black out |
身体がだるくて重い。あんな事あった直後だから当たり前といえば当たり前だけど。 森の奥深くから、立ち並ぶ木々を伝って重い足をどうにか進める。 あの家を出るまではしゃんとしていた足も、彼の目が届かない外へ出た瞬間言う事を利かなくなった。 たったあれだけの事でここまで動かなくなるなんて、自分の身体の貧弱さに辟易する。 それが喩え初めて受けた屈辱だとしても。せめて家に着くまでは平気でいたかった。ふらつく身体とまともに動かない足は、自分の弱さを認めるようで悔しい。 いつの間にか降り出した雪の冷たさにも気付かずボクは前だけを見て歩く。 頻繁に来た事はないけれどでも、片手では足りない程度には来た事のある場所。 方向音痴のボクでもそうそう迷わない程度には覚えたこの道この森の中。この奥に彼の住む家がある。 無理を利かせている身体と切り離された所で、『そういえばこんな事になった原因って何だっけ』とひどく暢気に思考が回る。 あれは確か……と記憶を手繰り寄せようとした瞬間、意識して動かしていた足が忘れられた事を抗議するかの如く立つ力を手放した。 このまま倒れるのは癪なので慌てて傍の木に縋り付くと、今度はその急激な動きについていけなかった身体が胃から何かを吐き出そうとする。 反射的に口元を手で押さえ吐き気を抑えるように身体を強張らせた、瞬間。 ―― ボクの 「! っく……ぅっ……!」 普通なら感じる筈もない違和感と不気味さにとうとう耐え切れず、無様にへたり込みながら嘔吐する。 「ごふ、っ……っけほ、っ!」 だけどお昼頃からまともな食事を取っていない身体は吐瀉するものすら残っておらず、出て来るのは胃液と空咳のみで、それでも全てを出してしまおうとするかのように嘔吐は止まらなかった。 「けは、っ……っふ……ぅ」 胃の中の全て……それこそ胃液すら全部出しきったのではないかと思われる頃に、漸く嘔吐も咳も止まる。 ぎりぎりだった体力はこれですっかり奪われてしまって、木に寄り掛かってなければ普通に座っている事すら危うい状態だった。 降り出してそう時間が経っていない雪、風もあまりない今は木の傍に積もっているのはほんの僅か。 それでもそこにへたり込んでいるのだから、足やスカートが濡れて冷やりとした感触を伝える。 そうだ、こうなった原因を考えてたんだったと、冷えた感触はボクの思考を先程の疑問に戻した。 ―― こうなった原因なんか知らない。だけどきっかけなら覚えている。 最初はいつも通りの、魔導力をよこせやらないの戦いから。 いつも通りボクが勝って、でもいつもと一寸違ったのは彼の放ったブリザードが思ったよりも高威力だった事。 相殺するつもりで放ったファイアーは屈し、中途半端に融かされた氷の粒は霙のようになってボクに降り注ぐ。 びしょ濡れになった所為で怒り倍増のボクが放ったジュゲムは秒速で勝負を決め、ヒーリングで起こすついでに彼に責任取るように迫る。 一瞬呆けた後拒否の科白を吐く彼をあっさり無視し、ボクは彼の手を取り引っ張っていく。 なおも喚き続けていた彼も漸くそこで諦めテレポートを唱えてくれた。 着くなり彼はタオルを貸してくれた。だけどずぶ濡れのボクはもっと手っ取り早い方法で暖を取りたいとごねる。 『ねーシェゾ、ボクお風呂に入りたい』 『……は? 何言ってる、正気か!?』 『当然。こんなタオルでちまちま拭くよりも、お湯の中にドボンの方がずっと温まるもん』 『いやしかし、それは……』 『だってこんなにずぶ濡れなんだよ!? 早く温まらないと風邪引いちゃうよ』 『……あまり勧められた方法じゃない……』 『いいじゃんいいじゃん。大体元はといえばキミが悪いんだよ、ボクやりたくないって言ったのに。 でもこうなっちゃったからには、何言ってももう無駄なんだしさー。ちゃんと責任取ってよね』 『…………責任、ね……』 ……一瞬鋭く目を細められたのが引っかかったけど、たいした意味もないだろうとタカを括った。 いつもボクをからかう時に見せる表情に似ていたから、だからコレもきっとそんな程度の意味だろうと思い込んだ。 もっと注意深く見たなら気付いたかもしれない、その奥に潜む劣情という名の炎に。欲望という名の鎖に。 言葉尻を捕らえ、都合の良い言い訳に変換し、そしてボクを縛る材料にする。 