型にはまった式例よりも |
錆一つない銀色のアーチをくぐれば、辺り一面を覆っていた雪景色は一変、常春の庭へと変わる。 雪をかぶったブーツが緑草を踏み、散った氷の結晶は水となって溶けていく。 冷えた体を暖かく迎える陽気。鳥のさえずりと花の芳香。 塔を目指して歩き慣れた道を進みながら、コートを脱いで腕にかける。手にぶら下げたバッグの他に重みが加わった。 と、顔を上げると花の手入れをしている男が目に入る。ちょうど気づいたらしく、剪定バサミを持ったまま立ち上がる紫の優男。 「これはこれは、ルルー嬢。お久しぶりですネ」 「こんにちは、インキュバス。久しぶりって……、この前会ったばかりよ? 精々三日くらいじゃないの」 ニコニコ顔で駆け寄ってくる夢魔にそう返すと、彼はチチチッと気取った態度で指を振る。 「NoNoNo、美しいお嬢さんは場を彩る一輪の花。一日でも姿が見えないと寂しいものですヨ」 「相変わらず減らず口ね。その花の代わりなんていくらでも居るでしょうが、ア・ン・タ・に・は」 「oh……、ツレないこと言わないでくださイ。please。あ、お荷物お持ちしましょうか」 「はいはい。いいわよ別に、書斎覗いたらすぐ部屋に行くから」 塔の周りは魔導の結界により温暖な季候が保たれ、庭は緑や花の色で満たされている。 すたすたと歩き出すと彼は慌てて追いかけてきた。 「それではあとでお花をお届けしますね」 「ありがとう、いつも助かるわ。サタンさまは?」 「まだお戻りになられてませんヨ」 「そう」 「ハイ」 「…………」 「…………」 「で、アンタはなんなの」 いつまでもついてくるインキュバス。 ルルーが立ち止まって振り返ると、満面の笑顔で両手を差し出してくる。 持ったままの剪定バサミは指にぶら下がって下を向いている。 「何の日か、忘れてませんよネ」 「……当たり前でしょう」 お世話になった人たちへの感謝と、大切な人への想いをチョコレートに込める日。そして女性から男性へ好意を告白する日。 一年に一度の大イベント。 商業戦略だと誰がのたまおうとも定着してしまった事には変わりなく。お祭り好き(ついでに派手好き)な連中が止まるはずもなく。例年同様に沸いた街の喧噪を、今し方通り抜けてきたのだ。 それに、 「私も祭りの参加者だものね、一応」 呆れ顔のままバッグの中からセロハンの包みを取り出した。ハート、クラブ、ダイヤ、スペード、それらの形がカラフルな銀紙に包まれたチョコレートの詰め合わせ。 差し出された両手の上に置くと、oh! と感嘆の声があがる。 「Beautiful!! 流石ルルーさん。有り難くイタダキマス」 「どうせたくさんもらってるんでしょ。別に私のチョコくらいいいじゃないのよ」 「Bat、紳士の嗜みですかラ」 「チョコを催促するのが紳士ねぇ」 ま、いいわ、と踵を返すと、 「ごゆっくり〜」 華を振りまく笑顔でヒラヒラ手を振ったあと、インキュバスは花の手入れに戻ったようだった。 「あ〜! ルルーさまぁ〜」 塔に入って程なく、間延びした子供の声が彼女の足を止める。 振り返るとぺたぺたと駆け寄ってくる小さな影ひとつ。 茶色く変色した皮膚を所々ただれさせたミニゾンビが、いつものケラケラ笑顔で現れた。 左の目は、何故か空洞。 「あらあら、おちびちゃん、またおめめなくしたの?」 膝を折って目線を合わせると、形の崩れた指を組んでもじもじと子供らしい仕草をする。 「さっき、ころんじゃって。どこかにころがっていっちゃいました〜」 「気をつけなきゃ駄目よ? ただでさえ脆い体なんだから」 柔らかい口調で諭すと、えへへ〜と、照れたような申し訳なさそうな笑いを浮かべた。 醜い姿になっているとはいえ、気遣いのできる素直な子だ。父親ゾンビが過保護になるのもわかる気がする。 「そうだ。これ、あげるわね」 包みを差し出すと不思議そうな顔で受け取る。 ぼんやり眺めて、時瞬、合点がいったらしく笑顔を上げる。 「お父さんと一緒に食べなさいね」 「はい〜、ありがとうございます、ルルーさまぁ〜」 ぺこりと一つ頭を下げ、ぺたぺたと駆けていくミニゾンビ。 立ち上がり、向こうでこちらを伺っていた父親とぐげぇだのくけぇだの話しているのを眺めていると、 「あら、ルルーさん。いらっしゃいませ」 声の方に目を向ければ赤と白のメイド服に身を包んだお掃除妖精。 「こんにちは、キキーモラ。はい、あなたにも」 「え?」 「友チョコよ、友チョコ」 目を丸くしている彼女に押しつける。 「い、いいんですか? あ、でも私、何もご用意してませんけど」 「いいのよ。いつも部屋を綺麗にしてくれてるお礼。あと、この前お菓子のレシピもらったでしょう? そのお礼も」 「あら、あんなもので喜んでいただけたなら取っておいた甲斐がありますね。また必要になったら言ってくださいね」 「ありがとう、欲しくなったらまたお願いするわね。