。

アルル……!


俺はお前が──────────。



アルルの生命の光が薄くなるのを感じながら、俺はただ、『さようなら』に代わる言葉を必死に探していた。














その後、アルルの力を使ってダンジョンを出た俺は、アルルが救った子供を街に送り、その街の住人に、このガキを救ったのはアルル・ナジャという魔導師だということを告げた。

その魔導師は自分が殺して力を奪ったということも添えて────────。








────────────────
────────────────




ヒュウと新しい風が吹いた。

誰かが自分の後ろに現れたのだと、すぐに分かった。
そしてそれが誰なのかも。

「久しいな、闇の魔導師よ。まだしぶとく生きておったか」

声の主は、俺と同じでやはり何も変わっていなかった。

「サタン────────」

サタンは、アルルが死んだとき唯一俺を殺そうとしなかった奴だ。

俺はダンジョンを出てから、周囲にはアルルは自分の私欲の為に殺した、アルルは近くにいた子供を自分から守って死んだ、というようなことを噂として流した。

結果、一日後にはルルー、二日後にはドラコとウィッチ、三日後には………というように俺を訪ねてくる人が続出した。

『アルルを殺したというのは真実か』
皆同じことを聞いた。
俺は全てにこう答えた。
『ああ、あやつの魔力は甘美だったな。まあ、あんなにあっさり死ぬとは思わなかったが』

殺意を向けられ、罵られ、ひたすら攻撃をかわす日々だった。

サタンだけは、何も言わなかった。

数日後に俺の元へやってきたサタンはある程度アルルに何があったのか想像がついたようだった。

俺はサタンにだけ、真実を告げた。
サタンは他の人間にそれを広めることはしなかったらしい。

もう、何年も前の話だ。

「シェゾよ。貴様はアルルが16という若さで死んだことについて、どう思っていた?……ルルーも死んだ。だが、あまりにもアルルは人生が短かすぎたとは思わないか」

サタンも俺も淡々と言葉を口にする。
そうすることしか、できないから。

「別に。分かっていたことだ。アルル達と俺は生きる次元が違うからな。いつか別れが来ることくらい……お前だって分かっていたことだろう?お前も似たようなものだからな。ほら、アルル達が死んで数十年、俺やお前はなに一つ変わっていない」


俺達は変わらない。
アルル達が生きていたあの頃から、なに一つ。

俺はもう二百年以上生きているが、青年の姿から老いることはない。もっとも、俺が今生きていられるのは、アルルの魔力が俺の中で生きているからなのだが。
アルルがいなかったら、俺はもう死んでいるか、他の魔導師の魔力を奪って生きているはずだ。



サタンは何も言わない。
いや、言えないのか。



「それが、少し早くなっただけのことだ」


俺の声は、きっと少し震えていた。
いつものように平常心を装うが、きっとサタンにはバレている。


「──────────ならば、何故泣いている?」

サタンの声が、ピンと張り詰めるように響いた。

俺の目から、一筋の雫がこぼれ落ちる。

泣いてなんかねえよ。


「馬鹿か。これは…………単なる、雨だ」


太陽は、勿論輝いたまま。


「我が后は─────────」
「アルルは俺のだ」


俺はピシャリと言い放つ。


「お前にはルルーがいただろう。今の聞いてたら、きっと泣くぜ?あいつ」

俺は、少しばかり茶化して言ってみた。
それでもサタンは真剣にこちらを見て、目を逸らさない。




「────────アルルは、最後なんと言っていたのだ?」





「……またこの会話かよ」





俺は小さく息を吐いた。

まったく。
サタンはいつもこの話を聞きたがる。





「アルルは最後、こう言ってたぜ」
















『ボクは皆のことが、大好きだよ』












「ったく。最後まで……」


俺の目から流れる雫は、段々と増していた。




「アル……ル」






俺も、お前のことが大好きだった。



本当は、いつまでも一緒に生きていきたかった。

結局好きだということも伝えることができなかったが。




「馬鹿かよ……俺は」




アルルが死んで、やっとその存在の大きさを知るなんて。



本当に、大馬鹿だ。



──────────でも。


この気持ちだけは忘れない。

お前のことが……アルルのことが好きだという、この気持ちだけは……絶対に。



そして俺は小さく息を吸った。

アルルが死んだあの日、言えなかった言葉を、言うために。


「いつかまた、な」


もう二度と会えないアルルに、『また』だなんて、笑わせられる。

でも、『さようなら』ではないから。

俺の中で、アルルはまだ生きている。アルルが生きている限り、俺も生き続けることができる。




俺の後ろに、もうサタンはいなかった。

俺は手に持っていた花束を石碑の上にそっと置いた。


空はあの頃のように雲一つない青空だった。




(お前のことを、忘れない)



なぎ
2014年11月03日(月) 17時22分37秒 公開
■この作品の著作権はなぎさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ここでは初投稿ですので仲良くしてください!

この作品の感想をお寄せください。
No.2  華車 荵  評価:--点  ■2014-11-04 21:31  ID:93R27tvt5go
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 泣けますね……。(;_;)
 アルルにもシェゾにも幸せになってもらいたいです。あとルルーにも。
No.1  月音ニリ  評価:50点  ■2014-11-03 20:35  ID:iQRnO0.O.q.
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凄いです!!初投稿とは思えない…!
シリアスシェアルうまうまでs((←
総レス数 2  合計 50

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