獲物を追い詰めるその怜悧な光を、だけどボクは見逃した―― 見逃した、じゃない、考えもしなかった、だ。 まさか捕食者が獲物をそんな目で見ている訳がない、と根拠のない自信が傍若無人な振る舞いを許す。 挙句結果がこれで、自分でも嗤う他ない。 油断した。隙を作った。付け入る隙を与えた。有体に言えばそうなんだろう。 だけど。 ―― 噛み付くような口付けをされた、身体の線をなぞる指が好き勝手に暴れた、何度も打ち付けられる楔はボクを内側から侵食し壊そうと躍起になっているようだった。 『俺をこうした責任を取れ。……つい先程お前が言ったと同じだろう?』 痛みに朦朧とした頭に響いてきたのは、言い訳にもならない最低な科白。 許せない、絶対に許さない。だけど、なのに……心底から嫌えない。 そう、ボクは彼が嫌いじゃなかった……ううん、好きといっても良かった。彼がボクを責め苛む時に見せる苦しげな表情を見る度、ボクは彼を抱き締めて『大丈夫だよ』と耳元で囁いてやろうかと思った位に。 でもそれは多分彼の欲しい『好き』じゃない。 ボクの好きは彼から見れば只のおままごとの恋愛ごっこ。 かーくんが好き、抜けるような青い空が好き、お友達が好き。カレーが好き、甘い物が好き、お父さんがお母さんがおばあちゃんが、ボクを取り巻く全部が大好き。 そんな程度の『好き』は彼の昏い炎の前では簡単に焼き尽くされる。 平等の『好き』は無用、がんじがらめの『愛している』以外は存在すら許されない。 そんな『愛』を受け入れられるほどボクは恋愛の機微を知らない。そんな『愛』を返せるほどボクは恋愛に精通していない。 ボクは恋愛に関してはとことん何も知らない子供なんだと、いやがおうにも突き付けられる。 それでも。 「好き、なんだ……許せない位に」 傷物にされたからとか弄ばれたからとかそんな生半可な事が許せないんじゃなく、ボクには無理矢理受け入れさせて自分は逃げてしまうのが許せないんだ。 戦いの後にお茶してお話するだけで良い、そして時々は遺跡探索に一緒に行けたら良い。 なんだかんだと文句言いながらそれでも結局はボクに付き合ってくれて、そしてお守はこれで終いだと言いつつ事ある毎に助けてくれて。 それだけで良かった、今はまだそれだけが良かったんだ。おままごとだと言われても、そんな程度で充分満足だったんだ。 なのに。 お子様だなと馬鹿にしながら押し付けてくる大人の劣情を結局は拒否出来ないのを知った上で、尚且つ逃げ道をきっちり用意しているのが狡くて悔しくて―― 愛おしい。 だから責めない、罵ったりしない、嫌ってなんかやらない、絶対に。キミの作った逃げ道なんか全部塞いで使わせない。 ボクがどれだけ惨めで傷付いて幸せだったか、これ以上逃げ場のない舞台の上で考えれば良い。たった独りの観客であるボクが一部始終を見ていてあげる。 こんな苦しい想いを教えられた、これはボクの復讐だ。 それ位ボクはキミを許せないんだから、それでもボクはキミを嫌う事が出来ないんだから。 「……っは!」 向きの変わった風が急に強くなり、それに伴って益々雪も強く打ち付ける。 重く湿った雪はボクの身体に張り付いて、体温に融かされ服を髪を身体を濡らす。 まるで昼間の彼の魔法みたいに。こんな事になったきっかけのように。 いっそこのまま雪と同化してしまえば楽なんだろうか。 この傷も痛みも激情も、全て素直に受け入れて一つになってしまえれば、ボクは彼の『愛』を受け入れ抱き締める事が出来るのだろうか。 同意を取り付ける事すらせず、なのにその性急な余裕の無さすらボクを強く欲した証拠のようで、許せないのに嫌えない。 そんなどっちつかずの中途半端な想いを吹っ切る事が出来るだろうか。ボクのずるさも汚さも、彼の弱さも卑怯さも、消し去る事が出来るだろうか。 今まで知る必要のなかった苦しさを甘露に変える事が出来るのだろうか。 ああ、いっそ―― このままここで白と冷たさとに同化出来たなら。 |
大鷹 海凪
2006年04月13日(木) 15時36分25秒 公開 ■この作品の著作権は大鷹 海凪さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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