……ところで、サキュバスはいないのかしら?」 粛々とした灰色の塔の中。ちり一つ落ちていない、階段の赤い絨毯。花瓶の花々。 声の響くここで話していれば顔くらいは覗かせそうなものを。しかし気配一つ感じない。 ルルーの問いにキキーモラは苦く笑う。 「サキュバスさんなら逆チョコをもらいに出掛けましたよ」 「はぁ、大方もらったチョコを横流しして、良家のお坊ちゃんたちに高いもの貢がせる気なんでしょうね」 小悪魔の微笑で舌を出す女夢魔を思い浮かべて溜息をつく。 「その内刺されでもしないか心配だわ」 「それで長年、上手く立ち回っていますからね。凄いわ……」 「真似しちゃ駄目よ、キキーモラ」 「しませんよっ!」 そこまで器用じゃありません! ふくれる彼女にルルーはふふっと笑う。 「じゃぁチョコはあとででいっか」 「お部屋に行かれますか? 魔法陣起動させましょうか」 「いえ、いいわ。サタンさまに会いに行くから。まだ戻られてないみたいだし、階段で行くわ」 青い髪を手で払いながら通り過ぎる。 階段とルルーを交互に見たメイド妖精の感心が背後で聞こえた。 「体力ありますねぇ……」 △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ 荘重な木製の扉を叩いてノブに手をかける。 ゆっくりと開くと、ぽっと灯がともった。 主が留守中の書房。 「な、なんっなのよ、これぇ!?」 黒いデスクには 一歩足を踏み入れると不快感を宿した驚きが漏れた。 「もうっ! 三日来なかっただけで何でこんなに散らかるのよっ!!」 ゾウ大魔王でも暴れたのかと思うほどの荒れ模様。本が散乱し、紙が散らばり、インクの瓶が転がっている。 つかつかとソファに近づき、コートとバッグを置いて手近な書類を拾い集める。 「キキーモラは気づいてないのかしら。……あぁ、そういえば出入りを禁止されてるんだっけ」 調べ物のために引っ張り出して、片付けるのが面倒だったのだろう。こんなところ、あの綺麗好きに見られたら全部ゴミとして処分されかねない。 重要な資料も希少な書冊も関係ない。 「ここ片付けるの、私の仕事なのかしらね、やっぱり」 紙の束を胸に抱いて苦笑しながら、分厚い表紙を拾いあげ、ソファの上に避難させていく。 インクを拾い、羊皮紙束をパラパラめくりながら向きとページをあわせた。 デスクの上で揃えて整斉させていると、 「おや、誰か居るのか?」 ドアの開く音と馴染みの声。 振り返ればこの部屋の、そしてこの塔の主が突っ立っている。片手には、わかっていたが、大きな紙袋。中身があふれんばかりに膨らんでいる。 「あ、」 「なんだルルー、来ていたのか」 「え、えぇ、お邪魔してますわ、サタンさま」 妙にかしこまって言うと、魔王はうむと一つ頷いて入ってくる。 「すまないな、散らかっていて」 「勝手に片付けてますけど、ご迷惑でした?」 「いいや、助かるよ」 大の男が持つには可愛すぎるハート柄の紙袋を脇に置き、拾った本をデスクに重ねる後ろ姿。 「調べ物をしたのはいいが、どこに片付ければいいかわからなくなってしまってな、困っていたところだ」 「サタンさまのお部屋でしょう?」 「模様替えをしたのはお前だっただろう、ルルー」 「いつの話ですか。いい加減慣れてください」 「おお! インク! こんなところにあったのか、探していたぞ」 「……机のすぐ目の前に落ちてましたよ、それ」 本の表紙に視線を流し、元の位置に整列させながら。 とぼけた歓声に目を細めて振り返ると、サタンは長い指で顎をなでていた。 「最近目の前のものを見つけられない」 「前からですわ、サタンさま」 「そうだった?」 「はい。探しているそばから私が見つけて手渡すのなんて、いつもの事ですもの。ほら、以前も倉庫の鍵がないって大騒ぎして。そこのコート掛けにぶら下がってたじゃないですか」 「……そうだった」 にっこり笑うと憮然とした顔で本を運んでくる。受け取り棚へと戻していく。 「まだ若いつもりでいたが、歳かなぁ」 「らしくないですわ。まだ若いんでしょう? しっかりなさってください」 「しかし最近体の疲れが」 「遊びすぎ。あんなにたくさんチョコもらって帰ってくる体力があるなら十分じゃないですか」 「きちんと仕事もしているぞ」 「じゃぁ、軽く仕事もして、遊びまわって、おまけにたくさんチョコをもらって帰ってくる体力があるなら十分じゃないですか?」 「おお! 部屋が綺麗になったぞ、流石ルルー!」 「あれぇ〜? なんではぐらかされたのかしら」 さっきまでとは見違えるほど整然とした部屋を見回しながら、わざとらしく言うサタン。 ルルーは笑いながら、 (たかが三日よね、やっぱり) 気まぐれに訪れて気兼ねすることもなく。 好き勝手を許されて、空白などなかったかのように軽口をたたき合う。 甘く胸が騒ぐのに、常春のような関係。 