■ [人物] トピルツィン・ケツァルコアトル (とぴるつぃん けつぁるこあとる) |
2008年07月11日(Fri) 10:45 - No.6 |
- ケツァルコアトルの神官トピルツィン、という意味がある。 - さん [2008年07月11日(Fri) 10:48]
- トルテカ帝国の神官王。ケツァルコアトルを名乗り同一化された。
十世紀に実在した人物だと思われる。 白い肌に黒髪黒髭だったという。 - No Nameさん [2008年07月11日(Fri) 11:18]
- 部族間の和解を図った父を親族(叔父達?)に暗殺され、母もトピルツィンを産んだ後この世を去ってしまった。
祖父母に育てられ、農耕神であったケツァルコアトルへの信仰を身につけた彼は、各地を遊学し見識を高めていく。そしてついにトピルツィンは父の仇を打ち、ケツァルコアトルを名乗ってトルテカの人々をまとめ上げ、トゥーラの都を築くことになるのである。 徳高き神官王に支えられ、高度な文明を築き繁栄したトルテカ帝国。 平和の神、ケツァルコアトルへの信仰も高まったが、人身御供を一切禁じた王への反感も次第に膨れあがり、とうとうトピルツィン・ケツァルコアトル王は反乱勢力によって追放されてしまう。 しかし都を追われマヤに渡った彼は、そこでも徳の高さと知識の深さから人々の信頼を得、ククルカンとして神格化され崇められた。 後、彼は自分の知を人々に分け与えながら旅を続け、船に乗って東方へ去ったと言われている。
彼はトルテカを去る際、『私は一の葦の年(セーアカトル)に戻ってくる』と言い残した。 16世紀初頭、スペイン人のエルナン・コステルがアステカへ来た年、1519年が一の葦の年だったため、当時のアステカ王モクテスマ二世はコステルをケツァルコアトルの化身と勘違いし、手厚くもてなしたという。 その際、コステルには人血のついたパンが贈られたのだが、コステルがそれを断ったため、彼らはコステルがケツァルコアトルの化身だと確信してしまった。そこで町や神殿を案内して回ったのである。勿論神殿には今まさに儀式が行われたであろう痕跡が生々しく残っていた。 そしてアステカは人身供犠を恐れたスペインの侵略者達によって滅ぼされたのである。
国を追われて尚、民にどころかその時その時で国を治める王にまで愛され信仰され続けたケツァルコアトルの神官王。 彼はそれほどまでに影響力を持った偉大な人物だったようだ。 - No Nameさん [2008年07月11日(Fri) 11:21]
|
|