「でも、チョコレートばかりだと飽きませんこと? サタンさま」 「うむ。い、いや、飽きるとかそういう事はないぞ。甘い物は好きだし、ティータイムのおやつにすれば一週間もたないくらいじゃないか」 こんなにもくすぐったい感情を抱ける相手はそうそう居はしない。 ひらりと離れてソファに腰を下ろす。バッグに手を突っ込みながら、椅子に腰掛けて頬杖をついた魔王を見やる。 贈り物は素直に嬉しいのだろう、が、言葉と乾いた笑いに覗く本音。だが慌てて訂正された。 「あら、じゃぁ私もチョコにすればよかったかしら」 底から箱を引っ張り出して立ち上がる。 部屋を照らす燈。絨毯の上で影が揺れ、見下ろすルルーを、頬をついたままサタンが斜めの視線で見上げた。 「お口直しにでもなれば、と思ったんですけど。チョコの方が好きだとおっしゃるのなら失敗だったかもしれませんわね」 目の前に置かれた箱に手を伸ばす。リボンをほどいて蓋を持ち上げると、雪のような白がこんがりとキツネ色に焼けたパイが姿を現した。 蓋を置くことも忘れて目を丸くしているサタン。気遣いだったと知りながらも、ルルーは悪戯っぽく舌を出す。 「レモンパイか」 「お気に召しませんでした?」 「いいや、」 声が笑い、楽しげな深紅の瞳がルルーに向けられる。 「ルルーらしいな。そういう型破りなところは好きだぞ」 「は、ってなんですか。他のところは?」 戯れに首を傾げると、ほんのりと顔を赤くした咳払い。 パイに手をかざす。 呪文を唱えるでもなく印を切るでもなく。しかし見る間に等分されていくレモンパイ。 いつもは俗的なものを好んでかナイフを使うのに珍しい。 ルルーがぼんやりと見ている前で、サタンはおもむろにつまみ上げたパイを口に放る。 「えっ!? あっ、」 止める間もなかった。 「……お口直しに、って言ったのに」 「ん〜?」 「いいんですか? 他の女の子たちからもらったチョコは。それよりも私のを優先しちゃって」 「ん〜……」 斜めを見上げた視線がルルーに戻され、 「旨かったぞ」 「え、で、ですから」 「いいのだよ。私が食べたかったのだから」 呆気にとられているとそんな答え。 ルルーは大きく溜息を吐く。紙袋のチョコたちには悪いと思いながらもやはり嬉しかった。自分が誰よりも敬愛する男性の優しさへ対する喜びと、身勝手な自分の気持ちに対する呆れの溜息。 口元には自然に笑みが乗る。 「気まぐれなんですから」 「拙かったか?」 「いいえ。サタンさまのそういうところは好きですわ」 「他のところは?」 「他のところも、大好きに決まってるじゃありませんの」 胸を張ると、聞いてきたくせに、咳払いをする。二回も。 口元に手をあててくすくすと笑うルルー。 よくはっきり言えるな、と、バツが悪そうな赤い顔で口をもごもごさせたあと、サタンは両手をついて立ち上がる。 「レモンパイがある。チョコレートも大量にあることだし、今からケーキでも焼いてお茶にしようかと思うんだが、どうかな、ルルー」 「えぇ、いいですわね、サタンさま」 片手にチョコレートの紙袋、片手にパイの箱を抱え、ルルーの前に立ったサタン。ルルーはその腕に自らの腕を絡める。 彼を見上げて微笑んだ。 お世話になった人たちへの感謝と、大切な人へ想いを伝える日。想いの形はチョコレートだけとは限らない。 馴染んだ距離で、息の合った歩調で二人は部屋をあとにする。 「あ、ホワイトデーのお返しは別ですからね?」 「ははっ、調子のいいやつだなぁ……」 END |
華車 荵
2014年02月16日(日) 19時44分35秒 公開 ■この作品の著作権は華車 荵さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 華車荵 評価:--点 ■2014-09-22 00:21 ID:xhjJGwmtVG. | |||||
くはっ!! ぶ、文章を褒められるなんて嬉しいです(ノД`)・゜・。 当方、口下手で人見知りなもので表現力に自信がなく……(汗)持てる知識をフルに使って書いているので褒められるとものすごく嬉しいです! ありがとうございます!!( ;∀;) サタルル、あまり見ないですよね〜。なかなか同志がいなくて寂しいです。 りりりれりさんも、ぜひサタルルを視野に入れてみてくださいv 感想ありがとうございましたv |
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No.1 りりりれり 評価:50点 ■2014-09-20 22:17 ID:TvdnLK10luM | |||||
文章力が巧みすぎて羨ましいです。あまりサタルルは見ないんですがなんか好きになりそうです! | |||||
総レス数 2 合計 50点 |
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